とある男の独白





 人生には必ずターニングポイントが存在する。良くも悪くも、人生に転機を与えるそれが起きたのはいつだろうかと振り返ってみれば、間違いなく高校受験の時だ。


 俺は勉強は得意ではなかったが、苦手でもなかった。

 家が貧しかったので私立なんて受験させてもらえるはずもなく、家から一番近かった都立の高校を受けたが、結果は報われじまい。


 そのため中学を卒業してから高校へは進学せずに、土木の仕事に就くようになった。

 

 仲の良かった奴が高校に進学して、毎日楽しそうにしている中。


 早朝から深夜まで汗水流して、毎日必死に働く日々。


 家にお金があれば私立に行けたのに。高校のランクを落としていれば、自分も高校に通えていたかもしれないのに。


 そんなありもしないタラレバばかりを考えて過ごしていたある日、彼女と出会った。

 

 彼女は家庭環境が悪く、いつも深夜の公園のベンチに座り込んでいた。仕事を終えて、飲み物を公園の自動販売機で買おうとした際、彼女の方から声を掛けられたのだ。


 「泊めてくれない」というシンプルな言葉。制服を着ており、未成年であることは明白だった。

 

 その時、すでに俺は18歳を迎えていたため、彼女は同い年か年下になるだろう。


 話を聞けば、新しい母親と折り合いが悪く、必死に稼いだアルバイト代を使い込まれていたという。


 そのお金で、卒業後は直ぐに一人暮らしをするつもりだったらしい。しかし義母に全て使われてしまったせいで、希望が絶たれてしまったと涙を流す彼女を、何故か放っておくことができなかった。

 


 その日のうちに、一人暮らしをしている1Kのポロアパートに彼女を招き入れて、生活を共にするようになった。


 料理が得意だという彼女が作るご飯は本当に美味しくて、あっという間に好意を抱くようになる。


 一日中働いて、体がクタクタでも、彼女が出迎えてくれるだけで仕事を頑張れるような気がした。

 

 そうして彼女と暮らすようになって一年後。丁度彼女が高校を卒業した時に、子宝に恵まれていることが発覚した。どうやら女の子らしく、二人とも新しい命の誕生に浮かれていた。

 

 どんな名前にしようか、どんな家族にしたいか。俺たちみたいな境遇にはしたくない。家族3人で、笑いが絶えない家庭にしよう。

 

 そんなことを考えながら、毎日汗水垂らして働いた。確か、あれはその頃だったろうか。職場の現場リーダーが変わり、そいつと折り合いが合わずに衝突ばかりしていたのだ。


 けれど彼女、もとい妻には心配を掛けたくなくて、その事を話せずにいた。中卒の自分が新しい職場を探せるはずがないと決め付けて、一人で我慢をして抱え込んだ。

 

 あっという間に月日が流れ、10月の秋頃に妻は無事に長女を出産した。


 小さくて、可愛らしくて。


 ベッドに寝込たわる二人を見て、命に賭けても守り抜くと強く決心した程だ。


 病室からは紅葉が見えて、あんな風に鮮やかさを纏った美しい女性になって欲しいと思って、その名を名付けた。

 

 しかし娘が生まれた頃は丁度キラキラネームというものが流行っていた。本来であれば読めない漢字に当て字を当てはめて、複雑な名前を付ける。


 単純で、馬鹿な俺はそのブームを間に受けて、娘にめいぷるという名前を付けた。けれど当時の俺はその名前を心の底から良い名前だと信じていたんだ。

 

 家族が増えた新居にて。幸せいっぱいな生活はあまり長くは続かなかった。


 一部屋しかない我が家では家族が川の字で眠るしか無かったのだが、赤子というのは当然夜泣きをする。

  

 日々の激務で、たった3時間しか眠れない俺にとって、その睡眠時間はとても貴重なものだった。しかし隣で大声で泣かれてしまっては、当然眠れるはずもない。

 

 毎晩、深く眠りにつけるようにアルコールを摂取するようになった。体質のものか、酒を仰げば自然と睡魔に襲われるのだ。


 仕事の激務に職場でのストレス。そして、家族を支えていかなければならないという重圧。酒でも飲まなければやってられなかったのだ。

   

 しかし、その姿が妻にはどう映ったのだろう。産後で精神が不安定なこともあったのか、「酒ばっかり飲まないでちょっとは手伝いなさいよ」と俺に激しく怒鳴りたてた。


 妻はまだ18歳で、義母にも頼れない中、一生懸命やってくれていた。


 けれど当時の俺はまだ子供で、その事まで頭が回らなかった。「うっせえな、さっさと黙らせろ」と大声を荒げてしまったのだ。

 

 彼女は酷く怯えたような顔をした。しまったと思った時にはもう遅く、娘は更に激しく泣き出した。


 その罪悪感から逃れるように、更に酒を煽った。


 まさに子供が子供を育てているような状態だ。


 手探りの状況の中、それでもがむしゃらに真面目に生きようとしていた。深夜に怒鳴ってしまったことは妻にちゃんと謝った。謝罪の言葉だけでなく、態度で示せるように仕事にも更に尽力した。 

 

 昇給もなく、貧しい日々の中。毎晩酒を頼って眠りにつくのが当たり前になっていたある日。


 その頃には娘も4歳を迎えて、夜泣きもすっかり治っていた。しかし、今度は職場のストレスで眠れずに酒に溺れてしまっていた。

 

 ふわふわと、泥酔状態の中。妻が携帯で男と連絡を取っている姿を偶然盗み見た。


 「今度いつ会える?昨日はすごく気持ちよかった」


 確か、そんなことが書いてあった気がする。

 

 俺はその時、自分で自分を抑えることができなくなっていた。今までの努力を全て否定されて、裏切られたような気分になった。

 

 気がついた時には、娘が足元で大泣きしていた。

 「もうやめて、お父さんもうやめてよ」と泣きじゃくっている娘の声に我に帰る。


 妻が頭を抱えて、何度も謝罪をしながら怯え切っている。鼻からは血が出ており、自分が握り拳をしていることにもその時初めて気づいた。

 

 酒に飲まれて、感情をコントロールすることができなかったのだ。

 

 その時を気に、俺は酒を飲むたびに自身を押さえ込むことができなくなった。酒を飲まないと眠れないから飲む。しかし、飲めば感情を抑えきれなくなり、妻への怒りをそのまま彼女にぶつけてしまう。


 娘が小学校に上がってもそれは続いた。母親が不倫をしたことを知らない娘は、俺が母親を殴る悪者だと思ったのだろう。

 敵意を込めた目を向けてきて、苛立ちで娘にも手をあげるようになった。

 

 殴った後は、いつも罪悪感に苛まれる。けれど、それを誰に相談すればいいのかも分からなかった。

 全て一人で抱え込んで、その重圧に耐えられずに結局酒を飲んで、二人に暴力を振るう。

 

 誰か、俺を止めてくれ。俺を殺してくれ。

 

 自分を制御できないことが怖くて堪らない。どうやって感情をコントロールするのか、その方法が分からないのだ。


 そうしてついに妻と娘から見放され、俺は一人で暮らすようになった。これでようやく二人を殴らずに済む。そう安堵するのも束の間、孤独さから更に酒に溺れた。



 神様というのは、本当にいるらしい。

  


 二人が家を出た2年後。俺はアルコールが原因で病に倒れた。

 もちろん保険にも入っておらず、病院に行く金もない。ボロボロのアパートで、ひたすら死が近づくのが分かる中、毎日を過ごしていた。

 

 勿論誰も見舞いになんて来ない。唯一来た来訪者といえば、金をたかりに来た親戚だけだ。

 

 日々、自分の体が弱っていくのが分かる。この人生に悔いもないと、更に酒を飲んで病状を悪化させた。


 どうしてこうなってしまったのだろうかと、夜になれば考える。


 我慢をするのが美徳だと、背中で語るのが男だと…何かのテレビの押し売り言葉を本気で信じ込んでいたのがいけなかったのだろうか。


 激務で疲弊していても、酒さえ飲まなければこんなことにはならなかったのかもしれない。

 

 妻は、娘は元気だろうか。俺から離れて、ようやく二人で幸せに暮らしてるかもしれない。俺がいなくなったおかげで、ようやく本当の幸せを手に入れたのだ。

 

 本当に良かった。こんな疫病神、やはりさっさといなくなった方がいい。そう思って、更に酒を煽ろうとした時だった。部屋の扉が空いて、誰かが訪れたのだ。


 まさか来訪者が来るなんて思わず、無用心にも鍵は開けっぱなしだった。こんなポロアパートに泥棒かと嫌な考えが過ぎったが、訪れたのは高校生になった娘だった。


 見た目はギャルのように派手で、見るからにグレてしまっている。俺のせいかと罪悪感が募るが、彼女が着ている制服は都内でも有名な進学校のものだった。


 そうか、良かった。


 この子はきっと、たくさん努力をしたのだ。酷い家庭環境の中、必死に努力をして自ら高校へ進学する切符を掴み取ったのだ。


 娘は、俺みたいにならずに済む。俺と同じ道を辿らずに済むのだと安堵して、もうこの世に未練はないとすら思えた。


 娘に与えたものは、暴力や罵声ばかりで、父親らしいことなんて全然してやれなかった。愛している、なんて台詞だって小っ恥ずかしくて言ってやれたこともない。


 言っておけば良かったかもしれない。その台詞を言う権利も無くなってしまった今となっては、後悔すらこみ上げてくる。


  

 愛する娘が、どうか幸せになれますように。

 


 そんな薄っぺらい言葉を祈りながら、俺はこの世を後にした。



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