第43話


 A組の教室の扉を開けば、中には当番の彩葉以外誰もいなかった。


 教室には机が沢山並べられていて、その上に生徒が作成した成長記録が飾られている。


 小学校時代と、中学校時代。

 そして、今の三枚の写真を、各生徒が持ち寄って思い思いにデザインをして並べるのだ。


 ただ平置きにしているだけの生徒もいれば、色画用紙を駆使して可愛らしくデコレーションをしているものもある。


 「めいちゃん~、お客さん来なさ過ぎて暇だよ」

 「そりゃあ、知らない人の成長記録見に来る人いないでしょ」


 高校生にもなれば、行事の際に来場する保護者の数も減る。

 実際、中学の頃に比べたら大人はあまり訪れていないように思えた。


 「やっぱりそうだよね……甚平可愛いね、夏祭りで見れなかったから嬉しい」

 「普通だし」


 照れくささから、ついそっけない返事を返してしまう。


 素直になるのが下手なのは、紅葉の悪い癖だ。

 焼きそばを彩葉に手渡してから、ぐるりと教室の展示を眺める。


 彩葉のものを探していれば、隅っこの方に様々な色画用紙で装飾が施された作品を見つける。そして、並べられている写真におもわず目を疑った。


 「え……これ、いつ撮ったの?」

 「森ノ木公園だと思う。私もあんまり覚えてないんだけど、家にあったの。画質からしてフィルムカメラかな?自分たちで自撮りしてるから、変な角度だけど」


 高校生の頃の写真は、以前夏祭りに行った際に撮影をしたものだ。

 浴衣を纏って、りんご飴を片手にしている彩葉の姿が記憶に新しい。


 勿論、紅葉も一緒に映っていて、途端に懐かしさがこみ上げた。


 中学生の頃のものは柔道の大会後、優勝者と準優勝者の記念として撮影されたもので、道着を纏った二人はどこか幼さを残している。


 そして、小学生の二人の写真。

 紅葉はにゃんぴょんというキャラクターのTシャツを身に着けていて、まだ背の低かった彩葉と並んで映っている。


 フィルムカメラで撮った写真は画質が悪ったけれど、それでもあの頃の二人にとっては大切な一枚なのだ。


 彩葉の成長記録には、全て紅葉の姿がある。

 それは紅葉にも言えることで、共に支え合って、ここまで成長をしてきたのだ。


 きっと、互いがいなければもっと違う未来を歩んでいた。色々あったけれど、互いのおかげで今があるのだ。


 「ありがとう、彩葉」


 色々な想いを込めて、彼女にこの五文字を送る。

 

 出会ってくれて、手を差し伸べてくれてありがとう。

 信じてくれて、守ってくれてありがとう。


 他にもたくさんの意味がこの言葉には込められていた。

 ふんわりと、優しく彩葉が微笑んでくれる。彩葉の笑った顔が、紅葉はどうしようもなく好きなのだ。


 「けど、ほんとうに懐かしいよね。私、この頃ケーキ屋さんになりたいとか言ってた気がする」

 「それが今や弁護士か」


 沢山努力をして、成長するにつれて新たな夢を見つけたのだ。

 幼い頃の夢というのは何とも無謀で、現実問題なんて考えずに夢を抱いてしまうものなのだ。


 この頃、一体自分は何になりたかったのだろう。両親と暮らしていたあの頃の紅葉が抱いていた感情。

 

 理不尽な社会や、周囲との格差に希望を見いだせなかった紅葉が、何を考えていたのか。


 「あ……」


 途端に、記憶が蘇る。

 当時の紅葉の夢。

 何を考えて、どんな感情で生きていたのか。

 当時の想いがこみ上げて、ギュッと胸が締め付けられる。


 誰も助けてくれずに苦しかったあの頃、自身が卒業文集に何を書いたのかを思い出す。


 「私、夢あった。私とか初みたいな子供……助けてあげたいって思ってたの。自分と同じ思いをしている子供を、大人になったら助けたいって」

 「ソーシャルワーカーとか……そういう福祉のお仕事ってこと?」

 「うん……なんだ、私夢あったんだ」


 どこかストンと腑に落ちる。夢はもう、とっくにあったのだ。

 気づかずに目を背けていただけで、ずっと前から紅葉の中で芽生えていた。


 「……きっとなれると思う。だって、めいちゃんはヒーローだもん」


 ヒーローなんて紅葉には大層すぎるけれど、彩葉に言われるとどこか自信に変わってしまうから不思議だ。

 夢に向かって頑張る努力をする決意が、ようやく固まる。



 目標は決まったのだから、後はもう頑張るだけだ。身を引き締めて、改めて気を持ち直す。


 簡単な道ではないことも、並大抵な覚悟で務まる仕事でもないことは分かっている。


 それでも、紅葉の意志は変わらなかった。自分のように傷ついた子供たちに寄り添って、支えてあげたかったのだ。


 文化祭を終えて、紅葉は進路調査票に福祉の大学と記載をして提出した。


 あと数週間後には三者面談が行われるため、それまでにいくつか候補を見つけておかなければならない。 


 ネットで色々な大学のパンフレットを取り寄せるなど、紅葉は本格的に大学進学に向けての準備を進めていた。


 調べるうちに、学生向けの奨学金であれば利子がないことを知る。

 国立大学を第一希望にして、滑り止めとして私立大学を受験するのも有りかもしれない。


 頑張れば特待生の制度を利用することだってできるし、今までバイト代はあまり使いこんでいなかったため貯金も溜まっている。


 大学進学何て考えたことも無かったというのに、目標が生まれただけでこんなにもやる気が満ち溢れてくるのだから不思議だ。


 キャメル色のセーターを纏った紅葉は、先ほど購入した参考書をリュックサックに詰め直していた。

 

 もう季節は秋で、ブレザーとまではいかなくても、セーターがなければかなり肌寒くなってしまっている。


 彩葉も、ネイビーのカーディガンを羽織っていて、季節の移ろいを感じていた。


 「ありがとね。どの参考書がいいのかよく分かんなかったから、すごく助かった」


 受験勉強のために用いる参考書を、本屋で彩葉に選んでもらったのだ。


 以前一人で訪れた際に、あまりの種類の多さに圧倒されてしまい、こうして彩葉に頼ってしまっていた。


 「全然いいよ。めいちゃん、大学行くんだね」

 「うん、資格取るためにはそれが一番だし、ここまで勉強してきたんだから、せっかくだしいけるところまで行きたい」

 「応援してるね。分からないところがあったら聞いて」


 自分の勉強だってあるというのに、本当に彩葉は優しいのだ。


 受験まであと一年半ほどだが、今まで勉強をさぼっていた紅葉にとっては短いのだ。


 これからは今まで以上に頑張らなければと自身を鼓舞していれば、スカートのポケットに入っていたスマートフォンが振動し始める。


 マナーモードにしているため音は鳴らなかったが、この長さは間違いなく電話だろう。


 取り出して画面を覗き込めば、そこに表示されている発信者の名前に、紅葉は思わず眉根を寄せた。


 「誰から?」

 「まだ……ぎりぎり日本語が通じる方の親戚」


 つい皮肉を込めてしまう。

 紅葉の父親側の親戚である彼女とは、お互いに連絡先を交換し合ってはいるものの、今まで一度も電話が掛かってきたことはなかった。


 年末年始に親戚同士で集まった記憶もあまりなく、世間一般に比べればだいぶ希薄な親戚付き合いだったのだ。


 両親が離婚をしてからはまったく交流が無かったというのに、一体何の用だと恐る恐る電話に出る。


 『もしもし?めいぷるさ、最近父親に会った?』

 「会うわけないじゃん。何の用」

 「あの人、もうすぐ死ぬよ」


 死ぬという二文字に、自身の頭が真っ白になるのが分かった。


 ショックというよりは、ひたすらに衝撃を受けているのだ。


 「なんかお酒の飲み過ぎで、肝炎だっけ?なんかそんな感じの拗らせたらしいよ」

 「いつから?」

 「えー、結構前?病院行けって言ってんのに、お金無いの一点張りで、しかもお酒が原因なのにまだガバガバ飲んでるらしいよ」


 馬鹿だよねと親戚は笑っているが、紅葉はちっとも笑えなかった。


 最後に会ったのは中学二年生の頃だが、まさかたった三年会わない間にこんなことになっているなんて思いもしなかったのだ。


 「……考えとく」


 曖昧な返事をして、電話を切る。


 グラグラと地面が揺れているような錯覚に襲われるが、なんとか力を込めて踏ん張る。


 あの父親が、死ぬ。


 あれほど嫌っていて、この世からいなくなってしまえばいいと思う程恨んでいたというのに、いざ現実になると戸惑ってしまっているのだ。


 「めいちゃん、顔色悪いよ?」


 心配そうに、彩葉に顔を覗き込まれる。きっと、側にいた彼女には電話の内容は聞こえてしまっている。


 あえて聞かずに、紅葉の心境を心配してくれているのだ。


 どうすればいいのか、紅葉一人では抱え込むことができなかった。


 憎い父親に最後に会うべきなのか、このまま会わずに前だけを見据えるべきなのか。


 「彩葉……どうしよう」

 「うん……声、聞こえてたよ。お父さん、危ないの?」


 正直に首を縦に振れば、手を引かれて近くのカフェテリアまで連れていかれる。

 席に座らされて待っていれば、彩葉が注文口でホットココアを二つ買ってきてくれた。 


 気遣い上手な彼女は、紅葉が落ち着いて話せるように場を整えてくれたのだ。


 「ありがとう……」

 「気にしないで……落ち着いた?」

 「うん、さっきよりは……」


 一口飲み込めば、途端に温かいホットココアが口内に広がっていく。少し甘ったるいけれど、寒い季節にはそれが美味しいのだ。


 「……一人で抱え込むの、もう……辛い」

 「いいよ。ちょっとずつでいいから、話して」


 柔らかい彩葉の声色に、紅葉の心はほぐれていく。今まで堪えて我慢していたものを、彼女の前では抑えきれなくなってしまうのだ。


 「あのね……」


 ぽつりと、一つ言葉を零す。それを引き金に、紅葉は今まで合ったことを少しずつ打ち明け始めた。

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