第11話


 その日の晩、夜ご飯を食べ終えた紅葉は、参考書と向き合って勉強をしていた。明日から休みなので、少し多めに課題を出されたのだ。


 基礎の問題は何とか解けるが、やはり応用問題はまだ難しくて解けないものが多い。

 休み明けに彩葉に聞こうとチェックを入れていれば、丁度お風呂から上がった初が、意外そうに声をあげた。


 「え、めいが勉強してる。怖いんだけど、頭打った?」

 「うっざ」


 腹が立って消しゴムを投げつけるが、持ち前の運動神経でキャッチされてしまう。

 よほど意外だったのか、興味深げに紅葉が解いている参考書を覗き込んできた。


 「うわ、応用じゃんそれ。俺解ける自信ねー……。まぁ、ちゃんと勉強すれば、めいなら点数取れるだろ。良かったじゃん、留年回避」

 「留年とか死んでもごめんだし。生活費とかも馬鹿にならないのに」

 「それな。卒業したら、めいってどうすんの」

 「考えてない、初は」

 「俺も。あ、けどホストとか水商売はなんか向いてる気がする。金稼げるし」


 冗談っぽく言っているが、容易に想像できてしまって苦笑いを浮かべてしまう。割と向いてそうだと思ったが、それはこっそりと心に閉じ込めておく。 言ってしまえば、彼は本当に目指してしまうような気がしたからだ。


 「国立目指すほど志高くないし。私大は絶対無理だしな」

 「……うん」


 私立大学は年間で百万円ほどは掛かると聞いた。奨学金を借りるのも躊躇ってしまうほどの大金だ。

 かといって、受かるのが難しい国立大学を受験するほどのモチベーションもない。


 二人とも、大学に行ってまでやりたいことも、学びたいことも無いのだ。


 「てか、明日バイトだっけ」

 「うん、土曜だから人多いかなぁ」

 「終わったら飯行こうよ。俺、ラーメン食いたい」


 初からの誘いに、ごめんと断りを入れる。学校から帰ってすぐに、スマートフォンを使ってある場所の予約を入れてしまったのだ。他にも、色々と買いたいものもある。


 自分のために、最初に何をしようかと考えた。まだ普通が何なのか、どうすればこの心を成長させればいいのかも分からないけれど、外見は直ぐに変えられる。


 形から入るともよく言うし、まずはできることから始めようと思ったのだ。








 週明け、学校までの道を歩いている途中。隣にいる初からの視線が鬱陶しくて、紅葉はじろりと睨みつける。


 「なに、チラチラうざいんだけど」

 「……いや、なんか、知らねえ女子といる気分で落ち着かないから」

 「変?」

 「そっちの方が男ウケよさそう」


 その言葉に、「アホか」と悪態を吐く。似合っているか分からないけれど、紅葉としては以前の自分の方が好きなのだ。


 学校に到着して校門を潜れば、いつも通り風紀委員が朝の服装検査を行っていた。素通りしようとすれば、相川に「鈴木さん」と声を掛けられて足を止める。


 条件反射で声を掛けてしまったのだろうが、その姿に気づいた彼は驚いたように目を見開いていた。

 すぐ隣にいる彩葉と目が合えば、どこか嬉しそうに微笑まれる。


 「なに」

 「いえ……髪染めたんですね。スカートも……」

 「ひざ上10センチ、カラコンも14ミリ以内だから」


 以前に比べたら落ち着いているが、派手な見た目であることに変わりはない。しかし、校則はギリギリ守っているため、相川がそれ以上言及してくることはなかった。


 髪の毛はミルクティーアッシュカラーを入れて、カラコンも以前に比べたらかなりナチュラルなものだ。スカートだって、折らずに履いて校則の範囲内の長さにしている。


 「めいちゃん、凄く可愛いよ。そっちも似合ってるね」

 「……うん」


 彩葉に褒められて、素直に嬉しいという感情がこみ上げる。ぽかぽかと胸が暖かくなって、気を緩めば頬が緩んでしまいそうだ。


  彼女に褒められるだけでどうしてこんなに暖かい気持ちになるのか、この時の紅葉はまだよく分からずにいた。 




 教室に入れば、クラスメイトの視線が自分に集まっているのが嫌でも分かる。頑なに校則を守ろうとしなかった問題児が変貌を遂げているのだから、驚いて当然かもしれない。


 おまけにその日はショートホームルームの時間に、講堂にて全校集会が行われるため、余計に注目を集めてしまっていた。

 地味にした方が目立つだなんて変な話だが、周囲からすればそれくらい紅葉の変化は印象的だったのかもしれない。


 校長先生の長い話から始まって、碌に覚えていない校歌を歌うフリをする。

 このまま眠ってしまおうかと企んでいれば、部活動の表彰にて、彩葉が壇上に立っているのに気づく。


 どうやら柔道部は前回の大会で好成績を残したようだ。賞状を渡されて、周囲から大きな拍手が沸き起こる。


 「すごいよね、水野先輩格好いい」


 背後から、下級生と思わしき黄色い声が聞こえる。確かに柔道をしている彩葉の姿は格好いいが、普段の彼女はどちらかと言えば可愛らしいだろう。


 文武両道。才色兼備。まさに絵に描いたような優等生だ。全校生徒から羨望のまなざしで見られている彼女を、紅葉は少しの間独り占めしている。


 そのことに罪悪感がこみ上げるが、同時にどこか独占欲のようなものに襲われて、戸惑ってしまう。 

 問題児として、ただ勉強を見てもらう立場のくせに、何を勘違いしているのだ。


 彩葉は紅葉の手の届かない、まるで雲の上のような存在だ。そんな人が自分のために時間を割いてくれている。


 たとえ、問題児とお目付け役としての関係だったとしても、彩葉と一緒にいられることが心地の良いものになってしまっていた。そのせいで、こんな風に図々しい思いに駆られてしまっているのだ。





 全校集会を終えてから教室に戻って、いつも通り初と流風の三人で談笑を繰り広げていた。話題はやはり紅葉の変貌についてだ。


 「金髪じゃないめいって初めて見たかも。そっちもいいよ」

 「カラコンも若干小さいの。二ミリ小さい」

 「いや、経った二ミリかよ」


 乙女心の分からない初が、茶々を入れる。その二ミリで印象はかなり変わるというのに。


 「初に女の子のおしゃれは理解できないね。めいがどれだけ勇気出したと思ってんの」

 「えー、だってよく分かんねえし。てか、その格好になったらモテるとかないわけ」


 初の言葉に記憶を巡らせるが、特にそういったことはなかった。清楚系になったわけではないし、威圧感がある見た目であることに変わりはない。


 「モテるとかはないけど、夜道に歩いてたら、警察に危ないから早く帰りなって心配された」

 「まじ?心配される側ってすごいじゃん」


 褒められて、どこか誇らしげな気分になってしまう。夜中に夜食を買いに行った帰り道。いつもだったら職務質問をされるか、悪いことをしているのではないかと疑いの目を向けられるというのに、まるで紅葉が被害を受ける側のような言葉を掛けられたのだ。


 「警察に心配されるのは一般人の仲間入りだな」

 「まあね。てか、今授業中じゃないの?なんでこんなに騒がしいんだろ」

 「めい、話聞いてなかったの?黒板みなよ。ほら、今度校内陸上大会だから種目決めしてるの」


 流風の言葉に、なるほどと声を上げる。どうやら本来であればショートホームルームの時間に決めるはずだったのだが、全校集会でつぶれてしまったため、担任が受けもつ世界史の授業を使って、種目決めを行うらしい。


 「めいは何出るの」

 「五十メートル走。練習しなくていいし、楽だし」

 「こいつ、運動神経普通にいいからな」


 長距離走は疲れてしまうし、短距離に一気に走ってしまった方が体力的にも楽だ。立候補制で手を上げれば他にやりたい人もいなかったため、無事に希望種目に参加することが決まった。


 校内陸上大会は毎年行われる。一日を掛けて開催されるため、授業を受けるよりは幾分楽なのだ。運動は苦手では無いし、自分が参加する競技さえ出てしまえばあとは自由時間のようなものなので、寧ろ楽しみなくらいだった。

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