第17話


 夏の暑い日差しに晒されて、額にはじんわりと汗がにじんでいた。けれどそれは彩葉も同じで、二人で汗を掻きながらコンビニで買ったアイスを頬張っていた。


 「あっつー……」

 「もうすぐ夏休みだもんね」


 公園のベンチに座りながら、二人で何気ない会話を交わす。日陰になっているとはいえ、今日の気温は三十度を超えてしまっているせいかちっとも涼しくなかった。


 「早いね。水野は夏休み何するの?」

 「夏期講習くらいかな。めいちゃんは?」


 紅葉たちが通っている高校は、この辺ではかなり有名な進学校だ。そのため、長期休みは彩葉のように塾に通い詰める生徒が多いと聞いている。


 「バイトかなぁ。生活費稼いでおきたいし。あとは、初と流風と遊ぶ」

 「私とも遊んでよ」

 「……うん」


 夏休みになっても彩葉と会えるのだと思うと、どこかワクワクしてしまう。せっかくの夏休みなのだから、彩葉と色々な所へ遊びに行きたかった。


 「夏期講習の日程出たら教えるね。めいちゃんのバイト休みと合わせて行こうよ」

 「わかった、シフト出たら言うね。……水野ってさ、そんなに勉強してなにかやりたいことでもあるの?」

 「私は弁護士になりたいの。困っている人を助けてあげたい」


 お人好しで世話好きの、彼女らしい答えだ。責任感が強くて努力家な彼女だったら、きっと叶えてしまうのだろう。


 同い年なのに、何も考えていない紅葉と違って、将来を見据えて勉強をしているのだ。紅葉には夢がない。将来したい仕事も、叶えたい願望も何もないのだ。


 あと一年半で卒業なのだから、そろそろ考えておかないといけないことは分かっているが、ちっとも思いついてはくれなかった。


 十年後、二十年後。一体紅葉は何をしているのだろう。自分自身のことだというのに、どこか他人事のように思えてしまう。


 彩葉と公園で別れた後、紅葉はアルバイト先であるパンケーキ店へ向かっていた。一時期爆発的ブームを巻き起こしたパンケーキ店。


 時代がうつろい、そのブームは去ってしまっているが、今でも幾つか店舗は残っているのだ。


 来店客も流行りの店に比べれば少なく、個人店のため美味しい賄いも出る。時給も悪くないため、紅葉はこの店を結構気に入っていた。


 更衣室で制服に着替えてから、キッチンで念入りに手を洗ってホールへ出る。平日ということもあり、そこまで混みあっていなかった。

 

 店内を見渡せば、同じ制服を纏った初の姿を見つけて声を掛ける。


 「あれ、今日初とシフト被ってたっけ」

 「忘れんなよ。入りは俺の方が一時間早いけど、上りまで一緒だから」


 初と紅葉は同じお店でアルバイトをしていた。最初に紅葉がこの店で働き始めて、同じくバイトを探していた初に紹介をしてあげたのだ。


 働いて一年程になるが、二人とも仕事にも慣れてきて、問題なく業務をこなすことができるようになっている。他のスタッフも人柄が良く、酷く居心地がいいのだ。


 来店客がオーダーしたものを全て提供し終えて、手持ち無沙汰になった紅葉と初はホールの隅っこでこそこそと会話をしていた。


 「めい、学校終わってからここ来るまで何してたの。また水野?」

 「うん。アイス食べてた」

 「まじで仲いいんだな」


 側から見たら異様な組み合わせなのだろう。意外そうにな反応をするのは初だけではなくて、学校で彩葉と一緒にいれば、沢山の人から好奇の目を向けられるのだ。


 放課後は僅かな時間でも彩葉と一緒にいることが最近の日課となっていた。わざわざ合わせるというよりも、暗黙の了解のように気づけば彩葉と一緒にいるような気がする。


 「アイス何食ったの」

 「チョコのやつ。そういえば、水野、チョコミント嫌いなんだって。初と一緒だね」

 「あれ好きってやつのほうがおかしいから。歯磨き粉じゃん。てか、めいってまだ水野のこと名字で呼んでんだ」


 確かに、彩葉と友達になった今も、彼女のことを名字で呼んでいた。

 長らくの癖でそう呼んでしまっているが、友達に名字呼びというのは何となく変な感じがする。


 「なんか癖で」

 「けどさ、あっちはめいって呼んでんだろ?それって向こうからしたら寂しいんじゃねえの」


 確かに、自分は名前で呼んでいるのに、相手が頑なに名字呼びだったら、どこか壁のようなものを感じてしまうだろう。

 彩葉と仲のいい友達は皆、下の名前で呼んでいるし、紅葉だって呼ぶ権利があるはずだ。


 それに、下の名前で呼んだ方が、より親密感が出るだろうし、もっと彩葉と仲良くなれるかもしれない。


 良い事尽くめだというのに、どうしてずっと名字呼びをしていたのだろう。

 これからは下の名前で呼ぼう……と、決心したのはいいものの。

 翌日の放課後、彩葉の顔を見ればその威勢はどこか遠くへ飛び去ってしまった。


 「ねえ、夏休みどこいこっか」


 学校の近くのカフェで語り合う、いつもと同じような光景だというのに、どうしてこんなに緊張しているのだろうか。


 たった三文字の名前を言うだけなのに、こんなにもドキドキしてしまっている。

 変に意識してしまったせいか、話しかけられてもドギマギしてしまっていた。上手く目を合わせられず、平常心を保つことで精一杯だった。


 「めいちゃん……?」


 返事のない紅葉の顔を、心配そうにのぞき込んでくる。


 肌が白くてきれいだとか、マスカラが無くてもまつ毛が長くてバサバサだ、なんてことを考えられたのは一瞬で、恥ずかしさから直ぐに顔を逸らしてしまう。


 「あ、花火……見に行くとか」

 「いいね、楽しみ」


 彩葉に抱いてしまう、この感情は何なのだろう。きっと紅葉が知らないだけで、答えがある感情なのに、今の紅葉にはそれが何か分からない。


 これならまだ勉強の方がマシだ。勉強は問題を解いたら、必ず正解が合って答え合わせをすることができる。

 しかし、人の感情というのは複雑で、本人しか本当の気持ちを感じ取ることができないのだ。

 それが酷くもどかしくて堪らなかった。

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