第47話
過去と向き合ったことで、紅葉は自身の心がかなり楽になっていることを実感していた。
今までずっと目を背けてきたけれど、彩葉のおかげで対峙することができて、自身の心を整理することができた。
逃げ続けても、成長できないこと。
背中を向け続けても、前を向けないことを、痛い程分からせられる。
だからこそ、紅葉はあと一人、彼に会って謝りたいと考えていた。
きっと、あの人に会わなければ、本当の意味で紅葉が前を向くことにはならないのだ。
夕飯時、初が慣れない手つきで作ってくれた明太子クリームスパゲッティを口に含む。
麺の肩さは丁度良く、何より味付けがかなり良くできている。
不安そうにこちらの動向を伺っている初に、両手で大きく丸を作ってやれば、彼は安心したようにガッツポーズをした。
「よっしゃ。ちゃんと調べて作ったかいがあったわ」
「めちゃくちゃ美味しいよ。レシピあとで送って」
トッピングで散らされた刻みのりがアクセントになっていて、更に美味しさを引き立てる。
将来のために交代制で料理をするようになったけれど、意外なことに初のほうがめきめきと腕を上げているのだ。
おまけにスーパーで安く食材を仕入れるのも楽しいらしく、買い出しも率先して初が行ってくれるようになっていた。
「めいって、来週の誕生日どうすんの」
「当日は彩葉と過ごすよ。けど……前の日に彩葉の家でお祝いすることになってる」
「水野の家って二人で?」
「ううん……お父さん以外の家族みんないるって」
その提案を受けたのは、数日前のこと。
当日は色々なところへ遊びに行こうという話にはなっていたが、まさか前倒しで家族総出になってお祝いをしてくれることになるなんて思いもしなかった。
どうやら彩葉の両親は娘の初めての恋人に酷く喜んでいるようで、ぜひ会わせてほしいと迫られたそうだ。
紅葉としては恋人の両親にはぜひ会ってみたいが、やはり緊張してしまう。
大切な人の大切な人には良い印象を抱いてもらいたかったのだ。
「楽しんで来いよ。てかさ、昨日駅であの人見たよ」
「あの人?」
「めいがお世話になってた、師範。相変わらず顔つき険しかったな」
師範というのは、紅葉が小学生の頃から教室にて柔道を教えてくれて、大変お世話になった相手だ。
初は紅葉の大会に何度か足を運んでいたため、師範と話したことはなくとも顔なじみなのだ。
「最後に会ったのって、めいが柔道やめてからだっけ」
「ううん……辞める前。もう辞めるからここにも来ないって、理由も言わずに行かなくなった」
あの頃、両親との決定的な亀裂や、学校での酷い仕打ちに打ちのめされた紅葉の精神状態はかなり荒れていた。
全てがどうでもよくなって、どうせ誰も紅葉のことを信じてくれない、守ってくれないと、全てにおいて投げやりになってしまっていたのだ。
「……会いたいとか、思わねえの」
「……ちゃんと謝りたい。お金も、返したいし」
「あの爺さん、めいのこと孫みたいに可愛がってくれてたもんな」
あまりピンとこずに、首を傾げる。
師範はいつも厳しくて、優しくされた記憶何てほとんどない。
指導は常にスパルタで、弱音を吐くたびによく怒られたものだ。
「それはないでしょ」
「いや、めちゃくちゃ可愛がってただろ。あのさ、普通柔道教室の先生が、教え子の部活の費用肩代わりとかしてくれねえからな?道着だって全部貸してもらってたんだろ」
「それは、筋があるからって……お金が無いのを理由に部活できないの、可哀そうって思われたんでしょ」
「そうだよ。けど、自分の娘でも孫でもない子供に普通そこまでしないって……めいさ、自分が思っているよりも周りの人に愛されてて恵まれていること、ちゃんと自覚した方が良いぞ」
言い返す言葉が見当たらず、グッと押し黙る。
当時自覚は無かったけれど、言われてみればあれは確かに特別扱いだった。
初めて紅葉が柔道に触れたのは小学四年生の時。
公民館にて、柔道の体験教室が無料で行われることを聞きつけて、放課後に一人で足を運んだのだ。
予約もせずに飛び込み参加だったというのに、師範は紅葉を招き入れて丁寧に教えてくれた。
けれど、多くの子供が保護者に付き添われる中、一人で参加をしているのは紅葉のみだったため、彼はどこか引っ掛かりを覚えたのだろう。
どうして柔道をやりたいのかと問われて、紅葉は正直にお母さんを守りたいから、と答えたのだ。
それに何かを察したのか、師範は紅葉を自身の柔道教室に通わせてくれるようになった。
月謝も道着も、すべてを肩代わりしてくれて、出世払いでいいからとタダで練習に参加させてくれた。
中学に上がる頃には、お金がないからと部活に入ることを諦めていた紅葉のために、部費も全て払ってくれたのだ。
滅多に笑わずに厳しい人だったけれど、酷いことはしない。
理由のない暴力を嫌って、自分自身と大切な人を守るために力を付けなさいと、教えてくれたのは師範だった。
自身が持つ力をひけらかさず、正義感の強い師範のことを尊敬して、あんな風になりたいと本気で思っていたというのに、紅葉は彼に対して恩を仇で返すような真似をしてしまった。
やはり、きちんと会って謝りたい。師範と向き合わない限り、紅葉が本当の意味で前を進めることにはならないような気がした。
それに、ちゃんとお礼を言いたいのだ。師範がいなければ、きっと紅葉はとうの昔に腐ってしまっていただろう。
彼のおかげで、ぎりぎりのところを踏みとどまることができた。大切な人と、出会うことができたのだ。
だからこそ、師範である
今更もう遅いかもしれないけれど、きちんと逃げずに向き合いたいのだ。
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