第14話
校内陸上大会を終えて、普段通りの生活に戻っても、優等生である水野彩葉の話題は学校中で噂になっていた。
部のエースである彼女が怪我を理由に退部をしたことはあっという間に周囲に広がり、惜しむ声があらゆるところから聞こえてくるのだ。
休み時間にパックのジュースを飲みながら参考書を読んでいれば、流風が好奇心を露わに話かけてきた。
「ね、風紀委員長部活やめたらしいじゃん。そのせいで、柔道部次の試合やばいらしいよ」
「らしいね」
「めい、お目付け役されてるじゃん。なんか聞いてないの?」
流風とは仲が良く、大事な友達だと思っているが、彩葉の情報は誰であってもほいほいと話す気はなかった。
勇気を出して打ち明けてくれた彼女の想いを無下にしたくないのだ。
知らないとぶっきらぼうに返せば、流風もそれ以上言及してくることはなかった。
「てか、なに読んでるの」
「参考書。来週テストだから」
「めいが?え、風邪でも引いたの」
馬鹿にしているわけではなくて、本当に心底驚いている様子だった。確かに、振り返ってみれば流風の前で勉強をしたことは一度もなかったかもしれない。
「まぁ、確かに次赤点取ったらやばいもんね」
「お、めい勉強してんじゃん。あとそれ一口」
紙パックジュースを初に奪われる。初の一口は紅葉の三口くらいなので、あげたくないのが本音だ。
返された紙パックはかなり軽くなっていて、残量がかなり減っているのは明らかだった。
「飲み過ぎなんだけど」
「ごめん。めいってやればできる子だから、この調子なら次のテスト大丈夫そうだな」
「そうなんだ」
「おう、普段やんないだけだからな」
さすが幼馴染というだけあって、初は紅葉のことをよく分かっている。それが疎ましく思うときもあるが、お互い何だかんだ信頼し合っているのだ。
初が友人に呼ばれて席を外したところで、流風が耳元に顔を寄せてくる。内緒話をするように、その声は酷く小さかった。
「ね、めいと初ってまじで付き合ってないの?」
「なにそれキモイ」
「だって初の家で一緒に暮らしてるんでしょ?一線超えたりしないわけ?」
「まじでない」
今までも何度か同じような質問をされたことがある。いい年の男女がひとつ屋根の下で暮らしていれば、体の関係を結ぶのが普通だと、多くの人は思うのだろう。
けれど、紅葉と初は本当に家族のような関係で、今まで一度もそういった雰囲気になったことはない。
恋愛感情ではなく、友情関係と言うのも少し違うような気がするが、確かに二人の間には強い情で結ばれているのだ。
きっと、紅葉は初がいなければもっと荒れていただろうし、それは初も同じだろう。孤独で、誰も守ってくれない中、似た者同士が寄り添って、支え合ってきたのだ。
期末テストに向けて、紅葉は家に帰っても遅くまで勉強をしていた。こんなに勉強をしたのはいつぶりだろうと考えながら、黙々と問題を解く。気づけば時刻は既に二十三時を回っていた。
「やば、風呂入んないと」
「めい、めっちゃ頑張るじゃん」
初はスマートフォンを弄ってばかりで、勉強をしてる姿は殆ど見ていない。赤点さえ取らなければいいらしく、要領良く重点だけを軽くおさらいをしたのみだ。
「そんなに頑張ってるのってさ、水野のため?」
「だって可哀そうじゃん。あたしのせいで勉強時間減るんだよ」
「……そっか」
「水野、人が良いから頼まれると断れないんだよ。あたしのお目付け役だって、教師に頼まれて嫌って言えなかったんだよ」
「けどさ、めい。お前最近いい方向に変わってんじゃん。それって、水野のおかげだろ?……あいつと接点なくなるの、寂しくねえの」
彼の言う通り、彩葉と紅葉の関係はお目付け役の優等生と、問題児の不良というだけだ。
紅葉が赤点を逃れて、素行を改めればそこで終わってしまう、酷くもろい関係。
「うん、寂しくない」
自分で言っておきながら、じくじくと胸が痛む。強がりで、素直になれない紅葉が、正直に自分の気持ちを伝えられるはずもない。
欲しくても、欲しくないフリ。自分が欲しがれば、誰かが困ってしまうのだったら、最初からいらないフリをした方が楽なのだ。
自分の気持ちを抑え込むのも、欲しがらずに我慢をすることも得意であるはずなのに、少しでも気を抜いたら溢れ出してしまいそうになる。こんなにも自分が我儘な人間であることを、知らなかったし、このままずっと知らずにいたかった。
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