第21話


 翌朝、昨晩のことを何も知らない初は、何ともケロッとした顔をしていた。寝ぼけまなこの顔を洗った後、ようやくどうして家にいるのか不思議に思った様子でこちら尋ねてくる。


 「あれ、俺ってなんで家にいるんだっけ……」

 「昨日、相川が運んできてくれたんだよ。駅で蹲ってたって」

 「あー……今度お礼言っとくわ」

  

 心当たりがあったのか、納得したように頭を掻いている。あんな皮肉を言われたというのに、それを知らない初は何とも呑気な言葉を口にしていた。


 泥酔するまで酒を煽るなんて、高校生の初がしていいはずがない。彼のためにも、これ以上悪行を見過ごすわけにはいけなかった。


 「お酒飲んでたんでしょ」

 「度数そんな強くない奴だからさ」

 「嘘つき。初があんなに酔ってるとこ初めて見たよ」


 問い詰めても、初は素知らぬ顔で伸びをしている。聞く耳をもたずに、不貞腐れたような表情をしていた。


 「ねえ、こんなんやめなってば」

 「うるさいな」

 「何かあったらどうすんの。いい加減にしなよ」


 しつこい紅葉に対して、初が苛立ち始める。舌打ちをして、こちらをキツク睨みつけてきた。


 それでも引かずに詰問をすれば、今度は面倒くさそうにローテーブルの前に腰を下ろす。これ以上言い争いたくないのか、スマートフォンを弄り始めてしまった。


 「……なにこれ」

  

 初が、ローテーブルの隅に置かれていた茶封筒の存在に気づく。昨日、初の母親が来た時に置いて行ったものだ。


 「昨日、初のお母さん来たよ」

 「金だけ置きに……か。なぁ、めい」

  

 中に入っている一万円札の束を、半分ほどに分けてから、こちらに渡してくる。受け取らずにいれば、手を取られて無理やり握りこまされた。


 紅葉の一か月のアルバイト代よりも、遥かに多い額を、複雑な感情で見つめる。


 「分かるだろ?俺らみたいなのはさ、あの親と同じ遺伝子入ってんだよ。抗っても意味ないって、期待するだけダメだった時が辛いって……何度も学んだだろ」

 「そうだけど……」


 初は期待をしない。幼い時から、何度も母親に約束を破られてきたからだ。日常の些細な約束から、大切なものまで。


 初の母親は息子との約束よりも、恋人を優先して、何度も初を裏切ってきた。


 「セックス依存症とかも、遺伝すんのかな。なんだかんだ俺、あの女とそっくりだしな」


 自嘲気味に初は笑っているが、紅葉はちっとも笑えなかった。彼が痛々しくて、憐みの感情がこみ上げてくる。

  

 家庭環境がここまで人格に影響を与えてしまうということに、どこか切なさを感じてしまっていた。


 「初は、初だよ」

 「どういうこと」

 「あたしに居場所をくれて、世話好きで面倒見のいい男が、あたしにとっての初だよ。おばさんを言い訳にして、逃げる初なんて見たくない」


 真っすぐに目を見て、想いのままを伝える。

 たとえ周囲から可哀そうだと思われていたとしても、それを盾に目を背けるのは、絶対に間違っている。それをどうか分かって欲しくて、真剣な声色で言葉を続けた。


 「……は?」

 「確かにあたしたちの家庭環境は最悪で、いつも可哀そうな子供ってレッテル張られてたけど、それを言い訳にするのって何か違うよ」

 「なにそれ……うざいんだけど。黙れって」

 「悔しいじゃん。DQNの子供はDQNって思われんの、腹立たないわけ?」

 「うっせえって言ってんだろ!」


 激しく怒鳴りつけられて、思わず肩を跳ねさせる。ここまで怒りを露わにしている初を、紅葉は初めて見た。

 

 「めいさ、変わったよな。水野とつるむようになって、自分も普通側の人間だって勘違いしてんじゃねえの」

 「どういう意味」

 「いつから俺のこと見下せるほど偉くなったわけ?蛙の子は蛙なんだよ。俺も、お前も……ずっと誰かに見下されながら生きていくしかないんだって。生まれながらに、そっち側の人間なんだよ」


 そう言い残して、初は苛立った様子で玄関へと向かっていった。慌てて追いかければ、スニーカーに履き替えている姿が視界に入る。

 

 「どこ行くの」

 「……言いたくない」


 今まで聞いたことがない冷たい声に、それ以上何も言えなくなってしまう。けれどそれ以上に、先ほど酷い言葉を吐いていた初の表情が忘れられなかった。


 言葉をぶつけられているのは紅葉だというのに、初の方がずっと苦し気に表情を歪めていた。


 まるで自分に言い聞かせるかのように、自分自身を縛り付けているようにしか見えなかったのだ。自分が零す言葉の一つ一つに、彼自身が傷ついてしまっている。


 大切な幼馴染のそんな姿をみて、放って置けるはずがない。帰ってきたら、もう一度向き合って話し合おう。

 今までだって何度も喧嘩をして、その度に仲直りしてきたのだ。


 初が家を飛び出して、お互い頭が冷えたころに帰ってきて、仲直りをする。ずっとそうやってきたのだ。


 だから、大丈夫。そうやって、バクバクと嫌な音を立てる自分の心を必死に慰める。大丈夫、きっと初は帰ってくる。

 しかし、そんな紅葉の願いとは裏腹に、その日初がこの家に戻ってくることは無かった。

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