第8話


 つい、過去の思い出に浸ってしまっていた。気づけば、あと一駅で目的の駅に到着する所だ。ICカードをスカートのポケットから取り出して、下りる準備を始める。


 「次だよ」

 「うん、ありがとう……あのさ、一つ聞いても言い?」


 少し気まずそうに、彩葉が目線を彷徨わせている。聞きづらいなら聞かなければいいのに、と思いながら、紅葉は首を縦に振った。


 「めいちゃん、何で柔道やめたの?」

 「飽きたから」

 「本当に?私が、めいちゃんに勝っちゃったからじゃない……?」

 「変な気使わないでよ。やってらんないって思ったから、やめただけ。それは水野のせいじゃないから。大体さ、柔道ってモテないし」

 「そんなことないよ。柔道しているめいちゃん、すごくカッコよかった」


 嫌味のない彩葉の笑みに、それ以上なんと言えばいいのか分からない。

 丁度駅に着いたのをいいことに、言葉を濁らして電車を降りた。紅葉の反応に、気を使ったのだろう。彩葉がそれ以上この話題を掘り下げることもなかった。



 スイーツバイキングに到着して、にゃんぴょんで装飾された店内を見た時、思わず頬が緩んでしまいそうだった。

 しかし、それを彩葉の前で晒すのはどこか気恥ずかしくて、必死に口元を引き締める。席に案内されて、まずはにゃんぴょんとのコラボドリンクを注文した。絵柄はランダムに、コースターが一枚貰えるのだ。


 「めいちゃん、まだにゃんぴょん好きなんだね」

 「はあ?別に好きじゃない」

 「えー、でもさ、小学生の時いつもにゃんぴょんのTシャツ着てたじゃん」


 まさかそこまで覚えているなんて思わなかった。優等生の記憶力の良さを恨みながら、「気のせいじゃないの」と子供じみた物言いをしてしまう。

 

 バイキング形式になっているスイーツをいくつかお皿に盛って、再び席に戻った時には、にゃんぴょんとのコラボドリンクが置かれていた。


 側にあるコースターをめくれば、にゃんぴょんが可愛らしく笑っている絵柄だ。ほっこりと癒されながら、それを大切にクリアファイルに挟んで仕舞い込む。彩葉も取り終えたらしく、丁度席に戻ってきたタイミングで食べ始める。


 彩葉もすぐに食べ始めると思ったのに、彼女は席に着くのと同時に手を合わせて、「いただきます」という言葉を口にした。その丁寧な所作に、思わずまじまじと見つめてしまう。


 「なに?」

 「いや、いただきますってちゃんと言うんだなって思って」

 「普通でしょう?」


 不思議そうに彩葉が首を傾げるが、紅葉はその純粋な視線を直視することができなかった。


 確かに紅葉だって、小学校、中学校の給食の時は食前食後に挨拶をしていた。けれど高校生になってからは、コンビニの弁当を食べてばかりで、その挨拶をしなくなっていったのだ。


 もちろん、家にいてもその挨拶を言った憶えは無い。


 「……普通、か」


 思わず復唱してしまう。世間一般においての普通を、紅葉はあまり分かっていないのかもしれない。皆にとっての普通や、当たり前に抗って生きてきたツケが、こんなところにまで回ってくるのだと、今更になって気づいた。


 店を出て、駅までの道を歩く。既に日は暗くなっていて、先ほどよりも随分と肌寒い。少し足早に歩いていれば、彩葉が思い出したように声を上げた。


 「そうだ、これ」


 そう言って彼女が差し出したのは、紅葉が持っているにゃんぴょんのコースターと柄違いのものだった。彩葉もコラボドリンクは注文していたが、すぐに締まっていたためあまり興味がないのかと思っていたのだ。


 「めいちゃんにあげる」

 「え、いいよ。にゃんぴょんコースターだよ?大事にしなよ」

 「私より、めいちゃんが持ってた方がいいよ。大切にしてね」


 手首を優しく掴まれてから、そっとコースターを手のひらに乗せてくれる。そこでようやく、彩葉がそこまでにゃんぴょんに興味が無かったことに気づいた。興味がなかったのに、紅葉のために付き合ってくれていたのだ。 


 本当に出来た人間だと感心しながら駅に到着して、丁度止まっている電車に乗り込む。定刻通りに電車は動き出して、先ほどとは違って二人並んで座席に腰を掛けていた。


 「めいちゃん、明日からちゃんと授業聞いてね」

 「えー……」

 「スマホは弄るの我慢して、授業で分からないところをルーズリーフとかに書き写しておいて。そしたら放課後に勉強する時間もグッと減るよ」

「けど、今更理解できると思う?私、いままで結構授業聞いてなかったよ」

 「今の授業内容の基礎は、昨日までの補習で全部終わったよ。基礎ができているから、めいちゃんなら応用も絶対に解ける」


 断言されるが、当の本人はあまり自信がなかった。高校に入っていつも赤点すれすれか、赤点しか取らなかった紅葉が今更授業を理解できるのか不安だったのだ。


 そうして、気づけば彩葉の最寄り駅に到着してしまっていた。「じゃあ、私ここだから」と言い残して彼女が立ち上がる。

 

「また明日、頑張ろうね」


 去り際に、そう付け加えた彩葉の背中をジッと見送る。どうしてあんなにお人よしなのだと思うのと同時に、彼女の真っすぐさが羨ましく思えてしまう。


 キラキラして、人生を謳歌している彩葉。ふと、真っ暗なスマートフォンの画面に映った自分の姿が視界に入った。


 金髪で、化粧も濃い。不真面目で信用も無い紅葉と、彼女はあまりにも対照的過ぎた。一体、どこで道が外れてしまったのだろうと、考えてもどうしようもないことに囚われてしまう。


 それはきっと、彩葉の側にいたせいで、自分のコンプレックスが色濃く浮き彫りになってしまったせいだろうと、静寂に包まれた車内で、紅葉は一人考えていた。

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