第六章 如月圭都

(1)エミリアベアベアー紛失事件

「女子高生と付き合ってる男子ってさあ、キモくない?」


 大学時代、何の気なしに同級生の陽キャ女子が発した言葉。

 あっちゃんに告白されたとき、真っ先に頭をよぎったのが、それだった。もっとも、そのときの彼女は高校生どころか中学生だったわけだけど。


 キモいと言われる所以は、なんとなくわかる。なんだかパッとしなくて同世代の異性に相手にされないような男が、年下と交際している例は俺も何人か見てきた。

 人にはそれぞれ事情があるし、すべてに当てはまるわけではないにしても。高校生相手なら、どんなに駄目な学生生活を送っていてもそれを知られることなく、大学生というだけでちやほやされて尊敬のまなざしを向けてもらえる。だから簡単に自尊心を保つことができる。社会人が学生に手を出しているパターンも同じような場合がある。

 キモいというよりは、情けない。そんな感想を抱いていた俺は、衝動的にあっちゃんを振ろうとした。だけど、できなかった。

 あっちゃんが俺のそうした行動を先読みしたように、傷ついた顔をしていたから。

 きっと彼女は俺のあずかり知らないところで、ずっと一人で考えていたのだと思う。十歳離れた俺を好きになること。俺が、十歳離れた女の子に好かれること。それが客観的にどう見えるか。俺がどう思うか。

 それならきっと、俺も真剣に考えなければいけないと思った。彼女と付き合うとはどういうことか。振るというのはどういうことか。俺はあっちゃんを、愛莉のことをどう思っているのか。


 一晩返事を待ってもらって残った答えは、「愛しい」だった。

 俺の中にある色んな考えに整理がついたわけではない。けれど、ひとまず俺は自分が出した答えを信じて、愛莉の彼氏になることにした。





 春。あっちゃんは高校生になって少し大人になった。


「圭都くん、おはよー!」


 耳元で元気よく叫ばれて、はっと目を開ける。あっちゃんがベッドの上で仰向けに寝転ぶ俺の顔をのぞき込んでいた。


「おはよう!」

「おはよう……」


 俺があくび混じりに返事をするのを確認して、あっちゃんは俺に巻き付いていた毛布を乱暴に引きはがした。

 あっちゃんは今日も元気だ。俺は朝にめちゃくちゃ弱い。誰かにこうやって無理やり起こされないと、いつまでも寝ている。最長睡眠記録は十五時間。

 普段は母さんが「仕事に遅刻するよ!」と尻を叩いて起こしてくれる。子どものときからそうだ。

 休日は、仕事がないから放っておかれる。そうしたら、いつの間にかあっちゃんが起こしに来るようになった。


「圭都くん、これあげる」


 ちゃんと覚醒して着替えたり洗面所に移動して歯を磨いたりしてから、部屋に戻ってもう一度ベッドの上に座りなおすと、あっちゃんが手のひらサイズのマスコットを手渡してきた。

 ふりふりのドレスを着た茶色いクマ。


「ありがとう。これ、何?」

「エミリアベアベアー。エミリア姫とベアベアーっていうクマのキャラがコラボしたやつ」

「……舌噛んじゃいそうな名前だね」


 エミリア姫は昨年、動画配信サイトで偶然見つけた映画作品のヒロイン。意外と人気なのか、続編が劇場公開されていて、あっちゃんと観に行ったのは記憶に新しい。果てにはクマのゆるキャラとコラボしているとは商魂たくましいな。


「昨日、学校の帰りに友だちとゲーセンで取った。二つおんなじの取れたから一個あげる」


 隣に座ってニコニコ笑いながらそう言う彼女の様子を見ていると、高校で新しい友だちと仲良くやっているんだな、というのがわかる。


「高校楽しい?」

「楽しいよ。でも想像してたのとはちょっと違った」

「何が?」

「おしとやかなお嬢様学校だと思ってたけど、入学してから少し経ってみんな慣れてきて、本性を現し始めた」


 あっちゃんが通っているのは世間ではイイとこのお嬢さんが通うと言われている私立女子校。もちろん俺はそうした外側のイメージしか知らないけど、内情はどうやら多少違うようだ。


「校門の外ではみんな、あらどうもごきげんよう~、みたいな挨拶なのに、教室の中とかすごいよ。みんなね、がはははって笑うし今日暑くなーい? って言いながら制服のスカートをバサバサして風起こすの。それでこないだ、隣の席の子が肉最強って書いてあるパンツ履いてるの丸見えだった」

「……その子、肉が好きなの?」

「うーん? というか、変な字が書いてある服や小物が好きみたい」


 そのパンツの子についてはそれ以上触れないことにした。それにしても、最近のあっちゃんの変化について、やっとわかってすっきりした気がする。


「だからか。あっちゃん、俺と一緒にいるときもたまに、がはははって笑ってるよ」

「え、うそ」

「ほんと、ほんと。友だちの笑い方がうつっちゃったんだ」

「い、いやだあ~」


 嘆きながら足をじたばたさせている。その様子にちょっと笑いながら抱き寄せて、唇に触れるだけのキスをすると、足の動きがとまった。


「どんな笑い方してても可愛いよ」


 まだ不満そうな表情をしつつも、少しご機嫌になったのが隠しきれていない。

 落ち着いたグレーの色合いの高校の制服に身をつつみ、すました顔で通学するあっちゃん。そんなときの彼女は普段よりもお姉さんに見えて、それはそれで嫌いじゃない。

 けど、がはははでもわはははでも、屈託なく大声で思いっきり笑うあっちゃんが可愛いのも、事実だ。それが見られなくなるのは残念だから、そんな嫌がらないでほしい。




 エミリアベアベアーのマスコットは、あっちゃんが「お揃いで付けたい」と主張したため、同じものが彼女のスクールバッグと俺のビジネスバッグに一つずつくっついている。

 黒い簡素な自分のカバンにそれはあまりにも可愛すぎて浮いてしまう。それが恥ずかしくて、いつもカバンの内側にマスコットを隠して通勤していた。

 だから、それをなくしたとき、気づくのにも遅れてしまった。


 ない、と思ったとのは一時間ほど残業をして、会社を出ようとした帰り際。

 ふと見ると、カバンにくっついていたチェーンだけが意味なくぶら下がっている。

 取れちゃったのか、と思いカバンの底を手で探ってみるけれど、ベアーはいない。それだけのことに、なぜか心臓の脈打つ速度が速くなる。

 一度、中身を全部デスクの上に出して、カバンを逆さまにしてみて、戻す。ない。

 足元に落ちていないかとデスクの下をのぞき込んでいると、同じ部署の先輩に背中を叩かれた。


「お前、何やってんの?」

「あ、藤木ふじきさん……ちょっと探し物を」

「何? 大事なもん?」


 藤木さんの目線が険しくなったから、慌てて首と手をぶんぶん振る。


「や、仕事関係のじゃないです! 個人的な、えーと、カバンに付けてたクマのマスコットが行方不明で……」

「クマぁ?」


 それこそ熊みたいな体格の藤木さんは、のしのしと俺の隣にしゃがみ込んでデスクの下を見た。


「どんなクマだ」

「……白いドレス着た、茶色いクマです。手のひらくらいの大きさの」

「しゃあねえなあ、オレもう帰るとこだったから一緒に探してやるよ」

「え!? いや、どこで落としたかもわからないので、悪いですし……」


 もともと面倒見の良い先輩だとは思っていたけど、こんなことで頼るのは申し訳ない。


「いやでも、気になるだろうが。というかどこかに取り残されてると思ったらかわいそうだろうが、クマ。他人の目で見たら出てくるかもしんねえからカバン見せてみろ」

「……クマ、好きなんですか?」

「可愛いやつは何でも好きだ」


 藤木さんはそう言うと、俺とは違う目でカバンの中とデスク回りを確認してくれた。ベアーはいなかった。


「時間取らせてすみません。後は自分で探すかあきらめるかします……」

「そうか? あー、いやでも、一応落とし物ボックスは見といてもいいんじゃないか?」

「落とし物ボックス……」

「ほら、エントランスの受付んとこにあるだろ」


 社内の落とし物なら何でもごっちゃに入っているという、あの箱か。存在は知っていたけれど、今まで見たこともなかった。


「帰るついでに見てみようや」


 そう言って歩き出した藤木さんの大きな背中を俺は慌てて追いかけた。

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