第26話


 その日も初と紅葉は昼食後、参考書に取り組んでいた。お昼ご飯は素麵で、二人にしては自炊をしたのだ。


 最近は不器用ながらに、簡単な料理を作るようになっていた。コンビニ弁当ばかりでは、味に飽きてしまうというのが最大の理由だ。


 問題を解いていれば、向かいに腰を掛けている初が眉間にしわを寄せて、悩んでいることに気づいた。

 二人とも散々勉強することをサボっていたため、そのツケが今回ってきているのだ。


 「ここ、分かる?」

 「あたしもそこ引っ掛かってた。難しいよね」

 「夏休みだから先生にも聞けないしな」


 それから暫く問題と格闘するが、一向に解ける気配はない。

 回答を見ても、答えは載っているが解説が記載されていないため、どうしてこの答えになるか分からないのだ。


 悩んだ末、紅葉は彩葉に連絡アプリで聞くことにした。彼女であればすぐに解けてしまうだろうし、悩んでいる時間がもったいない。


 また、これをきっかけに連絡を取れるという下心がないといったら嘘になる。

 もうすぐ夏休みも終わってしまうが、もう一回くらい彩葉とどこか遊びに行きたいと思っていたのだ。


 「あ、返事来た」


 すぐに返信が着て、アプリを開く。てっきり解説が書いてあると思ったのに、そこには『教えてあげるから、明日うちに来ない?』という誘いの文面だった。


 彩葉の家に行くのは初めてだと、一人で舞い上がって二つ返事の連絡を入れる。


 「水野、なんて?」

 「明日、彩葉が家で直接教えてくれるって。他にも分からないところあったら教えてくれるらしいから、ルーズリーフとかに纏めとこ」

 「まじか。お礼言っといて」

 「え、初は来ないの?」


 てっきり、初も含んだ三人で勉強会をするのだとばかり思い込んでいた。しかし、初は違ったようで変な表情を浮かべてしまう。


 「いや、俺邪魔だろ?何考えてんの」

 「え……なんで邪魔なの」

 「だってお前ら……いや、もしかして……まじか」


 ぶつぶつと独り言を言った後、どこか腑に落ちたように納得してしまっている。

 しかし、紅葉は一体初が何に引っ掛かったのかも良く分からなかった。


 どれだけ問い詰めても答えてくれず、しまいにはひとりで行けの一点張り。しつこくして怒らせてしまうのも嫌だったため、大人しく引き下がる。


 


 結局、あの初の反応は何だったのだろうかという疑問を募らせながら、紅葉は翌日に彩葉の家に向かっていた。


 送られてきた住所を地図アプリに入力をして、真夏日の炎天下の中足を進める。

 紅葉たちが住む家の一つ隣の駅で、徒歩三十分ほどの距離。


 バスを使うことも悩んだが、ちょうどいい時間のものが無かったため、仕方なく徒歩で向かっていた。


 森ノ木公園を抜けて、そこから十分ほど歩いたところで、地図アプリは案内をやめてしまった。どうやら、ここが彩葉の住む家らしい。

  

 「でか……」


 思わず言葉が零れる。三階建てほどの一軒家は酷く立派で、周囲の家に比べても明らかに敷地面積が大きい。噂では聞いていたが、やはり彩葉は良い所の娘さんなのだ。


 インターホンを押してからワンテンポおいて、彩葉が出迎えてくれた。紅葉を見るや嬉しそうに顔をほころばせていて、素直に感情を表す彼女に可愛らしさを感じてしまう。


 「いらっしゃい、めいちゃん。入って入って」

 「ごめん、わざわざ家まで来ちゃって」

 「謝らないでよ。めいちゃんが頼ってくれてすごく嬉しい。今日はうち、誰もいないから、ゆっくりしていってね」


 部屋に招き入れられて、用意されたスリッパに履き替える。ふかふかの感触に、値段が張るものであることは明らかだった。

 

 広い天井が広がる廊下を抜けて、階段を上ってから彩葉の部屋に案内される。


 先に座っていて、と一人部屋に残されるが、個人部屋にしては広すぎるスペースにそわそわとしてしまう。

 どこか落ち着かない中、ベッドの側に置かれていたローテーブルの前に腰を下ろした。ベッドを背もたれに、柔らかいマットに体重を預ける。


 それからすぐに飲み物を手にした彩葉が現れる。中身はミルクティーだそうで、ひんやりと冷たいのか、グラスには水滴が滴っていた。


 「暑かったでしょう。これ飲んでね」

 「ありがとう……いただきます」

 「それで、どこが分からないの?」


 鞄からルーズリーフを取り出していれば、彩葉は紅葉のすぐ隣に座りこんだ。今にも肩が触れ合いそうなくらい近い距離。


 広い室内には他にも座る場所があるというのに。


 「近くない……?」

 「そんなことないって。ほら、見せて」


 ルーズリーフを素直に渡せば、すぐに彩葉が解説を始めてくれる。

 見たことがある問題だったのかは定かではないが、一目見ただけでこんなにもスラスラ解けてしまう彩葉には素直に尊敬の念を抱いてしまう。


 「彩葉、本当にすごいね。あたしが分かんなかった問題、こんなにあっという間に解けちゃうんだ」

 「めいちゃんだって、すごく理解力あるよ。教えていて気持ちいい」


 そのまま次の問題に入ると思っていたのに、手に温もりを感じて紅葉は咄嗟に顔を上げた。

 近い距離で感じる彩葉の温もりで、一気に心臓がバクバクと高鳴り始める。


 「い、彩葉……?」

 「名前、読んでくれるようになったね」

 「だって、読んでいいって言ったじゃん」

 「うん……ねぇ、花火の時のこと、考えてくれた?」


 彩葉の言葉に、どきりと胸が跳ねる。一緒にいると、どこかドキドキして、胸がキュッと締め付けるような感覚に襲われるこれが何なのか。


 考えておくように言われていたのに、紅葉はどれだけ考えても分からずに結局後回しにしてしまったのだ。


 「えっと……」

 「その反応、考えてなかったんでしょ。酷いなぁ」

 「だって、こんなの初めてだからよく分かんないし」


 取り繕わずに、そのまま想いを口にする。少し投げやりな返事をしてしまったことに後悔した時、突然体に衝撃が走って目を見開いた。


 どうやら背中に疎い痛みが走ったようで、視界いっぱいには彩葉越しに天井が広がっている。


 手首は彩葉に抑え込まれていて、そこでようやく彼女に押し倒されていることに気づいた。


 「え……」

 「鈍感なめいちゃんは、これくらいされないと分からない?」


 少しずつ、彩葉の顔が近づいてくる。彼女は何をしようか気づいた時には、唇にふにゃりと柔らかい感触のものがくっついてしまっていた。


 暫くして、ゆっくりと唇が離れていく。どうしてキスをされたのか。ようやく正気になって、一気に頬を赤く染め上げる。


 「え、え……なんで?」

 「は?これでも分かんないの」


 どこか苛立ったように、彩葉が表情を歪める。その姿を見て、まるで自分が悪いことをしたような気分にさせられた。


 「ごめん……」

 「思っても無いのに、謝らないで。めいちゃんの鈍感なところ、可愛いけど……ここまで気づいてもらえないとさすがにショックなんだけど」


 ギリッと掴まれている手に力を込められる。途端に痛みが走って、振りほどこうにもビクともしない。


 「いたっ……」

 「めいちゃん、柔道やめてもう三年近く経ってるでしょ?私、もう引退したけどついこの前まで現役だったから」

 「ねぇ、痛いって……」

 「ほいほい家に来たらこういうことされるんだよ?あんな会話の後なんだから、家に来るための口実なのかなとか考えちゃうじゃん」

 「なんで、友達相手にそんな色々考えないといけないの」


 一方的に責められて言い返せば、彩葉が深くため息をついた。

 そして、どこか諦めたように眉間にしわを寄せて、再び紅葉の唇に自身のものを押し付けてくる。体を捩って、逃れようにも力の差は歴然だった。


 唇に生暖かいものが触れて、彼女の意図を察して必死に口を閉じ続ける。

 それをしてしまえば、もう絶対に友達には戻れないと思ったからだ。


 必死に舌の侵入を拒む紅葉に、ようやく観念したように彩葉が唇を離した。

 初めてのキスに、平常心を保つことが出来ない中で、震える声で彩葉に問う。


 「なんで、こんなことすんの。友達同士でべろちゅーとか、おかしいって」

 「……めいちゃんは、私が友達相手にそんなことすると思う?」

 「え……」

 「今日はもう、帰って」


 先ほどの強い力が嘘みたいに、みるみるうちに押さえつけられていた力が弱まっていく。

 すぐに体を起こして、持ってきていたトートバックを引っ掴んでから、家を飛び出した。


 外はもう夕暮れで、先ほどよりは気温も下がっているというのに、紅葉は体が熱くてしょうがなかった。


 汗がじんわりと滲みだしていて、自分の頬が赤らんでいるのが分かる。


 紅葉の彩葉に対する感情は、まるで男女関係の間に抱くそれのようだと、自分でも何となくわかっていた。


 そういった感情を抱いたことはなかったけれど、今まで見た映画やドラマで、主人公が抱く恋心と自分のそれが似ていたからだ。


 けれど、初恋もまだな紅葉はそれを友達の彩葉に抱いているなんて思いもしなかった。

 そして、先ほどの会話からして彩葉も紅葉と同じ気持ちを寄せてくれている。

 

 「なにこれ……」


 未だに激しくなり続ける自身の胸をぎゅっと抑える。

 好きだとか、恋だとか。

 今まで一度も抱いたことがない紅葉はまだ自信を持って言うことができない。


 きっと、限りなくそれに近いのは確かだというのに、直接彼女に告げるにはまだどこかフワフワとしてしまっているのだ。


 それがなによりもどかしくて堪らない。

 夏はもうすぐ終わるというのに、紅葉の心は未だに熱く火照ってしまっていた。

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