第40話


 修学旅行の全日程が終了して、東京に戻ってきた紅葉はもとの生活に戻りつつあった。  


 代休である一日休暇を満喫した後、通常授業を受けるために学校へと向かう。


 ジャケットを着るほどではないが、長袖でないと肌寒い。


 温度で季節の移ろいを感じながら、下駄箱にて靴を履き替えていれば、背後から「おはよう」と声を掛けられる。


 振り向けば、そこには以前紬といるときに声を掛けてくれた女子生徒が立っていた。


 「おはよう」

 「みて、これめいぷるが教えてくれたアイシャドウ。超かわいい」


 左目を瞑って、分かりやすいように顔を近づけて見せてくれる。


 淡いパープル色のアイシャドウで、大きめのキラキラとしたラメがとても良く似合っていた。


 修学旅行の一件以来、周囲からの反応は確かに変わった。


 親しみを持って接してくれているのが分かるし、少しずつ打ち解けることができている。


 本音を言うと「めいぷる」呼びはやめて欲しいけれど、親しくなったばかりの彼女たちには強く言えず、気づけば浸透してしまっているのだ。


 一人で教室への道を歩いて入れば、再び「めいぷるちゃん」と声を掛けられる。


 しかし、振り向かずともそれが誰の声なのかは分かっていた。


 「……彩葉までその呼び方やめてよ」

 「だって、私もみんなみたいに読んでみたかったから……だめ?」


 あざとく首を傾げられ、つい「たまになら……」と譲歩してしまう。


 恐らく、彩葉も可愛らしく頼み込めば紅葉が折れると分かってやっているのだ。


 お互い、一緒にいるうちに互いの行動パターンは何となく分かるようになっている。


 「今日玉那覇くんは一緒じゃないの?」

 「寝坊してたから、置いてきた。たぶん、今頃走って向かってるよ」


 何度も起こしたというのに、昨晩ずっとゲームに明け暮れていた初は案の定、目を覚ますことができなかったのだ。


 そして、起きるのと同時に「何で起こしてくれなかったんだよ」と抗議をされ、腹が立って置いてきたのである。


 「足速いし、たぶん間に合うよ」

 「だといいね。そうだ、私今日ね、放課後に風紀委員の集まりがあるの。一緒に帰れないから、屋上でお昼ご飯食べない?」

 「わかった、終わったらそっちのクラスに行くね」


 約束をしてから、教室前で彩葉と別れる。付き合うようになって、特別なにか変わったわけではない。


 よくある少女漫画で、付き合いたてに甘酸っぱい空気間が流れるだとか、恋人らしい行動が増えるだといったようなことはないのだ。


 依然として彩葉と一緒にいられると心地よくて、愛おしさがこみ上げる。


 それが行動に反映されることはなかったとしても、これから先無条件に彩葉の側にいられることが、紅葉は何よりも嬉しかったのだ。


 担任が来る本当にギリギリのところで、初が滑り込むように教室に入ってくる。どうやら、持ち前の運動神経の良さで間に合うことができたらしい。


 「あっぶね、まだ来てない?」

 「うん。あ、今来た。超ギリギリじゃん」


 乱れた息を治す暇もなく、担任がホームルームを行うために教室内に入ってくる。


 教卓に立って出欠を取った後、本題である話題について話し始めた。


 「来月に行う、文化祭実行委員を決めるぞ」


 紅葉が通う高校で行われる文化祭は、近隣の高校の中では一番盛り上がると言われている。


 といっても、他校があまり力を入れていないだけで、紅葉が通う高校も一般的に想像される文化祭よりは、小さい規模で行われるのだ。


 誰かやりたい奴はいるか、と担任が声を掛けるが、案の定手を上げるものはいない。


 修学旅行の時と同様、面倒くさくて誰もやりたくないのだ。


 またクジ引きになるのだろうかとぼんやりと考えていれば、「指定校推薦狙っている奴はそろそろ内申点稼いどけよ」と担任が言った瞬間、ちらほらと手が上がり始める。


 その様子に驚きつつ、紅葉は前に座っている琉風にそっと耳打ちをした。

  

 「ね、担任さ、今の言葉修学旅行の時も言ってくれたらあたしやらずに済んだんじゃないの?」

 「思った。まあ、いい経験になったし良かったじゃん」


 確かにその通りなので、それ以上言及せずに押し黙る。


 結局、立候補者でじゃんけんをした結果、テニス部の男子生徒が実行委員長に就任することが決まった。


 その様子を眺めながら、また彩葉が押し付けられてはいないだろうかと嫌な考えが過る。

 

 良識のある担任であれば、二回続けて行事の実行委員長をさせるとは思えないけれど、人の良い彼女であれば頼まれたら引き受けてしまうだろう。


 もしまた彩葉が押し付けられてしまっていたら、絶対に紅葉が抗議をしてあげよう。


 他クラスの紅葉が口を出すのはお節介かもしれないけれど、これ以上彩葉に仕事を任せればオーバーワークで手が回らなくなってしまうことは明らかだ。


 今まで彩葉が紅葉を守ってくれていた分、今度は紅葉が彼女を支えてあげたかった。


 それから午前中の授業を全て受け終えてから、約束通り彩葉と屋上で昼食をとる。


 お弁当に入っている唐揚げやミニグラタンは冷凍食品だけれど、卵焼きは試行錯誤しながら紅葉が一生懸命作ったものだ。


 料理はまだまだ初心者だけど、少しずつできる範囲でなるべく努力をするようにしていた。


 「めいちゃん、お弁当自分で作ってるんだね」

 「初と順番でね。コンビニのお弁当って結構高いし、味も飽きてくるからさ」


 とはいうものの、やはり肝心の味はまだまだだ。今日の卵焼きは砂糖を入れ過ぎてしまっていたようで、かなり味が甘い。


 顔をしかめながらなんとか完食して、気になっていた話題を振る。


 「ねえ、彩葉のクラスは文化祭の実行委員もう決めた?」

 「うん、めいちゃんの所も?」

 「決めた。あのさ、彩葉また押し付けられたりしてない?」


 心配している紅葉の気持ちとは裏腹に、彩葉はどこか得意げにピースサインを見せつけてきた。笑みを浮かべていて、その反応で全てを察する。


 「押し付けられそうになったけど、やりたくないって断った」

 「彩葉が……?すごいじゃん」

 「うん、めいちゃん見ていて、私も変わらなきゃって思って」


 ドキドキした、と言いながら、彩葉は自身の胸を撫でおろしている。


 過去のトラウマを持つ彩葉に取っては、きっとすごく勇気が必要な行動だったのだ。

 怖かっただろうに、前を向こうと自身を鼓舞したのだ。


 以前彩葉がしてくれたように、彼女の頭部を優しく撫でてあげる。


 両親が子供にしてあげるように、いい子、いい子という意味を込めて撫で上げた。


 「立場逆転だね」

 「ほんとうだよ。いつも、彩葉に撫でられてばっかりだったから」


 これで少しは、彩葉と対等になれただろうか。恋人として、彩葉に守られるのではなくて、自分の身は自分で守りつつ、きちんと自立をしたいのだ。   


 そうして、自分の力で大切な人を支えられるだけの力が欲しい。


 自分と、大切な誰かを守るための強さは、何も物理的な力だけではない。

 精神面はもちろんのこと、経済面でも安定さが求められるのだ。


 「そういえば、進路調査票配られた?」

 「まだ……早くない?」

 「だってもう高校二年生の秋だよ?全然早くないって。めいちゃんのクラスは放課後に配られるのかな」


 卒業後の進路希望を記載する、進路調査票。


 第一志望から第三志望までを書かされるが、進学校のここでは恐らくほとんどの生徒が、どこかの大学か専門学校の名前を記載するのだろう。


 すでに高校生活は半分を終えてしまっていて、これ以上先送りをすることは難しいと痛切に思う。


 紅葉は、卒業後の進路を決めていない。大学に行くのか、働きに出るのか、それすら何も決まっていなのだ。


 どうやら進路調査票に基づいて、文化祭後には保護者を含んだ三者面談を行われることになっているらしい。


 「彩葉は、弁護士になりたいんだよね」

 「そうだよ、そのために大学に行くの。いくつか候補も決まってるんだ」


 きっと、彩葉だけじゃない。ほとんどの生徒が、自分のこれからについて考えて、自分自身と向き合っているのだ。

 

 自分の将来に関わることなのだから、きちんと真剣に考えないといけないのに。


 一体自分が何になりたいのか、どんな未来を送りたいのか。何をしたいのかよく分かっていない紅葉は焦りを感じてしまっていた。

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