第3話

 

 放課後、紅葉は当然のように補習には参加せず、遊園地へと向かっていた。


 ジェットコースターに乗って、園内のフードコートで美味しいごはんを食べる。勉強するよりもはるかに楽しい時間に、やはり補習に行かなくて良かったと思ってしまう。


 楽しい時間はあっという間に過ぎて、閉園を迎えるのと同時に三人は遊園地を後にした。


 電車に揺られて帰宅する途中、乗り換えのために流風が一人電車を降りる。初とは最寄り駅が一緒なため、引き続き同じ車両に並んで座っていた。


 「めいさ、今日どうする」


 静かな車内に配慮してか、初が小さな声で問いてくる。その言葉の意味を理解して、すぐに「泊めて」と返事をした。


 「ごめんな、昨日まさかお袋が帰ってくるとは思わなくてさ。もういないし、暫く来ないから」

 「別にいいし。昨日は流歌の家泊めてもらったから」


 彼の家に泊めてもらっているのはいつものことだ。お互い、どちらかの家族が家を空けているときはいつも泊りに行っていた。中学の頃から続いているこの関係は、今もなお続いているのだ。







 翌朝。カーテンから差し込む朝日の眩しさに、紅葉は意識を浮上させた。

 まだ眠りたいというのに、無情にも朝は訪れてしまう。二度寝をしてしまおうかと考えていれば、けたたましい目覚まし音に完全に目を覚ます。


 どうやら、初が寝る前にスマートフォンのアラームを設定していたようだ。


 「えー……もう朝?」


 アラームを掛けた張本人が、目を擦りながら布団から起き上がる。紅葉も気だるい体に鞭を打って何とか布団から抜け出した。


 初が歯を磨いている隣で、寝間着を脱いで制服に着替える。二人の間に羞恥心は存在せず、見ようが見られないがちっとも気にした様子はない。


 身だしなみを整えて、軽く朝食を済ませてから、二人は学校へと向かっていた。

 徒歩二十分ほどの距離は中々に疲れるが、朝の満員電車に乗らなくて済むだけマシだ。


 昨日は流風の家から学校へ電車に乗って向かったが、ラッシュの時間帯だったため、地獄のような空間だったのだ。


 無事に到着して、校門を潜って教室に向かおうとすれば、聞き慣れた声に引き止められる。

 嫌な表情を隠さずに振り返れば、案の定そこには風紀委員の相川岳あいかわがくがいた。


 「鈴木さん、スカートの丈校則違反です。前も言いましたよね」

 「次から直すから」

 「それ何度目ですか。いい加減にしてください」

 「めんどくさいなぁ……朝からうざいんだけど」


 一個下だというのに、相川はちっとも引く様子がない。正義感が強いのか、毎朝紅葉に対して突っかかってくるのだ。どうやってこの場を切り抜けようかと考えていれば、あの女の声が聞こえて思わず眉を顰める。 


 「どうしたの?相川くん」


 低すぎず、高すぎない凛とした声色。同じ学年の水野彩葉みずのいろはのことを、紅葉はあまり得意ではなかった。


 風紀委員長を務めていて、才色兼備、頭脳明晰とうたわれる彼女に落ち度なんてあるはずがない。ただ、一方的に紅葉が避けているのだ。


 「委員長、また鈴木さんです。鈴木〟めいぷる〝さん」

 「わざわざフルネームで言わなくてもいいじゃん」


 恥ずかしさから、苛立ちがこみ上げてくる。紅葉と書いてめいぷる。


 小さい頃から散々揶揄われてきた名前は、紅葉の中ですっかりコンプレックスになってしまっていた。そのため、周囲には上二文字で「めい」と呼ばせているというのに。


 「派手な染色にピアス。そして濃い化粧と、スカート丈も校則違反ですよ」

 「皆染めてんじゃん。金髪だけダメとか意味わかんないだけど」

 「皆、派手ではない範囲ですから。マツエクとカラコンも暗黙の了解で禁止されていますから」

 「は?暗黙の了解ってなに。中二病かよ」


 相川と紅葉の言い合いに、注目が集まっているのが分かる。優等生の相川に突っかかる馬鹿な問題児。見世物にされているような状況が嫌で、内心早く立ち去りたくて堪らなかった。


 苛立ちから口調が荒くなっていれば、見かねた水野彩葉が仲裁に入ってくる。


 「鈴木ちゃん、相川くんも落ち着いて」


 困ったように眉を寄せている姿は、同性の紅葉からしてみても可愛らしい。真っすぐな綺麗な黒髪に、化粧なんて必要ない程整った顔立ち。


 160センチは超えているであろうスタイルの良さに、定期テストでは毎回一位。

そして風紀委員長を務める彼女は、間違いなく優等生だ。紅葉とは対極の、月と鼈。まるで雲の上の存在のような人だ。


 「髪色さ、あと二トーンくらい落とせない?私たちも黒髪にしろとは言わないから」

 「……風紀委員長がそんなこと言っていいわけ」

 「だって、ギャルじゃない鈴木ちゃんとか想像つかないし。うちの学校校則緩い方だし、校則の範囲内でも十分おしゃれできるよ」


 まさに正論だ。けれど、紅葉だって校則を破りたくて破っているわけではない。自分に一番似合う格好、スタイルは何かを一生懸命研究して、辿り着いたのが今の姿なのだ。

一番自分を輝かせられるから貫いているだけであって、そもそもそんな正論で納得できるようであればとっくにこのスタイルは手放している。


 「やーだよ」


 皮肉を込めて舌を出してから、一目散に走りだす。背後から「鈴木さん」と制止する相川の声が聞こえるが、構わず走り続けた。


  風紀委員の提案を受け入れないと解放してもらえないなら、逃亡すればいい。校門で風紀委員につかまって、隙を見て逃げ出す。


  毎朝この繰り返しだというのに、風紀委員の人たちもよく懲りないものだ。


 教室に入れば、そこには流風と話す初の姿があった。初だってぎりぎり校則を破っているというのに、紅葉の陰に隠れていつも見逃されているのだ。


 「初、あんた裏切ったね」

 「ああいうのは、問題児の陰に隠れてダッシュするのが一番賢いんだよ」

 「初も問題児でしょ」

 「見た目はめいよりマシだからな」

 「二人とも十分問題児だから。てか、今の風紀委員長優しくない?今までの風紀委員長に比べたら取り締まりも緩いんでしょ?何でめいは毎朝争うかなぁ」


 確かに風紀委員長が水野彩葉になってから、学校の校則は随分と緩和された。髪色は今までよりも二トーン明るくても許されるようになり、禁止されていたカラーコンタクトも、直径が十四ミリ以下であれば装着可能となったのだ。


  その変わりに歩きスマホや自転車に乗りながらのイヤホンの利用を厳しく取り締まるようになったらしい。


 「私、委員長のこと結構憧れてるよ。柔道している姿とか超かっこいいらしいし、めちゃ美人」

 「確かに、あの細見で背負いなげとかするんだろ?想像つかねぇ」

 「……あんなの、たいしたことないし」


 吐き捨てるように呟けば、流風が子供を可愛がるかのように頭を撫でてくる。下の兄弟がいるせいか、流風は面倒見が良いのだ。


 「可愛いねー。私たちが委員長の肩持ったから、嫉妬してるの?」

 「は?違うし」

 「この子、本当にネコみたい」


 子供の次は、今度は猫扱いだ。顎の下を擽られて思わず身をよじれば、教室のスピーカーから担任の声が響き渡った。『二年B組の鈴木紅葉、今すぐ職員室に来るように』という言葉に気分が重くなる。


 「なんかしたかな……」

 「昨日の補習ぶっちしたことじゃないの?それか、校則違反?」

 「タバコだろ」

 「タバコしてないし、変なこと言うな」


 失礼な初の物言いに噛みついてから、教室を後にする。呼び出されて怒られる要因は山のようにある。


一体どれを怒られるのだろうか、とどこか他人事で職員室に入れば、そこにはカンカンに怒った担任の姿があった。


これは長くなりそうだと辟易していれば、なぜか担任の隣に水野彩葉の姿があることに気づく。それに戸惑いつつ、恐る恐る二人のもとへ近づいていく。


 「……なんですか」

 「お前な、昨日補習来なかっただろう」

 「歯医者でした」

 「健康診断で引っかかってなかっただろう。あのな、本当だったら留年でもおかしくないんだからな」


 担任の気迫からして、これは脅しではなくて本当なのだろう。留年はさすがに困る。都立とはいえ、掛かる費用だって馬鹿にならない。


それに、初と流風がいない高校生活なんて絶対につまらないに決まっているのだ。


「それは……無理です」

「……そう言うと思ってだな、水野に相談したら、お前の面倒を見てくれるそうだ」

 「え……」


 思わず乾いた声が漏れる。彩葉の方を見やれば、視線が合うのと同時に微笑まれて、咄嗟に顔を逸らした。


 「どういうことですか」

 「留年候補にお前の名前が挙がってから、何度か話していたんだ。風紀委員に直接見張らせて、素行を改めさせるしかないって」

 「けど、なんで水野なんですか。風紀委員だったら他にも…」

 「うちはな、一応進学校なんだぞ。他人の面倒を見て、自分の成績をキープできる生徒なんて水野くらいしかいないだろう。快く引き受けてくれた水野に感謝しろよ」


 頬が引き攣るのが自分でも分かる。「よろしくね」と声を掛けられるが、喉が張り付いてしまったように声が出なかった。


彼女といると、思い出したくないあの頃の記憶が引っ張り出されるのだ。


彩葉はこちらのことは何も覚えていないようだが、仕方ないだろう。あの頃と名字は変わってしまっているし、化粧をして顔だってかなり違う。


気づかれないことにホッとしながら、ここまで彩葉と差がついてしまったことが惨めで仕方なかった。

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