第22話


 スマートフォンに連絡を入れても返事はなく、既読の文字も付かない。

 一体どこで何をしているのか。危ない目にあっていないだろうかと不安が募る。気づけば初の消息が付かないまま、三日間も日付が経ってしまっていた。


 上手く寝付くことができずに、食事も喉を通らない。もう二度と帰ってこなかったらと、酷く嫌な未来を想像してしまう。


 このままずっと、この家に一人でいるのだろうか。どんどん悪い方に考えて、気分が沈み込んでいく。


 部屋の隅で蹲っていれば、スマートフォンから通知音が響いた。連絡を告げるもので、急いで確認をする。


 「彩葉……?」


 不思議に思ってトーク画面を開けば、『今日、17時からだよね?楽しみにしてるね』とメッセージが送られてきている。


 スケジュール帳を確認をすれば、今日は彩葉と夜ご飯を食べる約束をしている日だった。


 こんな状態で会っても上手く笑える自信がない。一瞬、断るという選択肢が脳裏に過るが、当日にキャンセルをするのは凄く失礼だと考えを改める。


 このままずっと一人でいても、どんどん思考が悪い方に進んでしまうのも目に見えていた。


 待ち合わせ時間に駅へと向かえば、彩葉はいつも通り先に到着していた。紅葉を見つけるやいなや嬉しそうに微笑む彼女の姿を見て、やはり断らなくて良かったと思ってしまう。


 紅葉も必死に口角を上げて見せるが、上手く笑えているか分からなかった。頬が引き攣って、気分も相変わらず晴れないままだ。


 心配を掛けてはいけないと、必死に取り繕うが、紅葉の変化を彼女が見過ごすはずもない。


 「めいちゃん……」


 カフェテリアでの食事中。持っていたパスタ用のフォークを置いて、彩葉が心配そうな視線をこちらに向けた。


 「なにかあった?」

 「何のこと」

 「元気ないし、ご飯も全然食べてないから」


 指摘されて、自分の前にあるハンバーグがまったく減っていないことに気づいた。気分が沈んでいるせいで、食べる気力が湧いてこないのだ。


 「何か、辛い事でもあった?」

 「……えっと」


 本当は、一人で抱え込むのが苦しくて、今にも溢れ出してしまいそうだった。けれど、今の紅葉の悩みを伝えれば、必然的に初と紅葉が一緒に暮らしていることも伝えなければいけない。


 この前の相川の反応から、それが世間一般的には非難されてしまうことだと知ってしまった。あの反応を見た後なため、彩葉にも同じように軽蔑されたらと怖くなってしまったのだ。


 言葉を詰まらせる紅葉に、彩葉は安心させるように優しい声色で言葉を紡いだ。


 「大丈夫、なにがあっても、めいちゃんのこと嫌ったりしないから」

 「でも……」

 「信じて、話してほしい」


 お願いと、と言葉を続ける彩葉が、嘘を突いているとは思えなかった。いや、もしかしたら自分がそう思いたいだけなのかもしれない。


 彼女であれば、紅葉のことを受け入れてくれる。そんな希望を抱いて、勇気を出して話し始める。


 初と一緒に暮らしていること。相川にそれがバレて、軽蔑されてしまったこと。


 そのショックを初にぶつけて、口論になった末に出て行ってしまったことも、全てを順序立てて説明する。


 「あたしが、初の家に転がり込んでるの。帰る場所、ないから」

 「……そうだったんだ」

 「家庭環境あんまり良くなくて。……小学校の頃さ、上履き小さくなっても買ってもらえなくて、いつも踵を潰して履いてたし。家庭科の授業で作るナップザックの費用も払えないみたいな……そういう家だったの、あたしたち。だから二人でいつも傷の舐め合いしてた」


 似た者同士、惹かれ合ったんだよね、と言葉を付け足す。少しでも明るい雰囲気で話したくて、無理やり声のトーンを上げてしまう。それが場に似つかず、余計に微妙な空気間を作り出してしまっていた。


 「だから、何も知らない相川に偉そうなこと言われて、すごく腹が立っちゃって……ドン底しらないくせに偉そうなこと言うなって、その怒りをそのまま初にぶつけちゃった……」

 「……そうだったんだ。話してくれて、ありがとう」


 ギュッと手を握りこまれる。彩葉の手は酷く温かくて、余計に自分の手の冷たさが際立った。

 思っていたよりも、緊張していたのか、体温が下がってしまっていたらしい。


 「……ちょっとだけ、待ってね」


 そう断りを入れて、彩葉がどこかに電話をかけ始める。一言二言で通話を終えて、すぐに切ってしまったため、誰に何を話しているのかはよく分からなかった。


 「誰に掛けたの?」

 「すぐに来るから、分かるよ」


 いつも通りの彩葉の笑みに、緊張が少しずつほぐれていく。全てを話しても、彼女の態度は変わらなかった。


 「……引かないの?」

 「どうして?」

 「だって、重いし……それに、あたしと初が一緒に暮らしていることに変わりはないじゃん」

 「でも、それも含めてめいちゃんでしょう?私、めいちゃんが大好きなの。正直に話してくれて寧ろ嬉しいよ。めいちゃんの悩みも、苦しいことも、全部一緒に背負っていきたいから」


 曇りのない、真っすぐな瞳。それが嘘偽りのない、彼女の本心であることは目を見れば分かる。ここまで大事に思ってくれる彩葉の存在が心強くて仕方ない。


 きっと、紅葉一人で抱え込み続けていれば、いつか壊れてしまっていた。やはり彩葉に話してよかったと痛感していれば、「委員長」と呼ぶ声が聞こえて背後を振り返る。


 その声は、間違いなく三日前に聞いた彼のものだった。


 「相川……」


 大きめのトートバックを持った、私服姿の相川岳。相変わらず眼鏡を掛けて、その真面目さは健在のようだ。


 あの晩、激しく口論してしまった手前、どこか気まずさを感じてしまう。


 相川はどうして自分がこの場に呼ばれたのか分からずに、戸惑っている様子だった。もしかしたら、彩葉と紅葉が仲良かったことすら知らなかったのかもしれない。


 彩葉に呼ばれたのに、どうして紅葉がいるのか、という彼の疑念がひしひしと伝わってくる。紅葉の斜め向かいで、彩葉の左隣の席に相川は腰を掛けた。


 「委員長、お待たせしました。あの、どうして鈴木紅葉さんが……」

 「夏期講習終わりにごめんね……この前、めいちゃんの家で起きたたこと聞いたの」


 その言葉を聞いた途端に彼はバツが悪そうな顔をした。相川が彩葉のことを尊敬していることは言葉の随所から伝わってくるし、もしかしたらあの一件は知られたくない出来事だったのかもしれない。


 「……相川くん、口下手だから。たぶん君の真意は何も伝わってないよ」


 もどかしそうに、相川がバックを持っていない方の手で自分の頭をかく。


 そして、尊敬する先輩の手前下手に出ることができないのだろうか。観念したようにポツリと言葉を零し始めた。


 「……鈴木、紅葉さん」

 「なに。てか、フルネーム呼びやめて」

 「僕は、あなたと玉那覇さんを見ていると、嫌な気分になります」


 突然の爆弾発言に、つい怒りを露わにしそうになる。しかし、目の前に座っている彩葉に目配せされて、なんとかその感情を抑え込んだ。


 「イライラするんです。環境を言い訳にして、自分で変わる努力をしないあなた方が」

 「……喧嘩売ってんの」

 「……僕も、あり得たかもしれない未来だから」


 相川の言葉に、ぴたりと動きを止める。そこでようやく、彼の紅葉たちへの真意に触れたような気がした。


 ただ単に、下の人間を見下していたわけではなかったのだ。


 「僕の母親はすごくヒステリックで、おまけに情緒不安定で……一言でいえばおかしい人なんです。父親はそんな母親に愛想をつかして、僕が小さい頃に家を出ていきました」

 「……うん」

 「そこからは地獄です。積み木のおもちゃで遊ぶだけで、何時間も怒鳴られるんです。音を立てるな、うるさいって。外面だけはいいので、周囲に相談しても誰も信じてくれませんでした」


 何度も家を出ようと思った。中卒でもいいから、家と飛び出して働こうかと本気で考えていた、と相川は続けた。


 普段の真面目な相川は、てっきりありふれた平凡な家庭で育ったのだとばかり思い込んでいた。

 紅葉たちと大差ない悲惨な家庭環境に、胸を痛める。


 同時に、だからこそあんなにも、紅葉に対して突っかかってきていたのだと納得がいった。あり得たかもしれない自分の姿に、放って置くことができなかったのだ。


 そんな相川の優しさに対して、何度も酷い言葉を掛けてしまった自分が情けなくなる。


 「けど……あのまま逃げだしたらあの女の思う壺のような気がして……。ただでさえあの人に人生を狂わされているんだから、これ以上掻きまわされて溜まるかって必死に勉強をしました。環境を言い訳に逃げることは幾らでもできます。逃げ続けたら楽だけど、そこには何もないって、お二人も気づいているんじゃなんですか」

 「……うん」


 酷い環境でも、相川は逃げずに必死に抗ってまともに生きようとしている。酷く難しくて、多くの人ができないそれを、彼はたった一人で努力をしてきているのだ。


 恨み言ばかり零して、後ろ髪を引かれている紅葉と初とは全然違う。環境のせいにして逃げずに、自分の手で未来を切り開こうとしている。


 「あんたすごいね……めちゃくちゃ凄い」

 「鈴木さんも、期末テストの結果は見直しました。やればできるじゃないですか。けど、やはり同棲は頂けないかと」

 「相川くん」


 隣に座っている彩葉が、即座に相川に耳打ちをした。恐らく、事情を知らない相川にやんわりと真実を教えているのだろう。


 みるみるうちに相川の顔つきが変わり、申し訳なさそうな表情を浮かべた。


 「すみません……こちらこそ何も知らずに」

 「ううん、けど、なんていうか……人って見た目じゃ分かんないもんだね」


 丁度、相川が注文をしたアイスコーヒーが店員によって運ばれてくる。席が近かった紅葉が一言お礼を言って受け取ってから、相川の前に置いた。


 「はい、相川の分」

 「……ありがとうございます。ちゃんと、鈴木さんと話したのは初めてですが、やっぱり先入観というのが一番良くないのだと痛感しました。僕はあなた方の見た目で、それ以上の情報を無意識にシャットアウトしていたのかもしれない」


 すみません、という言葉と共に、頭を下げられる。そして、彼はそのまま言葉をつづけた。


 「玉那覇さんにも謝っておいてください。酔っていたので記憶があるかは分かりませんが、年上に対して失礼なことを……」

 「相川くん……彼、いなくなっちゃったんだよ」


 彩葉の言葉に相川は勢いよく顔を上げた。目をぱちくりとさせて、酷く驚いているのが伝わってくる。


 「そうなんですか……?」

 「相川くんとめいちゃんが言い争った翌日に、めいちゃんと玉那覇くんが、その……」

 「それは僕のせいですかね……?」

 「いや、あたしが一方的に初に怒っちゃったていうのもあるし、第一相川は何も知らなかったんだしさ、全然悪くないって」


 咄嗟にフォローをするが、相川からは未だ申し訳なさが感じられる。まじめな彼は、きっと余計に責任を感じてしまっているのだろう。

  

 「すみません……僕も、ちゃんと責任を取ります。探すのを手伝わせてください」

 「いいって、相川忙しいでしょ」

 「いえ、そうしないと僕の気が済まないので」


 どれだけ大丈夫だといっても、一向に引く気配がない。

 どうしたものかと困っていれば、彩葉が「そもそもさ」と口を開いた。


 「玉那覇くんがどこにいるのか、目星はあるの?」


 鋭い指摘に、しどろもどろになってしまう。初が同性愛者であることを知っているのは、紅葉だけだ。

  

 デリケートな問題であることは明らかだし、それを二人に話していいのか躊躇ってしまう。


 しかし、これは緊急事態で、仕方がない状況であることも事実だ。心の中で初にごめんと断りを入れて、ポツリと言葉を零した。


 「絶対に、誰にも言わないって約束できる……?」

 「もちろん」

 「僕、口は堅いです」

 「えっと……その、新宿二丁目」


 それを聞いただけで、二人とも納得したように相槌を打った。けれど軽蔑した様子はちっともなくて、善は急げと言わんばかりに荷物を片し始めてしまう。


 会計をしてから、すぐに店を出た三人は、その足で新宿二丁目へと向かっていた。


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