第5話


 重たい気分のまま、玄関の扉を開けば、上半身裸の初に出迎えられる。お風呂上りなのか、首にはタオルが引っ掛かっていた。


 「おかえり、遅かったな」

 「……教師の命令で、水野に勉強見てもらうことになったから」

 「まじで?大丈夫なわけ」


 紅葉と彩葉の過去を知っている初が、心配そうに声を上げる。けれど、あの過去を覚えているのは紅葉だけなのだから、変に心配する必要なんてないのだ。


 「それは別にいいし。……けど、学校退学になるかも」

 「は?なんで、意味わかんねぇし」

 「いじめっ子たち怒ってたら、カツアゲしてるって警察に勘違いされて、担任呼ばれた。明日は学校来るなって」

 「それ、ちゃんと言ったのかよ」

 「……言っても、誰も信じないでしょ。あたしが信用ないの、今に始まったことじゃないし」


 自分たちのような人間が信用されていないことも、こういった時に信じてもらえないことも、彼だって身をもって知っているのだ。


 掛ける言葉がないのか、初はそれ以上何も言わなかった。初と紅葉は、ひたすらに互いの傷を舐め合ってきたけれど、お互い自分を守ることに必死で、手を差し伸べ合うことはできないのだ。


 コンビニで買った弁当を電子レンジで温めて、二人で黙々と食べ始める。

 食べ慣れた、よく知っている味だというのに、上手く味が分からなかった。ご飯の味が分からない時は、気分が酷く落ち込んでいるときだ。紅葉はここでようやく、自分が思ったよりも傷ついていることに気づいた。







 翌日、目を覚ました時には既に時計の針は十二時を回っていた。気を使ったのか、初は目覚ましアラームを設定しなかったらしい。


 壁に掛かっている制服は紅葉の分だけしかないため、ちゃんと学校には行ったようだ。

 これからどうなるのだろうか。ひとまず謹慎処分とされているが、退学は避けたいのが本音だった。


 「……まぁ、無理か」


 問題児の不良を、ようやく正当な理由で追い出すことができるのだ。教師からしてみても願ってもないチャンスだろう。

 思わず、ため息が零れる。食欲も湧かずに、布団の上でスマートフォンを弄る。テレビはニュース番組ばかりでつまらない。


 「もう、着れないのか」


 壁に掛かっている制服が視界に入って、無意識に言葉が零れ落ちる。可愛くて気に入っていたけれど、もうお役御免になってしまうのだ。


 続いて、部屋の隅に無造作に置かれたリュックサックに視線を移す。中に教科書は入っていないというのに、見た目が可愛いという理由で少し大き目なものを使っているのだ。


 いや一冊だけ、渡された参考書の存在を思い出す。結局、彩葉に勉強を教えてもらったのは一度だけだった。


 次回までに復習を行うように言われたが、もうその必要も無さそうだ。勉強をしなくていいというのに、どこか虚無感に襲われてしまっていた。


 夕方ごろになって、ようやく紅葉は家を出て、コンビニへと向かっていた。

 ご飯を作る気にもならず、いつも通りコンビニ弁当を買おうと思ったのだ。


 徒歩五分の場所にコンビニはあって、すぐに目当てのものを購入することができたが、真っすぐに家に帰る気にはなれなかった。


 初は今日、バイトだと言っていたし、家に帰っても一人でいなければいけない。あの部屋にて一人で抱え込み続ければ、どんどんネガティブな方向に物事を考えてしまう気がしたのだ。




 夕暮れ時の道を一人で歩いていれば、あの頃の記憶が蘇る。家に帰りたくなかったあの頃、紅葉はいつも森ノ木公園で時間を潰していた。


 老朽化が原因で工事が始まったのを機に足を運んでいないが、今はどうなっているのだろう。


 そんな好奇心に駆られて、紅葉は森ノ木公園への道を歩き始めた。

 隣の地区にある森ノ木公園は、家からはかなり遠かったが、シンボルのツリーハウスが好きで、足蹴もなく通っていたのだ。


 「あった」


 五年も前だと言うのに、記憶は衰えていなかったようだ。角を曲がってすぐに、森ノ木公園に辿り着くことができた。


 足を踏み入れれば、一気に懐かしさがこみ上げる。工事で新しくなってはいるものの、遊具の配置などはあの頃のままだった。


 ジャングルジムを登った先には、大好きだったツリーハウスが綺麗な状態で存在している。誰もいなかったため、中に入ってから小さく体育座りをする。   


 広さは変わっていないと言うのに、どこか狭く感じてしまう。あの頃はまだ小学生だったため、体が今よりも小さかったせいだろう。


 「懐かしいなぁ…」


 彼女と、初めて出会ったのもこの場所だった。虐められっ子だった彼女に柔道を教えて、強さを与えたのだ。


 学校は違ったけれど、中学に上がるまでは、放課後はよくここであの子と過ごしていた。もう、水野彩葉は何も覚えていないようだけど。


 これ以上ここにいたら、どんどん過去のことを振り返ってしまいそうな気がした。

 もう帰ろうと腰を上げたとき、「やっぱりここにいた」という声が聞こえて肩を跳ねさせる。その声色は、間違いなく彼女のものだ。


 ひょこりと顔を出した彼女と目が合う。戸惑う紅葉とは対照的に、彩葉はほっとしたように表情を緩めていた。


 「なんで……」

 「玉那覇くんに相談されたの。鈴木ちゃんを助けてあげて欲しいって。昨日起こったこと聞いて、いろいろ調べたよ。よいしょ」


 狭いツリーハウス内に、彩葉が体を押し込んでくる。自然と、肩はぴたりとくっついてしまっていた。


 至近距離で、彩葉と顔を合わせる。遠くで見るよりも、近くで見る方がずっと美人だった。


 「いじめっ子の証言も、いじめられっ子の証言も、ちゃんと裏付け取ったから大丈夫だよ。あの公園の近くって小学校一つしかないから、すぐに判明して、もうめいちゃんの担任の先生にも渡してあるから。安心して」

 「……水野、もしかして覚えてるの?」

 「入学式にめいちゃんの名前見たときから、もしかしたらって思ってたよ。けど、名字も違うし、結構雰囲気も変わってたから別人なのかなって、一年間様子見してた。……本当、変わってないね。いじめを見過ごせない強い正義感も、嫌なことがあったらこのツリーハウスに来るところも」

 「いつ、私だって……佐藤紅葉だって気づいたの」

 「たった今。この場所でうずくまっているめいちゃんを見て、確信した。……ひさしぶりだね」


 酷く嬉しそうに彩葉に微笑まれるが、どう反応すればいいのか分からなかった。確かに紅葉と彩葉はこの場所で出会い、中学時代には大会で共に戦った過去もある。


 けれど、二人の間に友情のようなものはなく、どちらかといえばライバル関係の方が当てはまるような気がしてしまう。


 今更、どういった表情で彩葉と向き合えばいいのかよく分からない。けれど、こんな自分を信じて、守ろうとしてくれたことは事実なのだ。


 誰も信じてくれずに、危うく退学処分を下されるかもしれなかったというのに、彩葉だけは信じて紅葉を助けてくれた。


 こんな自分でも、まだ信じてくれる人がいることが、紅葉は何よりも嬉しかったのだ。

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