本当の地獄

海星

第1話

「死ねよ」


 虫ケラでも見るような目で私を睥睨し、冷たく言い放つ弟。


 その言葉に私は──歓喜した。


 これで私の地獄は終わる。持っていた包丁で自分の腹を刺し、私はふっと笑う。


 何故そんな顔をする?

 お前が望んだことだろう?


 奴の焦りを滲ませた表情が、薄れゆく視界に映り込む。


 バイバイ。大嫌いだったよ──。


 ◇


 考えてみればあいつは、私を兄どころか、家族だとも思っていなかった。学校で暴力を受けて帰ってきた私に、虐められる方に問題があるんだろう、弱いお前を兄だと思いたくないと言って煙たがっていた。


 まあ、あいつがそうなるのもわかる。私の家族は私も含めて歪んでいた。自分以外に興味を持てない自己愛の強い父親に、虚栄心ばかり強い母親。そんな二人が暴言と暴力に走るのは想像に難くない。


 自分の優秀な遺伝子を引き継いだとは思えない息子たち、そんな子どもを産んだ妻を、事あるごとにこき下ろし、暴力を振るい、いかに自分が素晴らしいかを語る父を見るたびに、心底似ていなくてよかったと安堵したものだ。


 母はそんな父に反発するように、買い物依存に走り自分を飾り立て、子どもである私や弟に身の丈に合わない英才教育を施した。そして、私たちが思い通りにならないと泣き落としや躾と言う名の暴力で支配した。


 弟も最初は両親の被害者だった。だが、両親におもねって機嫌を取るようになり、我が家のカースト最下位は私になった。これも弟の生きる知恵だったのだろう。


 やがて歳を重ねるごとに老年に近づき、力が衰えていく両親と、少年期に差し掛かり成長していく弟。私は出来が悪いからと幼い頃からしょっちゅう食事を抜かれたせいか、あまり成長せず、体格では弟に負けていた。つまり我が家のカースト最上位は弟に変わったのだ。


 そして、弟からの暴力も増えた私には、学校にも家にも居場所がなかった。ただただ日々を生きるのに一生懸命だった。


 だが、ある時ふと気付いた。


 そこまでして生きなければならないのか──と。


 私が生きる意味は、理不尽に負けたくない、その一心だったのだと思う。どうして虐げられる者が悪いと言われなければならないのか。むしろおかしいのは加害者側だろう。動物だって同族を守るために行動するというのに、人間は血の繋がった家族であっても攻撃してくる。


 そして、事情を知らないやつらは、家族だから感謝するべきだ、理由があるだろうから許してやれなどと、のたまう。

 偽善だろう。いや、偽善とも言えない。偽善の偽の漢字は、人の為というつくりでできている。つまりは人の為の善意ということじゃないのか?

 この場合、どこが人の為なんだ?

 少なくとも私の為ではない。こういうのを欺瞞に満ち溢れた詭弁と言うのではないのか?


 結局は思いやりに溢れた自分を演出したいだけではないか。本当にくだらない。そんな茶番に人を巻き込むな。一人で勝手にやっていろ。


 とまあ話が脱線したが、私は生きる意味を見失いかけていた。だが、私が死ぬことでやつらを無駄に喜ばせたくはない。


 だから私は、私が味わった地獄をやつらにも味わってもらおうと考えた。


 思いついたら視界が開けた気がした。鬱々とした日常に一石を投じるどころか、大きな波になりやつらの平凡な日常を押し流すであろう行為。私はワクワクした。


 早速、準備に取り掛かった。気づかれては元も子もないので、わからないように疑われることのないように事は慎重に進めたつもりだ。とはいえ、心から湧き上がる高揚感を抑えることは難しかった。


 計画の最後は、もちろん私が死ぬことだ。それは家族に私を殺させるか、自殺するか、二通りのパターンそれぞれを考えた。


 そして私は──自殺する方を選んだ。


 これにも理由がある。私を殺した罪で服役してしまえば、世間の風当たりの強さを服役している間は味わってもらえないからだ。その間に私への罪悪感が消えてしまったら復讐にはならないし、地獄を味わってはもらえないだろう。

 体面を大切にする両親や、その両親に似てきた弟には世間の評判が一番効果があると考えたのだ。


 計画実行日は決めていた。その日に合わせ、私は家族や学校での虐めを告白した遺書を書いておいた。その遺書さえあれば、やつらに言い逃れはできないはずだ。そして世間の冷たい目に晒されて生きなければならなくなる。後は握り潰されないようにどこに送るかだったが、色々考えた結果、マスコミを利用することにした。


 まだ未成年ということもあり、弟や虐めっ子は少年Aで済むかもしれない。だが、実名を知っている人間がいれば、成人した後でも問題にしてくれるかもしれないと期待したのだ。


 そして計画実行日の今日の朝。私は新聞社に遺書入りの手紙を投函した。イタズラだと捨てられるかもしれないが、手紙には切々と被害を訴えておいた。


 後は実行するだけだ。そしてトリガーになる言葉は「死ね」。その言葉が出た時点で全てを終わらせる覚悟は決まっていた──。


 ◇


「っ、ふざけんな……!」


 弟の怒声が聞こえる。痛みと出血で朦朧とするが、それは聞き取れた。


 誰がふざけ半分で、命を絶つために計画なんて立てるか。


 ざまあみろ。お前の地獄はここから始まるんだ。


 いや、命を絶つ私も地獄行きかもしれない。ならば、家族もきっと地獄に落ちるだろう。私を自殺に追い込んだ罪で。


 もし、あの世で会えるのなら聞いてみたい。この世の地獄はどうだったか──と。


 これから始まるであろうやつらの受難を想像して私は笑い、その意識が途切れるまで心穏やかだった──。

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