第50話
二人きりになって、恐る恐る彩葉の母親に視線をやる。
一度紅茶を口に含んだ後、意を決したように彼女は口を開いた。
「……めいぷるちゃん、あなた、小学生の時森ノ木公園によくいたよね」
「はい。そこで、彩葉さんとも出会いました」
「うん……そっか」
次第に声が震え始め、彩葉の母親はそのまま涙を零してしまった。
慌てて席を立ってから彼女にハンカチを差し出す。
「どうしました?彩葉さん呼びますか?」
「違うの……あの子が、道場に通い始めたころね、車でお迎えの帰りに森ノ木公園の前を通ると、いつもめいちゃんがいるって言ってて……」
確かに、あの頃はまだ初の家に入り浸ることもできずに、森ノ木公園が改装工事に入るまではよく入り浸っていた。
なるべく帰りを遅らせようと、ツリーハウスの中で時間を潰していたのだ。
「どうしてこんな遅くにいるんだろうって、紅葉ちゃんの学校に連絡を入れたりもしてたの。けど、まともに取り合ってもらえなくて……それからすぐに改装工事が始まったから、あなたがどうなったのかも分からなかった。中学で彩葉と試合で戦っているのを見て、大丈夫なのかなって思ってたんだけど……この前、あの子がめいぷるちゃんの過去を教えてくれたの」
ごめんね、と彩葉の母親は謝罪の言葉を口にした。
何も悪い事なんてしていないというのに、きっと罪悪感で涙を流してしまっているのだ。
「もっと早く……助けてあげられたのかもしれないのに、大人が気づいて、気に掛けてあげないといけなかったのに……本当にごめんね」
紅葉のために、彼女は涙を流してくれているのだ。
境遇に同情をして、罪悪感に苛まれてしまっている。
そっと、彩葉の母親の手に自身の手を重ねる。
どうか、紅葉のために泣かないで欲しい。
その気持ちだけで、十分紅葉は救われるのだ。
「……いいんです。あた……私確かにその、色々なことがあったけど、たぶんこうやって生きてなきゃ彩葉さんと恋人になれなかったと思うから。こうやって生きてきたから、夢が出来ました。彩葉さんと一緒に生きていきたいって……幸せになりたいって、心の底から思えるんだと思います」
「紅葉ちゃん……」
「確かにその、はたから見たら可愛そうかもしれないんですけど、あたしは今幸せだからそれでいいんです。過去はちゃんと、彩葉さんのおかげで乗り越えられたから」
心の底から、ありのままに思ったことを告げる。
紅葉はもう、可哀そうな子供ではないことを、どうか分かって欲しかったのだ。
過去が悲惨だろうと、それはあくまで過去のことで、今の紅葉は十分幸せなのだ。
だから泣かないでと言えば、彩葉の母親はそっと笑みを浮かべて見せた。
瞳からは涙がこぼれたままだけど、心が軽くなっているのが傍から見ても分かる。
「……また、いつでも来てね。少しずつ、めいぷるちゃんにとって居心地のいい場所になってもらえるように、私も頑張るから」
もう十分すぎるというのに、本当に根が優しい人なのだろう。
きっと、彩葉の優しさもこの家庭が作り出したのだ。
あの時、紅葉が人生に絶望をしていた時に、確かに紅葉のことを考えてくれていた大人はいたのだ。
苦しかった中学時代も、一人ではなかった。
ずっと紅葉を案じてくれていた人たちが、確かに存在していたのだ。
それだけで、どこか救われたような気がしていた。
途中まで送ってくれるという言葉に甘えて、紅葉は彩葉と並んで帰路を歩いていた。
左手には余ったケーキを詰めたタッパーが入った紙袋が握られていて、右手は彩葉と繋がっている。
「ありがとね、すごい楽しかった」
「こちらこそ。二人ともめいちゃんのこと気にいってたよ」
「だといいな。すごい優しい人たちだね」
「めいちゃんだから、優しかったんだよ。めいちゃんだからあんなに気に入って、優しくしてくれたんだよ。だから、もっと自信もって」
本当に、彩葉は人を褒めるのが上手だ。
目をしっかりと見つめて、惜しまずに相手を褒める言葉を口にしてくれる。
こそばゆいけれど、それが紅葉は嬉しかった。
「またいつでも来てね」
「いいの?」
「うん、お姉ちゃんの彼氏もよく来るし、タイミングが合えば五人で話せるかも。お父さんは仕事忙しいから、滅多に会えないんだけど……」
どうやら、彩葉の父親はカメラマンで世界中を飛び回っているらしい。
けれど紅葉のことは電話で話しているそうで、帰ってきたときには会いたいと楽しみにしてくれてるそうだ。
「あのさ、突拍子もないこと言っていい?」
「なに、突然」
「高校卒業したら、一緒に住みたいの。私の家、高校卒業したら一人暮らしをするって約束だから……」
彩葉の姉の紗彩も、現在は家を出て一人暮らしをしているそうだ。
けれど最近は彼氏と半同棲状態になっているらしく、それは彼女達の両親も公認の中らしい。
「うーん、そうだな……」
悩むふりをすれば、彩葉がどこか不安そうに眉根を寄せてしまう。
そんな彼女を安心させてあげたくて、思い切り笑みを浮かべてから、彩葉にとって嬉しい言葉を口にした。
これでようやく、本当の意味で幸せになれるのかもしれない。
幸せにしてもらうのではなく、してあげるのでもない。
彩葉と共に、一緒に幸せになりたかった。
紅葉の言葉を聞くや否や、彩葉が嬉しそうに口角を上げる。
ころころ変わる彩葉の表情を眺めていれば、無性に彼女に対する愛おしさがこみ上げた。
ただ変哲もない道を歩いているだけなのに、彩葉が隣にいるだけで心は酷く温かい。
好きな人が直ぐそばにいるという、当たり前のようで奇跡的な幸せを、紅葉はしっかりと胸に刻み込んでいた。
(了)
DQN育成計画 ひのはら @meru-0731
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