第7話 窮地のくつろぎ

「沈丁花は三大香木の一つで、ピンク色の可愛らしい花を咲かせるんですよ。炎を使っているから勝手に暖色系のイメージにしてしまいましたけど、結構朱音さんに合っていると思いますよ」


 灰色はどんどん起き上がってきている。炎を広げるのに使われた松明は持ち上げられたり、見放されたり、消えていたり。

 全員が同時に起き上がられたら、自分一人では対処できない。


「なるほど。誠二さんは私が可憐で可愛くて、思わず手元に置いておきたくなるほど良い匂いがしていると」


 めっちゃ盛られているんですけど。


 まあ、どのみち。

 時間は無いし機嫌を取り損ねても終わりだ。怪物たちから逃げる時間はもう無い。


 だから、乗るしかないか。


 朱音さんとの付き合いも、きっと探し人が見つかれば終わり。禁書を焼くとか言っていたけれども、そこまで付き合う義理は無いのだ。焼くたびにこんな目に合うのなら、命がいくらあっても足りない。そんなことは、丁重にお断りする。


「どうなんですか?」


 朱音さんの機嫌は少し降下してしまったようだ。


「そう言う場合では無いとわかってはいるのですが、まあ、ええ。これ以上は、ちょっと……。言い辛いと言いますか、ねえ。朱音さんなら、言わなくても見抜いてしまっているのではないですか?」


 顔を逸らして、歯切れ悪く返しておく。


 演技が苦手でも、例えば朱音さんが鋭い人でも。

 表情が見えない上に顔を逸らした先には相対した時に震えていた怪物がいる状況ならば、感情が上手く籠っていないとしてもそれなりに誤魔化せるだろう。


 歯切れが悪いのは事実でもあるし、言いたくないのも事実だけど。


「花言葉はなんですか?」

「え?」


 振り向きかけたのを堪える。


「ですから、沈丁花の花言葉です」

「すみません。そこまでは……。でも、良い言葉かとは思いますよ。歌にもよく取り入れられている気がするからね、沈丁花は」


 果実に毒があるってことからも選んだわけでもあるけれど、花言葉までは覚えていない。


 悪い意味で無いことを祈るしかないわけだけれども、そもそもここから出ればもう会うことは無いだろうから。例え悪い言葉であっても問題はないと思う。良い言葉と悪い言葉とあるのも花言葉、と言うイメージがあるし。


「ふーん」


 …………感触が悪いな。


 どうするべきか。


 一線を越えれば、と言う話がある。一人目の殺人と、二人目以降では乗り越えるべき難易度が違うと言う話だ。

 正確には色々ことでそう言う話があり、何も殺人に限らないのだが。


 だから。きっと。


 あと数人。手にかければ。何も変わらなくなる。


 後戻りはもうできないのだ。


 その結果で見えるモノが変わったとしても、既に、一人、殺している。わけだから。


 覚悟だけは、固めておかないと。じゃないと、死ぬ。


「どふぉのきゃぅべじぇしゅふぉヴぃもしょら」


 髪が煽られ、熱気が自分を蒸した。

 視界の一面が炎で、気が付かないうちに下がっていた顔を上げれば、昼間よりも明るく、炎熱色の世界が広がっている。唯一空が寒色を残してはいるが、オレンジ色に着色されかけているようだ。


「人間って、もっと喜んで殺すもんだと思ってた」


 おかしいだろ。そんなの。


「ま、知りたいことは知れましたのでもう良いかなーって。松明なんか使って心理戦を仕掛けてきたつもりなんですかねえ。あさはかあさはかー」


 朱音さんの楽しそうな軽い笑い声が聞こえて、それから動く音が聞こえた。


「ぇまにきゃでしょぃじゅぃ、ぅべじぇきゃもしゃげぐ」


 朱音さんの読み上げるような声の直後、右手側の地面の広範囲が燃える。


 これまでは炎に付随する熱風で髪を煽る程度だったのに、今度は顔に叩きつけるように。

 髪どころか服も暴れ、立っていられないほどに。


 暴風が止むころには、ぽっかりと、大きな穴が開いていた。


 地盤沈下によって大きく陥落したかのように、ビルの四階以上の高さがありそうな穴である。

もちろん、上から見ているのと明かりが届かないから詳しくはわからないと言うのはあるが、正直、もっと深いような気もする。

 でも個人の感想だからな。

 恐怖心に煽られて現実よりも深い穴にしてしまっているのかもしれない。


「てりゃ」

「ちょっ」


 馬鹿止めろおい!

 可愛い声出せば許されるとか思うなよ。なんで穴に蹴落とすんだよ。馬鹿。


 上を見る。蹴飛ばした張本人も軽やかに飛び降りてきていた。


 本当に何を考えているのやら。いや、ここから本部に繋がるのかも知れないけれども。

 もっと正攻法とかあったでしょうに。


 違う違う。

 今はそこじゃない。

 このままだと死にかねない。

 何か、掴むもの、勢いを落とすものが欲しい。


 鋭い痛みと共に、脳裏に蔓が浮かんだ。


「じゃぐドロ」


 教わっていないはずなのに紡げる言葉。零れる文面。

 スプーンで体の何か、肉ではなく精神とかそう言った視覚はできない何かを取られるような感覚が訪れる。

 直後に、緑色の蔓が右腕に巻き付いた。


 すぐに千切れるものの、第二陣、第三陣とやってくる。掴まれて千切れるたびに速度は落ち、やがて立派な、あの夏の日に見たようなしなやかな枝のようなモノが自分に巻き付いた。


 振りほどけないほど強力に。離さないと言う意思すら見えるほどの。


「朱音さん!」


 あの夏の人日と違うのは、この蔓を『自分の意思で』操れること。


 蔓は瞬く間に穴の至る所から出で、朱音さんも助けようと伸びた。


 しかし。


 蔓など要らないと言わんばかりに、朱音さんの落下速度が一人でに落ちていった。髪はふわりと浮き、衣服も下からの風があるように膨らむ。


 一応、自分を受け止めようとしてくれていたのか両手を広げてはいたが、蔓を認めてか朱音さんがやや目を丸くした。


「もう他人の世界に侵食させられるほどになったのですね。流石私」


 何で褒めるのが朱音さん自身なんですかねえ。

 ということはさておき。


「こういう時はあらかじめ何か言ってから行動してくださいよ」


 しまった。もう少し声を落とすべきだったか?

 本部かも知れないのだから。


 口元を抑えても無駄かも知れないけど、抑えながら静かに降り立つ。幸いなことに、自分の声は反響してはいなかった。


 だからと言って確実に安全、と言うことでは無いのだけれども。


「惣三郎さんと同じことを言うんですね。流石は兄弟」


 は? 惣三郎に? あらかじめ言わなきゃいけないような行動をしたって?

 あるいは連れてきたのか? ここに?


 うりうり、と軽いノリで打ってきた朱音さんの肘打ちをゴケプゾで防がせてもらう。


「まさかとは思うが、惣三郎に何かしたわけじゃあないだろうな?」


 落ち着こう。なじっても意味はない。

 そうは思うものの、惣三郎もひどい目にあわされたのかという思いが、息を荒くしてしまう。


「そんなに大事なんですか?」


 伸ばしてしまった手を思わず引っ込める。直後に熱さ。


 駄目だな、駄目だ。


 手を出すのは良くない。朱音さんの自己防衛のおかげで出さずに済んだ、とはいかない。

 間の抜けた言葉に行動で返してしまった時点で、アウトだ。


「悪い」



 熱さを感じた右手は、特に火傷などの外傷は見受けられず、刹那のものだったらしい。


「いえいえ」


 あっけらかんと朱音さんが胸の前で手を左右に振った。


「誠二さんがそれほどまでに弟さんを大切にしていたとは知りませんでしたので。まあ、弟さんは私と言う美女とラッキースケベができたのでそれでチャラになりませんかね? 男子高校生ってそういうの好きですよね?」

「一概にまとめるな」


 男子大学生だって好きだよ。そう言うの。

 違う。そうじゃない。


「あっ。性的嗜好は様々ですから。そこは容認しますよ。でも、惣三郎さんは顔を真っ赤にして、ちらちらと目が動いてましたので」

「言うな」


 言わないでやって下さい。そういう年頃なんです。一概にまとめるなとか偉そうなことを言いましたが、惣三郎の性的嗜好は一概に考えられたものからさほど逸脱していないです。


「おやあ? 誠二さんも私の体に興味あるんですかあ?」

「無いです」


 括弧の中に『零では』と入りますけど。

 でも正直。朱音さんが傍にいると身が持たない。


 第一、彼女自体、欲しいけど欲しくはない。手に入れるために努力まではしたくない。


「誠二さんの元カノ達よりは良いバランスをしていると思いますよ。会ったことありませんけど」


 何で交際遍歴を知っているのかとか、聞きたいことはあるけれどわかっていることが一つ。


 こういう話題はすぐに切らないと火傷する。


 これはどこでも鉄則だろう。


「あ、それとも、やっぱり人間の女の子は『泣いて別れたくないと言っていたにも関わらず、一週間もしないうちに別の男の人と関係を持てる』から性的に興奮しませんか?」

「誰から聞いた?」


 惣三郎が言っていても、母さんが言っていても、悪気はないのだろうけど。

 きっと、自分が帰省するにあたってか朱音さんの人探しを手伝うにあたって、無害だと言いたかったのだろう。


「ママさんは『女の子よりも本の匂いの方が好きな変態になっちゃって。どこで育て方を間違えたのかしら』としか言ってませんよ」

「余計悪いわ!」


 何言ってんだよ。というかどうして知ってんだよ。


「惣三郎さんは『あまり兄貴の前で淫らな格好をするなよ』とだけ」

「逆に朱音さんは惣三郎に何をしてんだよ」

「いえいえ。何もしてませんよ。ただ風呂あがりにバスタオルを首からかけた状態で歯を磨いたり、ソファで教育テレビを見ながら寝たり、暑い日が続いていましたので薄着一枚でいたぐらいで」


 あ、うん。

 大丈夫だ。これ。大丈夫だ。

 お兄ちゃんセンサーおっけー。惣三郎にとって朱音さんは精々手のかかる姉だ。


 絶対こんな女性と付き合ったら惣三郎が振り回されるから、そういう感情ならやめておけと思ったけど、うん、大丈夫だ。


「すごく失礼なこと考えてません?」

「先に人のパーソナルな部分に踏み込んで失礼なことを言ったのはそっちだぞ」


 色々ありすぎて大分親しくなったような気はしているけれど、まだ会ったばかりだからな。

初めましてから四十時間も経ってないからな。きっと。寝ていた時間が分からないけれども。

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