第16話
テストを終えた週明け。通常通りの授業に戻り、今日は一日を通してテスト返却が行われる。
いつもだったら赤点を取ることが憂鬱だったというのに、今回は別の意味で気が重かった。
普段通り、初と並んで登校をして教室へと向かう。途中、渡り廊下の掲示板に人が群がっていることに気づいた。
返却日の朝には、合計点数順に100名の名前が席次として張り出されるのだ。どうせ入っていないことは分かっているため、ろくに見ないでそのまま足を進める。
一瞬だけ目線を寄越せば、一番上に「水野彩葉」の名前を見つけて、思わず安堵してしまっていた。
自分のせいで彩葉の成績が下がらなくて良かったと、ほっと胸を撫でおろす。
教室について扉を開けば、自分の席に何故か彩葉がいることに気づいた。紅葉の姿を見るや否や、嬉しそうに頬を緩めている。
「めいちゃん」
一体何の用だろうか。側から見たら接点のない二人に、クラスメイトが意外そうにジロジロと視線を寄越してくるのが分かった。
「すごい、めいちゃん。本当にすごいよ」
「なにが?」
「98位だよ。前回最下位のめいちゃんが」
よほど興奮しているのか、彩葉の声は大きくて教室中に聞こえてしまっていた。「鈴木が……?」と疑うような声が聞こえてきて、居たたまれなさに襲われる。
信じられないのは、他の人と同じように紅葉だって同じだった。自分のことだというのにちっとも実感が湧かない。
しかし彩葉が見せてくれるスマートフォンの画面には、きちんと98位、鈴木紅葉と書かれた席次表が表示されていた。
「嬉しくて写真撮っちゃったの」
頬を紅潮させて、彩葉はまるで自分のことのように喜んでいる。その様子を見て、やはりあの時手を抜かなくて良かったと思えてしまう。
「水野のおかげだよ。水野がいなかったら、絶対に無理だった……ありがとう」
後半は酷く小さい声になってしまったが、なんとかぽつりと、お礼の言葉を口にする。こんな風に彩葉に素直さを出すのは初めてかもしれない。
彼女は一瞬ぽかんとしたような表情を浮かべた後、感極まったように抱き着いてきた。
こんな人気の多い教室で抱きしめられるとは思わず、驚きで体を硬直させてしまう。
身長差があるため、自然と彩葉の肩口に顔を埋める形になってしまっていた。
「めいちゃん、可愛い」
「やめて、恥ずかしいって……ねえってば」
押しのけようにも、彩葉は思ったよりも力が強くびくともしない。ふわりと、お花のような香りが鼻孔を擽る。彼女らしい、優しい香りだった。
朝礼が鳴ったことでようやく彩葉が腕を解いてくれるが、時間にしては数十秒であろうに、紅葉にしてみればうんと長く感じられた。
「じゃあ私戻るけど、放課後にさ、スイーツ食べに行こうね。約束したでしょう?」
「え……プリンのこと?別にコンビニでいいって」
「やだよ。せっかくだから色々食べよう」
終わったら迎えに来るねと言い残して、彩葉が教室から去っていく。勉強を見るという名目が無くなったというのに、まだ彩葉と一緒にいられることが素直に嬉しかった。
気を抜いたら口元が緩んでしまいそうで、必死に気を引き締める。
テスト返却は、各授業を受け持つ担当教師が、二十分ほどの時間で教室を回りながら行っていく。百番以内に入っていたこともあり、やはり赤点は一つもなく、どれも平均点以上を取ることが出来ていた。
着々と返却されて、あとは世界史を残すのみだ。そのままホームルームを行えるように、担任が受け持っている教科が、各クラス最後に返却される仕組みになっている。
折り合いが悪いため、担任教師である村田のことは好きではないのだ。紅葉を不良だと見下して、腫物のように扱ってくるのが嫌で堪らなかった。
小学生をカツアゲしたと信じて疑わずに紅葉の言い分を聞き入れてくれなかったし、いい印象は抱いていない。
扉が開いて、担任である村田が教室に入ってくる。小脇に抱えていた茶封筒から解答用紙を取り出して、一人ずつ名前を呼びながらの返却が始まった。
「鈴木」
あいうえお順でテストは返却されるため、直ぐに紅葉も名前を呼ばれて受け取りに行く。手を伸ばせば、村田が目に涙を浮かべていることに気づいた。
「おまえ、よく頑張ったな」
「え、なに。怖いんだけど」
あの村田が泣いている。生徒指導教師として、皆から恐れられている男が。案の定、教室には動揺が走り、すぐにざわつき始めた。
「色んな先生が感動してるんだぞ。鈴木、やればできるじゃないか」
「はぁ……」
「これで水野もお前の世話係から解放されるな。ちゃんとお礼を言うんだぞ」
当たり前のことを突き付けられて、一気に気分が沈んでいくのが分かった。
涙を流して喜んでいる村田とは対照的に、いい点数を取ったのにちっとも嬉しくない。
彩葉のために勉強をすれば、彼女と離れなければいけなくなる。頑張れば頑張るほど、己の首を絞める結果となったのだ。
勉強を頑張ったことを、後悔はしていない。だからこそ、この苦しさをどこにぶつければいいのか分からないのだ。
放課後になれば、約束通り彩葉は紅葉の教室まで迎えに来てくれた。
電車に乗って、以前二人で訪れたスイーツバイキングに向かう。初めて二人でいった時は、紅葉が好きなにゃんぴょんというキャラクターとコラボをしていた。
あの頃は早く彩葉から逃れたいと思っていたというのに、まさか名残惜しくて堪らなくなるなんて思いもしなかった。
どれだけ甘いスイーツを食べても、ちっとも味がしない。メニューはドリンク以外、前回来た時と同じだと言うのに、上手く味わうことができないのだ。
きっと、凄く寂しいのだ。彩葉ともう放課後一緒にいられないという現実を受け入れられない。それくらい、紅葉の中で彼女の存在は大きくなってしまっていた。
もっと、知りたいのに。もっと彩葉と一緒に居たいのに。そのためにどうすればいいのかが分からない。
誰か一人にこんなに執着をするのは初めてだった。
店を出て、二人で駅へ向かって歩き出す。このまま電車に乗って、先に彩葉が降りて。そこでこの関係も終わってしまうのだろうか。
そう考えると、居ても立っても居られなくなる。
足を止めて、彩葉の腕を掴む。振り返った彼女は、不思議そうに首を傾げていた。
「水野」
「どうしたの?」
「……もう、会ってくれない?」
不安から、無意識に顔が下を向いてしまう。彩葉のローファーのつま先をジッと見つめながら、必死に声を紡いだ。
「もっと、もっと、水野のこと知りたい。色々遊びに行ったりしたいし、美味しいごはんも、水野とお腹いっぱい食べたい」
「めいちゃん……?」
「もう、水野と会えないのやだよ」
瞳に、じんわりと涙が浮かんでくる。これではまるで駄々をこねる子供だ。こんなこと言っても困らせるだけだというのに、抑え込むことができない。
「めいちゃん」
名前を呼ばれて、恐る恐る顔を上げる。てっきり困ったように眉を寄せていると思っていたのに、何故か彩葉は酷く嬉しそうにニコニコと満面の笑みを浮かべていた。
あまりのも予想外の反応に、溢れていた涙が引っ込んでいく。
「本当、可愛い」
「え、おかしくない?あたし今泣きそうだったのに、なんで笑ってんの」
「だって、めいちゃんが可愛すぎるから」
戸惑っていれば、優しく頭を撫でられる。何度か後頭部を撫でた後、彩葉の右手は紅葉のうなじへ、ゆっくりとした所作で移動した。
どこかくすぐったくて、思わず身を捩ってしまう。
「私、めいちゃんと友達のつもりだったんだけど、めいちゃんは違った?」
想像もしていなかった言葉に、目を見張る。友達という関係。てっきり社交辞令だと思っていたのに、彼女はまさか本気で言ってくれていたのだろうか。
必死に首を横に振れば、彩葉が嬉しそうに言葉を続けた。
「私ももっと、めいちゃんのこと知りたい。好きなものも嫌いなものも、めいちゃんのことだったらなんでも知りたいの。お目付け役としてじゃなくて、友達として、私と遊んでくれる?」
「うん、うん……」
彩葉の心を噛みしめながら、何度も頷く。嬉しくて、心が暖かくてしかたなかった。
溢れてきそうになる涙を拭えば、彩葉の笑みに優しさが増した。
「ねぇ、めいちゃん。連絡先教えてよ」
今まで何度も会話を交わしてきたというのに、お互いの連絡先は知らずにいたのだ。放課後は図書館で会うのが暗黙の了解になっていたし、聞いたら迷惑になるような気がして躊躇してしまったせいもある。
連絡アプリの新しい友達の欄に、彩葉の名前が加わる。いつもだったら何とも思わないのに、何だか酷く特別なことのように思ってしまう。
それはきっと、彩葉と友達になれたことに舞い上がっているからだろうが、どうしてここまで暖かい気持ちになるのかは分からずにいた。
僅かにドキドキして、時折何かがこみ上げて頬が紅潮しそうになる。それは、紅葉が17年間生きてきて一度も感じたことがない感情だったのだ。
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