(2)斎藤さんが来る

 エントランスに行くと、いつも二人座っているはずの受付には、一人しかいなかった。

 まあ、どちらかといえば社外からの訪問者向けの受付だ。退勤時刻を過ぎていると人がいないことも珍しくはない。

 落とし物ボックスを藤木さんと一緒に軽く漁ると、かなり上のほうに探し求めていたクマがいた。


「あった……」

「良かったな、如月。へえ、こいつなかなか可愛いな」


 早鐘を打っていた心臓が安堵したのか落ち着きを取り戻す。


「あーっ! そのベアベアーちゃん、持ち主見つかっちゃったんですかーっ?」


 突然、キーの高い女性の声が横入りしてきて、びくっと肩を揺らした。

 俺と同じ二十代くらいの見た目の女性が爛々と光る目でこちらを見ていた。よく見ると首からカードキーを下げている。「総務部 斎藤」と書いてある。たまに受付に座っているのを見る顔だ。

 もう一人の受付嬢の女性が「斎藤さいとうさん、」と咎めるように名前を呼んだ。


「だあって、その子気に入ってたんですもん。いなくなっちゃうなんて……ね、きみ、それきみの?」

「は、はい……」

「私ね、ベアベアーちゃんすっごい好きで集めてるの。でもその衣装は持ってなくて、落とし物で届けられたとき、めっちゃテンション上がっちゃって! どこ? どこで手に入れたの? コラボとかそういう系?」


 女性アナウンサーみたいな整った顔の人。そしてとにかく早口。

 勢いに気圧されて後ずさっていると、その人……斎藤さんはふいに喋るのをやめて俺をまじまじと凝視した。


「きみ、よく見るとかっこいいね。名前なんていうの? どこの部署?」

「……マーケティング部の如月です」

「ふうん。藤木くん、如月くんって優秀? 仕事できる?」


 藤木さんは呆れたようにため息をついて、斎藤さんから俺を引きはがした。


「まあまあってとこだよ。エースとまでは言わんけど、真面目で仕事が丁寧だからそれなりの戦力。オレら帰るから。じゃあな」


 背中を押され、会社のビルの外に出た。そのまま駅までの道を並んで歩く。


「あの人はいったい……」

「ありゃオレの同期だ。斎藤しほり。知らない? 弊社の会長の孫娘。社長の末のお嬢さん」

「まっ? かっ? しゃっ……?」


 声にならない声で驚きを表すと、藤木さんに苦笑された。


「まあたぶんコネ入社だろうな。最初は企画開発部にいたけどあんま仕事できねえとかで製造部とか経理部とか転々として、去年くらいから総務部。今は受付嬢に落ち着いてる。それも絶対二人体制にして見張り付きでな」

「ほえー、なんか大変そうですね」


 それなりの従業員数を擁する一応大手の企業であることや、業務の中で顔を合わせる機会が偶然なかったことから、全然知らなかった。どれくらい仕事ができないのかはわからないけど、同じ部署に同僚としていると厄介かもしれない。……俺だって完ぺきに仕事がこなせるほど器用じゃないから、人のことは言えないけど。


「如月、呑気そうにしてるが気い付けろよ。さっきので目つけられたぞ、あれは」

「え」


 アホ面するな、とデコピンされた。指が太いから二倍痛い気がする。


「あいつ、面食いだから。社内の顔が良い奴をすぐに恋人にしようとする。でも社長のほうはどうせ社内恋愛するなら、ゆくゆくは結婚して一族の経営に加わってくれるような優秀な奴と交際してほしいみたいで。その結果、イケメンかつ仕事のできる男を探索している。しかしそんな両方持ってる都合の良い男は多くない。いても既婚者だったり。そして探索は続く。それが斎藤しほり。お前は今、探索センサーにひっかかって品定めされている」

「俺イケメンじゃないです」

「息をするように嘘をつくな。お前、物静かだから影薄くて目立たないだけでイケメンの部類なんだよ」

「で、でも、優秀じゃないです」


 藤木さんの目をつけられたという発言からなんとか目を背けたい。男女問わず、圧の強い感じの人は苦手だ。しかも藤木さんの話を信じるなら、結婚とか一族の経営に加わるとか、かなりの大ごとじゃないか。

 俺自身は出世欲なんか皆無だし、そんな社長令嬢の気まぐれみたいなものに巻き込まれて経営幹部になんかなりたくない。無理無理無理の無理すぎる。


「なんでさっき、俺がまあまあ仕事できるみたいなこと言ったんですか……如月はぽんこつで使えない、くらい言ってくださいよ……」


 自分でも情けなく聞こえる声音で抗議するが、藤木さんには一蹴されてしまう。


「残念ながら、本当にまあまあ優秀なんだよなあ」

「嘘でもいいから言ってくれれば!」

「それはお前が傷つくかと思って言わなかったんだろうが。オレなりの優しさだろうが。まああれだ、斎藤に付きまとわれるようなことがあれば、オレがいるときは上手いこと追い払ってやるから」

「明日から藤木さんのそばを離れません。よろしくお願いします。俺を全力で守ってください……」

「めんどくせえ奴だな。だから顔がいいのにモテねえんだな」


 別にモテなくてかまわない。俺にはあっちゃんがいるし。




 かくして俺の、藤木さんのコバンザメのような日々が始まった。

 といっても、同じ部署にいるとはいえ、常に同じ仕事をしているわけでもないし、四六時中一緒にはいられない。昼の休み時間とか、自由な時間だけ藤木さんの後をついて回っていた。

 今のところ、藤木さんは俺を斎藤さんからめちゃくちゃガードしてくれている。つまり、斎藤さんが俺を狙ってめちゃくちゃ会いに来ている。


「ところで如月、斎藤にあんだけ追いかけ回されているが、お前自身は好きな人とか気になる人とかいないのか」


 ある日、二人でランチをしていると、藤木さんに唐突に質問された。社員食堂やその他社内の昼食スポットにいると斎藤さんが来る。それを避けるために、社外に出ていた。

 近場の定食屋。カウンター席に横並びに座ってごはんを食べる。唐揚げ定食、美味しい。藤木さんの食べるさば味噌煮定食も、美味しそう。でも俺はさばが苦手だから今後食べることはないと思う。唐揚げは好きだ。皮がサクサクしていて中の肉が柔らかいやつが特に好き。ここの唐揚げはそういう理想に限りなく近い。

 俺は口の中の唐揚げを飲み込みながら、そういえば家族以外の誰にもあっちゃんと付き合ってること、言ってないなと気づいた。隠してたってわけでもないけど、あえて話す機会もなかった。


「好きな人っていうか俺、彼女いますけど」

「はあ? それ早よ言わんかい」


 藤木さんがそう言ったとき、俺の右隣りの空いている席に、人の気配がした。


「はろー、如月くん、藤木くん」

「げっ、斎藤さん……」

「げ、とは何よう、失礼ね。探したよー」


 斎藤さんは、さば味噌煮定食のトレイをとんと置いて座った。


「唐揚げだー。好きなの?」

「……はあ」

「えー、どっちよ。如月くんの好きな食べ物知りたいなあ」


 にこりと微笑みかけられて、対応に困る。この人はさばが好きなんだろうか。さばを食べる男とさばを食べる女に挟まれて座っている。ここのさば味噌煮はそんなに美味しいのだろうか。一ミリほど興味がわくけど、やっぱり食べる気にはならない。


「斎藤、やめとけ。こいつ彼女いるってよ」

「ふーん、そう。で、その彼女さんはどんな人なの? 私、自分のほうがいい女の自信ありますけど?」


 どんな人かと訊かれても困る。いい女かどうかでライバル心を出されても、困る。


「おいおいおい、本気で如月の迷惑になるからそこらへんにしとけ? そしていい女を名乗りたいならもうちょい真面目に仕事しろよ」

「仕事してるよー! なぜか失敗多いけど。それにね私、如月くん結構気に入ってるの。あわよくば付き合いたい」

「勘弁してください」

「ひどーい、そんなこと言わないでよ。そういえばこのあいだのベアベアーちゃん、コラボの新バージョンなんだってね。今どこにいるの? カバン?」

「……家です」


 万が一なくしてしまうのが怖くなって、ビジネスバッグにつけるのをやめてしまった。ふと、部屋のデスクに置いてあるベアベアーを思い浮かべる。俺の質素な部屋でも、あれは少し浮いている。どちらかというとあっちゃん好みのガーリーなクマ。


「ほーん」


 藤木さんが俺を見てにこやかに変な声を出した。


「なんですか、ほーんって」

「いやあ、あのクマ。もしかして彼女からのもらいもんか」

「ほーん、なるほどね」


 なぜか、斎藤さんまで意味深に笑って変な声を出す。


「なんでわかるんですか」

「「顔に出てる」」


 自分、いったいどんな顔をしていたんだろう……。

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