第4話



 その日の放課後。さすがに留年は困るため、なすがままに彩葉に図書室へと連れていかれて、勉強を強いられていた。


 参考書を渡されて問題を解くが、やはりちっとも分からない。今までサボっていたのだから当然だ。高校生に入ってから、まともに勉強をした記憶何て一度も無い。


 開始早々やる気を失っていれば、彩葉がこちらをジッと見ていることに気づいた。


 「なに」

 「鈴木ちゃんって、カラコン入れてるよね」

 「うん。めちゃデカいやつね。いまさら何」

 「……ううん、なんでも。解けた?」


 素直に解き終わった参考書を渡せば、あっという間に採点をしてくれる。当然殆どがバツばかりで、後はサンカクが一つあるだけだ。


 それも彼女の恩情で、本来であればすべて間違っているのだろう。


 「ちょっとずつ、これから頑張ろうね」

 「……水野さ、あたしなんかに構っていていいの?絶対足手まといになるし、部活に行く時間だって減るじゃん」

 「うーん、そうだね」


 意外に否定はしないようだ。優等生の彼女は嘘でも「そんなことないよ」と取り繕うかと思っていたため意外だった。


 「けど、確認したいことがあるから」

 「なにそれ」


 意味の分からない彩葉の返事に首を傾げる。やはり、頭のいい人間が言うことはよくわからない。これ以上会話を続けるのも嫌で、参考書を見るふりをして下を向いた。


 それから一時間ほど勉強を続けたが、知識が身についているのか良く分からずじまいだ。早く終われと願うあまり、時計をちらちらと盗み見て、集中しなかったせいだろう。


 「ここ、復習しといてね」

 「……時間があればね」


 やる気がないため、正直に答えれば、彩葉はちっとも意に介していない様子で笑みを浮かべていた。一体何を考えているのかまったく分からない。


 何かを確かめるかのように、ジッとこちらを見つめてくる視線。その視線から早く逃れたくて、紅葉は足早に図書室を出た。



 学校からの帰り道、紅葉は真っすぐと初の家に向かっていた。冷蔵庫の中にプリンがあったはずだから、帰ったらすぐに食べようと考えながら帰路を歩く。


 途中、公園の前を通り掛かったときだった。明らかに雰囲気の悪い小学生の集団を見つけて、思わず足を止める。


 「ほら、お前今からサンドバックな」

 「やめてよ…」

 「サンドバックが喋んなって」


 小学校四年生くらいだろうか。眼鏡を掛けた気弱そうな男の子が、体格のいい同級生に取り囲まれていた。


 複数人に寄ってたかり、弱いもの虐めをしているのだ。酷く怖がって泣いている男の子を、放って置けるはずがなかった。


 公園内に足を踏み入れて、特に体格のいい男子のランドセルを掴む。引っ張れば、驚いたように少年が声を荒げた。


 「は、何すんだよババア」

 「いじめとかダサいことすんなって。男なら一対一で戦いな」

 「うざ、俺ら遊んでただけだし」


 「なぁ?」といじめっ子の一人が眼鏡を掛けた少年に詰め寄るが、今がチャンスと思ったのだろう。 

 いじめられっ子は涙を流しながら一目散に逃げて行ってしまった。


 「おばさんのせいで逃げられたんだけど」

 「アホか。あのさ、そういうのまじで格好悪いから」

 「あいつ見ててイライラするし。てか、ババアに関係ないじゃん」

 「は?」


 つい大声で凄みを掛ければ、少年たちは少し怯えたように後ずさりをした。

 女だからとなめていたのか、まさかこんなに言い返してくるとは思わなかったのだろう。これで少しは懲りただろうかと考えていれば、後ろから肩を掴まれる。 


 何かと思って振り返れば、そこにいる人の姿を見て「最悪」という二文字が脳裏を支配した。


 「君、何してるの。この子たちに怒鳴りつけてたよね?」


 見慣れた制服に、威圧的な態度。何度かお世話にもなった警察官の姿に血の気が引いていくのが分かる。


 「さっき、この付近で高校生が小学生にカツアゲしているって通報があって、見回りしてたんだけど」

 「は?それあたしじゃないから」

 「君たち本当?このお姉さんに何もされてない?」


 警察官の登場にマズイと思ったのだろう。いじめっ子たちは一瞬顔を見合わせた後、慌てたように走り去ってしまった。


 唯一の証言者の逃亡に、更に絶望感に襲われる。明らかに紅葉を悪者と決めつけている警察官相手に、一体どう説明すれば容疑が晴れるというのだ。


 「……まあ、とにかく君は署まで来れる?」

 「なんで?あたし何もしてないって言ってるじゃん」

 「けど、この目で見ちゃったし、通報があったのも事実なんだからさぁ。それにこの付近は進学校ばかりだし……」


 つま先からてっぺんまで見られているのが分かる。間違いなく、見た目で決めつけられてしまっているのだ。

 

 悔しさから唇を噛みしめる。濡れ衣を着せられて、腸が煮えくり返りそうだった。


 警察署に行くことを頑なに拒んでいれば、埒が明かないと思ったのだろう。制服から学校を特定されて、学校に連絡を入れられてしまった。


 学校からそう遠くなかったこともあり、すぐに教師が現れる。最悪なことに、この場に来たのは紅葉の担任の生徒指導教師であった。


 紅葉の姿を見るや否や、「またお前か」と呆れたような表情を浮かべていた。


 「この度は本当に申し訳ございませんでした」

 「いや、まだ確定ではないんですけどね。けど、ちょうどそれらしき現場を目撃しましたので……本人は一応やっていないと言っているんですが」

 「ほら、お前も頭下げろ」


 後頭部を掴まれ、無理矢理頭を下げさせられる。警察官の言葉を聞かずに、先入観で紅葉が悪いと決めつけているのだ。


 「ほら、謝れ」

 「絶対に嫌」

 「お前な……」

 「やってもないことで、謝りたくない」


 どれだけ他人に濡れ衣を着せられて、誰も信じてくれなかったとしても、自分だけは味方でいてあげたかった。

 頑なに認めようとしない紅葉に、警察官が溜息を吐く。


 「……今回はまぁ、未遂だったことですし。次は絶対に無いですからね」

 「はい、キツく叱っておきますので」


 結局紅葉の疑いは晴れぬまま、話はあやふやに終わらされてしまった。警察が去った後、担任は凄い剣幕で紅葉に向かって怒鳴りたてた。


 「お前、明日学校に来なくていいからな」

 「は?」

 「処遇は明日の職員会議で決める」

 「待ってよ、あたしやってないって言ってるじゃん」

 「認めてほしいんだったら、普段の行いを改めろ。さんざん言っただろう。こういうときに信用してもらえなくなるから、俺は何度もお前を叱ったんだからな」


 その言葉に何も言い返せなくなる。普段あれほど好き勝手生きているのだから、信用が地に落ちていても不思議じゃない。


 寧ろ、こう言う時だけ自分を信じろ、だなんて虫が良すぎる。身から出た錆、とはまさにこのことを指すのだろう。


 疑われることも、信じてもらえないこともいつも通りだというのに。誰も守ってくれないことだって、今に始まったことじゃないのに、やはり何度経験しても慣れるものではない。

 ジクジクとした胸に気づかないフリをして、紅葉はひっそりと自分の身を守っていた。

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