第13話


 少し重い足取りで二人のもとへ戻る頃には、既にお昼の時刻を迎えてしまっていた。

 木陰で集まって、購買で買ってきた菓子パンを頬張る。


 カツサンドを先ほど購入したハチミツレモンジュースで流し込むが、気温が熱いこともあり、ぬるくなってしまっていた。


 「次の種目ってなんだっけ」

 「部活対抗リレー」


 あらかじめ渡されていた、種目ごとに出場選手が記載された用紙を見るが、やはり彩葉の名前はなかった。


 知っている人は誰も出場しないため、眠ろうと目を瞑る。しかし校内放送を告げる大きなチャイム音で、その眠気は一気に奪われてしまった。


 『柔道部の水野彩葉さん。入場門までお越しください』


 種目開始前に行われる放送委員による呼び出しは、出場者が入場門に現れなかったときに行われる。

 しかし、彩葉は出場しないはずだというのに、どうして呼び出されているのだろうか。


 「そういえば、柔道部でアンカーだった人、熱中症で運ばれたらしいよ」


 流風の言葉に、納得がいく。確かにこの暑さであれば、熱中症を起こす生徒が現れたとしてもおかしくない。


 「風紀委員長って去年めちゃくちゃ速かったよね」 

 「まじ?じゃあ風紀委員だから免除されて勿体ないじゃん。他のも出してあげれば良かったのに」


 運動神経の良い彩葉のことだから、きっと大活躍するのだろう。体制を直してグラウンドを見やれば、丁度出場選手が入場している所だった。


 「何言ってんの」

 「え……」

 「そんなのないって。去年の風紀委員長とか、すごく早くてリレーで目立ってたの覚えてないの」


 一瞬何を言っているのかが分からずに思考が止まるが、二人の真剣な顔色を見る限り本当なのだろう。


 ということはつまり、彩葉は嘘を突いていたことになる。どうしてそんな嘘を突いていたのか、戸惑っている間に、『パンッ』という破裂音と共にリレーが開始されてしまった。


 四人体制のリレーはあっという間で、すぐにアンカーである彩葉へとバトンは渡ってしまう。

 流風の言う通り彩葉は凄く足が速くて、どんどん追い上げを見せていった。


 陸上部と女子サッカー部に続く三位でゴールをして、辺りは大盛り上がりを見せている。

 初と流風もはしゃいでいるけれど、紅葉はどこか違和感を覚えていた。


 「なに……?」


 一番の活躍を見せていた彩葉は、集団から離れてどこかへ向かっているようだった。その顔色は悪く、痛むのか腰を抑えている。


 足取りはフラフラとしてしまっていて、何かがおかしいと感じた時には彩葉はその場に倒れ込んでしまっていた。


 「水野!」


 反射的に立ち上がって、弾かれたように走り出す。慌てて駆けつけて覗き込めば、彩葉の顔色は青白く、額には脂汗を滲ませていた。


 先ほど彩葉は腰を抑えていたため、そこに負荷が掛からないように前かがみでおんぶをしてから、保健室へ向かって足を進める。


 体格差があるため、落とさないように必死に力を込める。今は彩葉の方が苦しいのだからと、なるべく振動を最小限に抑えて保健室まで彩葉を運び込んだ。


 ベットに寝かせてから、姿が見えないようにカーテンを閉める。弱っている姿を、誰にも見られたくないのではと配慮をしたのだ。


 きっと暫くすれば、親しい友人や部活動の仲間たちが見舞いに来るだろう。

 問題児の紅葉がいたら邪魔だろうと、席を外そうとしたとき。


 体育着の裾をギュッと引っ張られて、再び丸椅子に腰を下ろした。


 「どうしたの、喉乾いた?」

 「……めいちゃん、ここにいて」

 「でも、そのうち水野の友達とか来るでしょ?あたしがいたら迷惑なんじゃ……」

 「めいちゃんがいいの……あのね、私ずっと嘘ついてたの」


 上体を起こしてから、彩葉は体育着を腹部あたりまで捲り上げた。腰にはコルセットが巻かれていて、健常者ではないことは明らかだ。


 こんな状態で走らされれば、倒れてしまって当然だろう。


 「日常生活を送るうえでは問題ないんだけどね、運動はダメって言われてて……本当はもう、柔道できないの。まだ皆には言えてないんだけど」

 「いつから……?」

 「丁度前の大会が終わって……めいちゃんのお目付け役をしろって言われた頃かな。皆に期待されて、それに応えようとオーバーワークしちゃって」


 彩葉は無理やり口角を上げているが、その姿は痛々しくて見ていられなかった。


 「……どうして、走れないって断らなかったの」

 「私ね、頼まれると断れないの」

 「なにそれ……」

 「損な性格だなって自分でも思う。けど、私が断ったら困るかなとか、迷惑掛かっちゃうかもって、色々考えちゃって。本当はね、風紀委員長だってやりたくなかったの」


 ぽつり、ぽつりと零してくれる彼女の本音。優等生としての彩葉の苦悩が伝わってくる。


 こんな風に悩んでいることに気づいてあげることができなかった。

 

 彩葉は特別だから、選ばれた人間だからと決めつけて。彼女が自分と同い年の女の子で、悩みを抱えていることに目を向けることができなかったのだ。


 「断って、嫌われるのが……失望されるのが怖いの。だから、腰やっちゃったことも誰にも言えなかった。言って、みんなのがっかりする顔を見るのが怖くて……」

 「うん……」

 「小学生の時に虐められてから、ずっとこうなの。柔道で体は強くなっても、心は弱いまま。勉強も部活も……ちゃんとしてなきゃここにいちゃダメなんじゃないかって……なんでもできる水野彩葉じゃないと、皆が離れちゃう気がしちゃうの」


 定期テストでは毎回一位を取って、柔道部のエースで、おまけに風紀委員長を務めている。よくそんなに抱えて平気だと感心していたけれど、そうじゃなかった。


 ずっと無理をしていたのだ。ちっとも平気じゃないのに、大丈夫のふりをして、優等生を演じ続けていたのだ。


 肩を震わせて、想いを打ち明けてくれる彼女を少しでも安心させてあげたくて、気づけば肩を抱きよせていた。


 背中に腕を回して、以前彩葉がしてくれたように、優しく擦ってあげる。


 「めいちゃん……?」

 「ばか」

 「え~……酷いなぁ」


 自分よりも背が高くて、いつも大きいと思っていた彼女の背中が、今はこんなにも小さく感じる。


 「虐められて泣いてたあんたも、柔道で強くなったあんたも、優等生のふりして必死にいい子ちゃんぶってるあんたも……全部知ってるあたしが、それでも水野のこと嫌いにならないんだから、余計な心配すんな」

 「……ッ……うん」

 「ひとりで強がるの、やめようよ。あんたが酷いことされたら、あたしが絶対助けてやるから」


 だから、人の顔色ばかり伺うのやめなよと言葉を続ければ、背中に回されている力がギュッと強くなった。


 今まで彩葉が抱え込んできたものが、少しでも癒えるように。暫くの間、優しく彼女の背中をさすり続けた。優等生の水野彩葉としてではなくて、一人の女の子として彩葉を包み込む。


 頼まれたことを断れない損な性格。抱え込み過ぎて、それでも相談できずに抱え込み続けるのだ。体が限界を迎えて、悲鳴を上げるまで無茶をし続けてしまう。


 やはりもう、解放してあげなくてはいけない。不良のお目付け役なんて、彼女の重荷になってしまって当然だろう。今まで人のために尽くしてきたのだから、残りの高校生活は自分のために青春を謳歌して欲しかった。



 それはまごうことなき本心であるはずなのに、彩葉と一緒にいられる理由がなくなってしまうことに淋しさを抱えてしまう。

 こんなにも彩葉は苦しんでいると言うのに、そんな風に考えてしまう自分が情けなくて仕方なかった。

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