第6話 貴方の本質

「わるい」

「……いや、別に。前に来たときは松明なんか使ってなかったから、どのみち確認しなくちゃいけなかったし」


 朱音さんは、言葉の間一度もこっちを見なかった。


 庇ってくれているのか、本心か。


 まだ付き合いの短い自分には判断は付かなかったけれども、どちらかに振り切っていないことをどこかで祈るしかない。


「朱音さん、これは俺の自己満足なんだが、次はどうすれば良い?」


 朱音さんの目はやってこない。


「多分、また上手くはやれないだろうとは思う。でも、足手まといでは終わりたくない。いや、こういう世界ならば一般人を巻き込んでも足手まといになることは分かっていたはずだ。それなのになぜ連れてきたのか。何を期待していたのか。教えて欲しい」


 本当は自分で考えるべきことなのだろうけれども。

 でも、あまりにも分からないことが多すぎる。整理するにも、考察するにも、物語を紡ぐにも。何も、情報が無い。怖い。人間じゃないとしても、近いように思える生き物を殺してしまったことが。びびって、攻撃できなくなって、何をしていいか分からなくなって、自分が死んでしまうことが。怖い。


「ゴケプゾを、読み解きなさい。使いこなせるようになれば、選択肢は広がります」

「今?」

「今」

「この状況で?」

「暗がりは読み解くのに問題ではありませんから」


 本当に、もう、これは本とは言えないのではないだろうか。

 本と言えないほうが助かるか。あの感触も、嘘だったら助かるのに。


「ああ。時間の方でしたら問題ないとは思いますが……。何なら、ゴケプゾの世界を構築して入りますか?」


 朱音さんが丁寧な口調になっているのが不気味ではあるものの、そちらに割く時間はない。


「ゴケプゾの世界と言うと、俺が最初に触れた時に入った空間ですか?」


 あの場には居なかったと思うけれど、知っていると言うことは朱音さんが把握していてもおかしくはない。


「そう。禁書の第一章は世界の創造について書かれているの。だから順に読み解くにしろ、他を読み解くにしろ、避けては通れない道」

「読む間だけではなくてそこに逃げるのは?」


 朱音さんの顔の険しさがこれからくる集団に対してなのであれば。


「世界を形成すると言うことは、この本の中から出ると言うこと。侵食と言う手もあるけれど、何も根付いていない状態で侵食しようとしたところでこの本の持ち主に呑まれるだけでしょうね」


 それは熟練度の差ですか、と聞こうとしてやめた。


 朱音さんの傍から離れずにゴケプゾを開く。

 読む、と言うよりも目から侵入するかのように。文字を追うのではなく脳に根を伸ばして侵食してくるように。脳の外側に種が落ち、根っこが奥へと伸びてくるかのように。

 文字による読解ではなく、イメージを強制的に見せつけられているかのようである。


 だからこそ、理解しながら読み進めることができない。ただただ勉強ができない子に教科書の読み聞かせを続けているかのような感覚。

 ずっと続く読経を聞かされているような。映画を何本も同時に上映されているような。

情報を咀嚼できないまま、次々と新しい情報が強制的に植え付けられていくような。


「ぎまにでれみヴぁグベ?」


 情報の海の中に。朱音さんの言葉が届く。


 相変わらず良くわからない言葉だが、「理解できた?」と聞いてきたのだと瞬時に理解できてしまった。


「算数は青、みたいな感じですけれども……」


 言葉を発すると、急に意識が浮上したように映像が遠く離れていく。入れ替わるように、目の前で燃えていく灰色が見えた。

 次いで喧騒、叫び声、断末魔。炎の熱気。


 さっきまでは半ばゴケプゾの中に連れていかれていたのか? にしては、朱音さんの言葉は普通に聞こえたのだけれども。


「それで十分。もう一つ聞きたいのだけれど」


 朱音さんの手を追いかければ、倒れている灰色。胸には穴。先ほど、殺した、灰色。


 くそ。


 塗りつぶされるように意識の下層に行っていたのに。忘れることはできていなかったが、後回しにはできていたのに。


「この槍に何か特別なことはした?」


 震えそうになる顎を気力で押さえつけながら朱音さんを見れば、木でできた簡素な槍を持っていた。


「いえ」

「そう」


 言葉の後、朱音さんが槍を振りかぶり投擲した。

 槍は綺麗な軌道を描いて、何かで顔に紋様を書いていたような灰色を貫通し、灰色が崩れる。


「この槍で殺せば復活しないの。ゴケプゾをもっている貴方が作ったからなのか、それともこの世界の物で作られているからなのか……。試してみてくれない?」


 投げ渡されたのは、武器創造で作った持ち手の両側に黒い棒が着いたようなもの。


 また、殺せ、と、言うこと、だろう。


 ふ、と新書の匂いが漂った。


「ここのルールは怪物を倒せばさらに多くの怪物が倒した人たちを狙い続けるの。殺せているかどうかに関わらず。だから、殺し方がわからなければ貴方が死ぬ。私は守れない。わかった?」


 朱音さんの指に引っ掛けられるように顎を上げられた。


 目が合った瞬間、あり得ないものを幻視してしまう。

 星一つない暗闇と、紅い目、暗闇に蠢くナニカ。指は動かず、震えは起きず、感情を統一されたように朱音さんに全てを持って行かれたような感覚。


 指が離れれば、喧騒と数多の気配が戻ってきた。


 今も怖い。戦いたくはない。命を懸けるのなんて真っ平だ。


 だが。

 不思議と。


 先程までの絶望に似た何かが『喰われた』ような気がした。


 新たな問題は、両側にこん棒が着いていても自分は振るえないことだ。遊び程度の振り方なら分かるけれども、命を懸けている時に大きくブンブンと振り回す気にはなれない。

 だから、半分にしたい。


「だどぅドロ」


 呟くように命じれば、小指側から伸びていた黒が消えた。

 持ち手はグリップより太く、インパクトの部分はバットの芯より細く。


 せめてもの抵抗をゴケプゾは理解してくれたらしく、気持ちばかりではあるが罪悪感が薄らいだ。


「理解『してくれた』?」


 本ならばこちらが理解して使った、と言うべきではないのか、と。

 先程までの自分の思考への疑問が口をついて出た。


 髪が揺れ、熱波が通り抜ける。


 熱波の行った方向に目を向ければ、灰色が二体後ろに飛んで、真ん中の一体だけが斧らしきものを掲げて突進してきていた。


「やるしか、無いのか」


 手首を狙ってアッパースイングをかます。

 手首に過度な衝撃が走った。フォロースルーへは行けず、黒い棒の先が地面に着いたのか、やわい衝撃。


 灰色は斧を取り落としているが、歯をむき出しにして来た。

 人間とは違い、三列に並んでいる鋭い歯。肉食動物の歯。


 そうだ。

 これは、人間じゃない。

 人間じゃない。

 人間とは違う。

 人間であることはあり得ない。

 人間であっちゃいけない。


 理解のできない怪物で、理解をしてはいけない怪物だ。


 黒い棒を握りなおし、今度は灰色の腰目掛けて振りぬいた。

 今度は爪楊枝でグミを突き刺した時のような抵抗しか感じられず。灰色が、視界の横で地面に落ちていった。


「くそが」


 右手を放してしまった黒い棒を左手だけで体に寄せる。炎は更なる灰色の侵入を許さないように道を覆った。怪物たちが怯んだように動きを止める。


 先程自分の攻撃を受けた灰色は、真っ二つになって地面に転がっていた。

 黒い棒は丸みを帯びていて、刃のような部分などないのに、真っ二つに切れていた。


「慣れれば訳ない……わけでもないか」


 朱音さんの視線が自分の足へと落ちてきた。


「慣れて良いモノなんですかねえ」


 震える足は隠せるものではないか。

 情けないとは思うけど、仕方がないとも思う。うん。仕方がない。


 朱音さんが伸ばしてくれた手を掴んで立ち上がる。


「キィヤァァ」

 だとか言う叫びが、耳をつんざいた。


 振り返るのと地響きは一緒で。

 朱音さんの炎の上に、新しい巨大な怪物が降り立つ。


 多足と言うべきか多手と言うべきか。足に当たる部分が全て人間の手のようなもので構成されており、数えるのも億劫なほどの本数がある。

 肩から真っすぐ上に出ているのは、手ではなく足のようなモノ。こちらは二本だけ。


 本当に、気持ち悪い。


 顔はムンクの『叫び』のような表情をしているが、どちらかと言うと頬が爛れているから閉まらないようにも見える。爛れが朱音さんの炎によるものではないというのは確かだ。朱音さんの炎は浄化のための炎。途中経過はあり得ない。


 ……なんで、自分が知っている……?


 朱音さんの炎を。


 説明は受けたか?


 いや、何も。


 種や仕掛けがあってくれとしか、思っていないはず。


 影の形が変わった。慌てて飛び退く。何かが飛んでくるのが見えたので、顔の前に腕を交差した。あたった感触から、泥や小石だとわかる。


「眼は離しちゃ駄目」


 背中に何かが当たり、顔の横から紅い何かが伸びてきた。体に熱が走る。筋肉が強張る。


 止まった息を、短く吐き出した。

 冷静になればそれが朱音さんの扇子だとわかるし、背中に感じる体温と新書の香りからも朱音さんだと理解できる。


 何でぶつかるようにしてきたのかは、全くわからないけれども。


 兎にも角にも。

 朱音さんから放たれた炎は怪物を一飲みにすると横に倒して吹き飛ばした。


 炎は途中で消えるが、勢いは消えず。怪物が松明持ちに当たり、松明が落ちて火が高々と燃え上がる。朱音さんが離れたのに従って後ろも見れば、同じように松明持ちを利用して朱音さんが森を焼いていた。


「えげつないですね」


 言いながら、視界の隅に捉えた動くモノに目を向ける。

 真っ二つにした灰色の体が、繋がるように動いていた。

 朱音さんの炎が繋がりかけの灰色を一瞬でグロい焼肉へと変える。


「ゴケプゾじゃない、となると、本当にサバイバルゲームみたいなルールかしら。この世界の物、武器でしか怪物は殺せない。持ち込みは許さない。自分の用意した武器より強いのは許さない、とか? ゲギシュグの力が主体かと思っていたけれど、ゲウォドゥの力が強く混じっている可能性があり、と」


 ゲキなんちゃらとゲウォドゥとやらが何かはわからないけれど。


 朱音さんの細められた鋭い目からは、よろしくないことではあるけれども相手が判明しつつあるのは悪くないことだと言うことは分かった。


「そのゲなんたらってのは、何ですか?」

「あまり口にしない方が良い名前よ。まだ、ね」


 言って、朱音さんが顔を上げる。

 険しかった朱音さんの目から棘が取れ、頬が緩んだ。


 そんなに良いことがあった? とは思うものの、見渡しても怪物の半分ぐらいが復活してきている光景が広がっているだけ。材料に代わっていた木々も半分ぐらいが元通りになっていて、もう半分が材料のまま。


 いや、景色・怪物ともに半分以上が復活してきている。

 全然良くない。絶対良くない。


「あー、おなか減った」

「のんきなことを言っている場合ですか?」


 口がひくついているのを自覚しながら朱音さんを見るが、朱音さんは焼けた灰色から足をもぎ取って食べているだけ。

 しかも、物凄い速度で。

 ちぎっては食べ、ちぎっては食べだよ。


 見た目に比べてそんなに可食部位が少ないの? それとも大食いなの? 本の力を使うとお腹が減るの?


 少なくとも、自分はあまり減っていないのだけれども。

 むしろ食べる気力もわかないのだけども。減衰していると言っても過言ではない。


「あーあー。おなか減ったなあー」


 白々しく朱音さんが言って、次々と手足をもいで食べている。


「甦ってきているんだけど」

「食べれば復活しないよー」

「いやいやいや」


 黒い棒を握るけれど、これじゃあ死なないんだよな。

 となると、槍? 今から作るの? これだけの数を倒せるのを?


 いや、無理だ。


 用意できない。用意できたとして、体力が持たない。それ以前に、あの怪物を倒し続けているうちに、自分の心が変質する気すらしている。


 今、簡単に倒すと言う発想になったのもそうだ。

 気を抜けばすぐにでも膝が笑いそうなのに、倒すと言う発想は出てきてしまったのだ。


 今すぐ武器を振るえ、と言われても出来なさそうなのに。


「朱音さん、この場から離れませんか?」

「やだ」


 朱音さんが幼子のように頬を膨らませた。


「でも逃げないと」

「やだ」


「何なら背負いますから」

「よく考えたら、私、誠二さんに凄く失礼なことを言われていたんですよ」


 あ。


 どれだろう。

 心当たりが多すぎる。


「後で謝りますから」

「立てば?」


 んん?


「だから、それは朱音さんに立ってほしくて」

「立てば?」


 言葉の途中で言われたからどこまで聞こえていたのか分からない!


「だからですね」

「立てば芍薬?」


 唇を尖らせて朱音さんが言ってきた。


 うん。はい。そうですね。

 魑魅魍魎が気に入らなかったんですね。


 随分前のこと、でも無いか。今日のことか。意識を落としてしまったから、自分にとっては前に思えるだけで。失礼なことを言った側だから忘れていただけで。


 だからツンケンした態度のまま腕を組んでるんですね。はい。


「言えないのですか?」


 あー……。

 左ではあの多数の手が足になった怪物が復活してきているし、時間は無いのか。


「立てば?」


 というか何でこんなに拘るんですかねえ。

 いや、でも。


「立てば?」

「言います。言いますから」


 朱音さんの感情の動きが良くわからないけれど。

 動いてもらわなくてはいけないのは確かなのであって。


「どうぞ」


 生臭い空気を吸って、肩を軽く落とすように息を吐く。

 別に、言いたかないわけじゃない。

 ただ、素直に言っても納得しないだろうし、素直に言うのも癪だ。

 だからこそ。


「立てば芍薬座れば牡丹、香る匂いは沈丁花。で、どうでしょうか」


「沈丁花?」


 朱音さんが美眉を顰めた。

 やっぱり、そこの説明からですよねえ。


 時間も無いのに。

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