第34話
言われた通りに、紅葉は実行委員長としての仕事を淡々とこなす日々を送っていた。教師に頼まれたことは素直に従って、なるべく怖がらせないようにクラスメイトへの対応にも気を配っているつもりだ。
気づけばあと一週間で修学旅行を迎えようとしているが、今のところ何の問題も起きずに実行委員長としての仕事をこなすことができている。
放課後、B組の教室の隅っこで、紅葉は副委員長の高野紬と旅行中に使用する資料の作成に当たっていた。
といっても、ページ順に並べてホッチキスで留めるだけなので、作業としては何も難しいことはない。
教室内にいるのは紅葉と紬の二人だけで、お互い黙々と作業に取り組んでいた。パチ、パチとホッチキスを留める音がひたすらに鳴り渡る。
「なんかパチパチ聞きすぎて、頭おかしくなりそう」
「それな。てか、なんで俺ら二人だけ?実行委員の奴ら全員でやればいいの」
ごもっともな紬の意見に、紅葉も苦笑いを浮かべる。担当の教師からは、数は少ないため実行委員長と副委員長だけでいいだろうと言われていたのだ。
けれど、実際作業を始めてみれば、数はかなり膨大で、二人でやるには時間がかかってしまうことは明確だった。
けれど、今文句を言っても、すでに他の実行委員の生徒は帰ってしまっている。
仕方なく、紅葉は紬とひたすらに手を動かして数を捌いているのだ。
「ちょっと休んでていいよ」
「……まじ?」
「疲れてやっても効率悪いだけでしょ」
手を止めずに言葉を零せば、紬は自分の頬を叩いてから再び作業に取り掛かっていた。
「……いや、もうちょっとやるわ。あっちの束の分止め終わったら、一緒に休憩しよう」
先ほどから腰や肩を抑えているため、単純作業に疲れていることは明確だというのに。
高野紬がどうして沢山の人から人気があるのか、その理由を垣間見た気がした。
「……めいぷるさ、最近評判良いよ」
「まじ……?」
「おう。ギャルなのに面倒見いいって言われてるし、どんな子なのって色んな奴から聞かれる。興味持ってんだよ、めいぷるに」
今までであれば絶対にあり得なかった、周囲からの良い評価。遠巻きに見られて、ひそひそと陰口を叩かれてばかりだった過去の紅葉からしてみれば、想像も付かないだろう。
「なんかずるいよな。今まで不真面目だとさ、ちょっと真面目にするだけですげえ評価上がるの」
「まあ、それは言い返す言葉無いけど……」
「けど、まあそれが難しいんだろうし、やっぱめいぷるが凄いのか」
なんだかんだ言っても、最終的には紅葉を褒めてくれる。紬のポジティブさでないと、きっとそんな風には思えないだろう。
前向きで、人に優しい。彼のような人こそ、どうにか幸せになれないものかと願わずにはいられない。
「あんた、あの人どうなったの。片思いの人妻」
「まだ人妻じゃねえし……来月までは」
「結婚祝いのプレゼントは?渡したの?」
「まだ……てか、そもそも好きって言えてねえし……もう、言うつもりもないかな」
悲し気に、伏し目がちな瞳でポツリと紬が漏らす。彼が決めたのであれば、紅葉が口出すことではないけれど、やはり切なさは拭えなかった。
「……気まずくなるの、嫌だし。せっかく幸せのピークにいるのに、罪悪感みたいなの抱えちゃったら可哀そうじゃん」
「あんた、本当にいいやつだね……」
きっと、紬だったらまたすぐ素敵な女性と出会えるだろう。その言葉が喉元まで出掛かったが、失恋をして傷心中の彼に言うのは野暮のような気がして、そっと心にとめる。
「……そんなに好きって思えるのって、凄い幸せじゃん」
「おう。まあだからさ、めいぷるも好きな奴とか出来て、そいつと両想いになれたら、すげえ奇跡的なことなんだからな。好きな奴が自分のこと好きって、当たりまえじゃねえんだから」
その言葉が、ジンと心に響く。好きな相手が自分のことを好きということが、どれだけ奇跡的なことなのかを思い知らされたような気がした。
「あのさ、人のこと好きってどういうことか説明できる?」
「えー……むずいけど、一緒に飯食って、普通に遊んでさ。同じ布団で寝たいなって思う相手のことじゃねえの?なんか、そいつとだったらスーパーの帰り道も歩いていて楽しいって思える……そういう感じ?嫌いな奴と食べるフルコースよりも、好きなやつと食べるコンビニアイスの方が美味いんだよ」
「高野、フルコース食べたことあるの?」
「あるわけないじゃん」
正直な返事に、思わず笑ってしまう。だけど、彼が伝えたいことは十分紅葉に伝わっていた。
相手のことも、相手と過ごす時間も、全てを愛おしと思うことが好きなのだとしたら、もう答えはとっくに決まっていたのかもしれない。
「じゃあ、好きな人と食べるフルコースってめちゃくちゃ美味しいのかな」
「やばいだろうな。たぶん、ひっくり返るくらい美味い」
「なにそれ」
紅葉が笑えば、紬も釣られたように笑みを浮かべた。失恋をしても、立ち止まらずに前を向いて歩こうとしている彼に、どうか素敵な相手が現れますように、とついそんなことを願ってしまっていた。
全ての作業を終えたのは既に日が暮れ始めている夕方頃だった。職員室に完成した資料を持って行ってから、紬とはその場で解散となる。
学校を出た紅葉は、真っすぐに家には帰らずにある場所へ向かっていた。
ずっと前から芽生えていて、目を逸らしていたそれと向き合う覚悟を、ようやく決めることができたのだ。
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