第8話 異界の本質

「いえ。先に喧嘩を吹っかけてきたのは誠二さんですよ」


 しゅっ、しゅっ、と口で言って、朱音さんがボクシングの真似事のようなことをする。


 ボクシング、というよりもゲーム機持たせて動かした方がしっくりと来る動きではあるのだが。まあ、そういうので遊んでいたのかも知れない。


「惣三郎さんもお父さんや一番上のお兄さんの話よりも誠二さんの話を良くしていましたけど、誠二さんの場合過保護過ぎません?」

「どう繋がるのか全く分からないのですが?」

「惣三郎さんももう高校生。時代が時代なら社会的に見ても立派な大人。危険なことをしても関知せずで良いじゃないですか。何より、『兄貴の前で淫らな格好をするなよ』は私と惣三郎さんがそう言う関係であるかもしれない台詞。踏み込むのは野暮ってもんですよ」


 ぐうの音も出ない正論だ。

 正論であるがゆえに、納得しがたいものがある。


「あ、それともぉ。誠二さんが私を気になっていたりしてぇ。やー、モテすぎて困るなあ」

「はいはい困った困った」

「ちょっと! 適当。てーきーとーうー。反応が雑すぎじゃないですか? 弟さんに言いつけますよ」

「言えば?」


 何も困りませんが。


「弟さんが大事なんですよねっ」

「大事ですよ」

「母親よりも!」


「いや、そこに優劣は無いですけど。父さんだって兄貴だって大事ですよ」

「んん?」


「優劣は無いですよ」

「何で?」


「何でと言われても」

「弟さんと他の人で扱いが違うじゃないですか」


 全く扱いが同じ人と言うのも居ないと思うけれど。

 人に適した、関係に適した接し方と言うものがあるわけでして。


「両親は言わずもがな、兄貴も俺から見れば頼りになる存在ですから。父さんも兄貴も居ないから家のことは頼んだぞとか言われても、結局支柱は母さんなわけだし。そんな中で俺が守らなきゃって思えるのは惣三郎ぐらいだから、扱いが一人だけ異色に見えるんじゃないの?」


 惣三郎ももう大きいし、うざったく感じているかも知れないけれどもさ。

 それでも兄の顔を立ててくれるのだからできた弟だよ。


「そう言うものですか?」

「そう言うものですよ」


 他の家ではどうかは知らないけれど。


 自分より小さく、幼い姿を良く見てきたわけであるからして、守りたいとは思うものである。逆に身近な年上は、自分の場合はありがたいことにみんな立派に自立しているような人たち。


 そうなれば触発もされるさ。背伸びをすれば、身近な年下の惣三郎を守ろうともする。


「さて、休憩はこの辺までにしておきますか」

「休憩にする話題のチョイスよ」


 休憩と言いつつ疲れた気がしてしまうのですが。


「落ち込んでいた部分は無くなりましたよね? ゴケプゾを使った疲れも感じなくなっているはずですし。これはむしろ私を褒めるべきではないですか? ほら、ほら」


 ううむ。

 悔しいが、朱音さんの言う通りだ。


 とは言えども、褒めろ褒めろと小さい子みたいに催促されても、対象が自分と大して変わらない年齢に見えれば褒めたくは無くなるもの。


 ゴケプゾを無駄に開いて、目を落としてから朱音さんを見る。


「行きますか」


 とりあえず、落ちてきた方とは逆の方角へと足をのばす。


「お褒めの言葉が足りないなあ」


 が、すぐに袖を摘ままれた。


「一応、俺が巻き込まれた側だよね。朱音さんの大事な人を探すのに」

「だから守ってあげたじゃないですか。そこでチャラですよ。貴方の精神なんて知ったこっちゃないのに、女神の慈悲でメンタルケアまでやってあげたのです。もっと私を敬いなさい」

「普通の人は自分のことを女神だなんて言いません」


 朱音さんの指が離れたのか、微かな振動を腕に感じた。

 目を向ければ本当に離れているのが見える。


「そうね」


 視線もどこか遠くへ行っており、そのまま朱音さんが歩き出す。

 自分を一顧だにせず、前へ。前へと進んでいく。


 急変だ。明らかに、状態が変わったように見える。何か、怪物的なのが出てくる気配も無いのに、また朱音さんの様子が変わったのだ。


 流石に。この状態のというか、こんな様を見せられて放っておけるほど自分は図太いつもりはない。


 かと言って。


 いや、朱音さんだからすぐに明るくなると信じよう。


「お褒めの言葉が足りないと言われましても、俺は普通の人なので押されたら引きたくなると言いますか、ただでさえまだ浅い関係の見目麗しい女性に助けられれば言葉にし辛くなっていますから、気恥ずかしさが勝ってしまうのです。だから、ええ、本当に。朱音さんにはいくら感謝しても足りません」


 朱音さんの足が止まった。


「立てば?」


 その言葉、そんなに気に入ったの?

 教育テレビの影響? 語呂が良いから?


「えっと、立てば芍薬座れば牡丹」


 次はどうしよう。

 同じで良いか。


「香る姿は沈丁花」


 朱音さんがしたり顔で振り返ってくる。


「おやおやぁ? 先程は『香る匂いは』でしたのに、今度は『香る姿』ですか」


 そうだったっけか。間違えたな。

 追及されたらどうかわそう。


「もしかして、気障な言葉を言おうとして失敗したんですかぁ」


 ああ、うん。そう言うことにしておこう。


 ぷーくすくす、という描写がこれ以上似合いそうな人にはもう出会えないのではないかと言うほど、今の朱音さんに『ぷーくすくす』が似合うよ。


「仕方ないでしょ。『立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花』なんて言葉、そうそう使う機会が無いんだから」

「ええ。ええ。そうですねえ。仕方がありませんから、気恥ずかしかったと、そう言うことにしておいてあげましょう」

「言わなきゃ良かったとこれほど後悔することも無いよ」


 笑い声を跳ねさせる朱音さんに言葉を投げつつも、大人しく後ろに従って歩く。


 朱音さんが言うには『この世界の中の物じゃないと怪物は殺せない』とのことであり、思い返せば木々に関しても同じようなことが言えるのかもしれない。


 そう考えると、この大穴も復活していきそうな気もするが、仮に復活しつつあるとしてもその速度は格段に遅かった。

 そもそもが素材に変わらない場所だからなのか、朱音さんの使った本の火力が違うからなのか。


 まあ、考えても仕方が無いか。

 そうあるものとして受け入れよう。


 そうして次に踏み込んだのは、まるで土が蜷局とぐろを巻いているかのような場所。


 ぐねうねと歪に、それでも掘られたような、あるいは創られたような跡がある。

 松明などの明かりは無く、暗いはずなのにどことなく見えるのは何なのか。サバイバルシミュレーションゲームに近い世界、ということなら、良くあるイージーモードで暗くても見える、とかと言うことなのだろうか。


 本当に、イージーモードなら良いのに。

 イージーモードであの怪物なのも、嫌か。


 朱音さんを追いつつ、観察に戻る。


 土自体は、岩盤と言うよりも水気を含んで固めたように見えるが、空間には意外と湿気はない。足元は硬い感触があるが、かといって岩と言うほどに硬い訳でもなく。土の上なのに歩くとこだけ着地の瞬間だけ踏み固められているような感触があるのだ。


 気温も、見た目からの想像では寒そうだが、完全に適温である。

 光も無く生物もいない土の中、奥深くなのに。適温が保持されているのだ。


 正直、ゴケプゾの経験や朱音さんの超常の力、奇形の怪物を見ていなかったら動揺が酷かっただろう。


 あれがあるから、この程度ではもうと言う気もするが。


 ……これ、元の世界に戻った時に感動が薄い人とかになってないよね。


「あ、こっちです」


 弾かれるように朱音さんが言って、発言とほぼ同時に走り出した。

 自分も遅れじと足を動かす。部の中でもベースランニングには自信がある方だったにも関わらず、朱音さんとの距離は埋まらない。追い抜かさないように、ではなく離されないように走らざるを得ない。


 朱音さんはそんなに必死で走っている様には見えないのに。


 息もすっかり上がってしまうほどに走り続けて、ようやく朱音さんが止まった。

 肩で息をしつつ周りを見渡せば、他とは違ってタイルが敷き詰められているような近代的な部屋。朱音さんの方には光っているなにか。近づかないと良く見えないのだけれども。


 というか、朱音さんは化け物ですか?

 あれだけ走っても息が上がらないだなんて。


 自分の体力が落ちたのか?

 大学入ってから運動はご無沙汰だったのは認めざるを得ないけどさ。


 鞄からお茶を取り出し、飲む。


 一口、二口と呼吸の合間を縫うようにして飲んでから、残量を見て一気飲みは避けた。


 こんなことになるとは思っていなかったから、ペットボトルは一本しかない。見つけたようだけれども此処に人影はないのでもう少し時間がかかるのだとすれば、確保手段が分からない以上、水分の消耗は避けるべきだろう。


「もうすぐここから脱出できそうですか?」


 ペットボトルをしまいながら近づけば、光っている物はテレビのような物だとわかった。


 どこのかはわからないが、いくつもの映像が映しだされている。


「なん、ですか。これ」


 森、森、洞窟、近代的な建物、海? 湖?

 たまに怪物も映るが、基本的には景色だけ。

 いや、角の方に行けば、それも変わってきた。

 まるで牢獄のような場所。鉄格子の中に、多足の怪物や多手の怪物、自力じゃあ動けなさそうなほどに肥大したぶよぶよの存在。


 おぞましいなんてものじゃない。


 どうやって牢に入ったかもわからないような巨体も、居る。動きが止まって、死んでいるようにも見えるが、よく見てしまえば目だけはギョロギョロと動いていた。

 何かを求めるように手を伸ばしている者も、近くを通りかかった灰色を頭から捕食している者もいる。

 血が垂れるがまま、脳髄が飛び散るがままに。


「なん、です、か。これ」

「危ない!」


 質問と叫びは一緒に。

 言葉を理解するよりも早く、視界だけがひっくり返ったのが分かった。

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