彼は絶賛受験生

 十二月の第三日曜日、進学先の大学の課題に一区切りをつけて、部屋の時計を眺めたら十二時に差し掛かっていた。


 先月の終わり、指定校推薦を使って第一志望の学校に入学が決まった。その代わりに待ち受けていたのは山のような、という言葉がそのまま当てはまるくらい山のような課題だった。進学先が決まって気は楽だが、課題は重く、毎日日付が変わるくらいまで課題に追われる一週間だった。


 別に、特段健康志向があるわけでもないが、十二時を過ぎたと分かった時点で不思議とやる気が無くなって、そのままベッドへダイブする日々。グウッと伸びをすると背骨がポキポキと軽快な音を立てて、同時にため息が漏れた。

 「今日はもうおしまい。寝よ」


 その時、ヴヴっとベッドの上に放り投げていたスマホが震えた。

 「……瀬尾君だろうな」

 椅子から滑り落ちて膝立ちのまま背後のベッドに行きつく。

 「どこだスマホー。スマホ―……あ、あった」

 実際、瀬尾君からメッセージが来ていた。



 瀬尾君こと瀬尾宗哉君は私の数少ない異性の友達の一人で、二年の頃からの付き合いだ。クラスメイトで友達。移動教室はよく一緒に行って、偶にメッセージのやり取りをして、そういう時間では大抵お互いの好きなアイドルの曲の話や、日常のちょっとした話をしている。

 友人からは「いつも一緒にいるね」「付き合ってるの?」と訊かれることが時折あるが、「いいや、友達」とだけ返している。

 瀬尾君の方もそういう質問をされた時は「友達だけど?」と返していた。

 私と瀬尾君の関係はあくまでも友人なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。第一、瀬尾君を恋愛対象として考えたことなど一度だってないのだ。

 それに、この何とも丁度いい距離が形成されてしまっている以上、縮めるのも離れてしまうのも考えられなかった。




 その友達である瀬尾君からのメッセージはいつもと同じような感じだった。

 『ついさっきのウチの猫様。絶賛反省の色なしなんだよ』

 メッセージと共に「私は花瓶を割りました」と書かれたプラカードのようなものを首からぶら下げている茶トラの猫の写真が送られてきていた。ふてぶてしいまでにそっぽを向いているので確かに全く反省していないように見える。


 『なにしたの』

 口元を緩めて猫の写真を眺める。

 『壁で爪とぎしてた。予備校帰ってくるなり母さん発狂していてさ』

 納得の内容だった。我が家では猫は買っていないが、見るも悲惨な光景となるのは容易に想像できる。だが、こうして遊び心がある限りはそれほど激昂するほどではないと見える。


 『お疲れ様』と添えられたパンダのスタンプを送る。


 『まあ、母さん溺愛してるからこんなことしてるんだけどな』


 『笑。お母さん面白いね』


『今さっき帰ってきて、早々これ見せられて何とも言えないんだよな。反応に困ってさ』


 確かに、自分の母がこんなSNSでしか見ないようなことをしていたら微笑ましいとか面白いと感じるより、何おかしなことやってんのといった感想のほうが先に出てきそうだ。

 瀬尾君のお母さんにあったことないので何とも言えないが、もし我が家で猫を飼っていて、母が同じことをしたら、きっと私は白い目で見る。


 『と、言う事は今帰り?』


 途切れそうな話題を惰性で繋いだ。


 『そそ。もうセンターまで一か月切ってるし、残れるだけ残ってる』


 『うわぁ、お疲れ様。ゆっくり休んでください』


 瀬尾君は国公立大学を志望しているそうで、推薦でいち早く受験を終えてしまってしまった私は、その頑張りに尊敬するばかりだ。眠気と格闘しながら英単語帳とにらめっこをしている姿を毎日教室で見かける。半年くらい前の模試では確か第一志望がB判定と言っていたか。


 なんにせよ、今が追い込みの時期であるのには間違いない。明日の終業式が終われば冬休み。いよいよ忙しくなるのだろう。


 こうしてメッセージで会話するのも、これからどんどん減っていくのだろうなと思うと、仕方ないにしろ少し寂しいと感じてしまう。


 瀬尾君から『ありがとう』とのスタンプが送られて、会話が途切れた。


 スマホを枕元において、部屋の電気を橙色の常夜灯に変える。ベッドに潜り込んで、もぞもぞと足で掛布団を身体に合う位置に調整して、手探りで再びスマホをつかみ取る。

 SNSを一通り確認して目を閉じようとしたところで、瀬尾君からまたメッセージが来た。


 『そう言えば、平田にオススメしたい飲み物が』

 眉を上げて眠たい目をこすって見開いた。瀬尾君がお勧めしてくる物は大きく二つに分かれる。とてもセンスの良い物か、微妙に私のセンスと合わないものだ。後者は本当に微妙で、決して嫌いな訳ではないが、決して好きにはならないものばかりだった。一度試してみたらそれ以降はない。

 それでも、偶にお勧めしてくれるものを期待してる私がいた。


 『ぜひぜひ』


 仰向けになってスマホを掲げる。


 『甘いもの好き?』


 『大好きです』

 白いパッケージのやや小さめのペットボトルの写真が送られてきた。所々に苺の粒らしきものが見える。 

 『コンビニで売ってるイチゴミルク、ほんとに美味しい』


 どこのコンビニと訊くと、丁度高校の通学路の途中にもある名前だった。早速、頭に朝起きてからの予定を組み始める。

 『そんなに美味しかったの?』


 『マジのマジ。昨日見つけたんだけど世界変わるくらい美味しい。十段階で評価したら十五くらい』

 『十五って微妙じゃない?』


 そこは百というものではないか。

 『ちなみに七は二日目のカレー』

 ならばその二倍くらいの美味しさだと考えればいいのだろうか。イチゴの甘酸っぱさと砂糖の甘さが妄想の中で口いっぱいに広がる。

 同時にぐう、と鳴ってしまいそうな空腹感を覚えた。食べ物の話題をしたからだろう。最近は、夜更かしすることも多いから意識して夜食は控えるようにしているが、今無性にイチゴのお菓子が食べたくなってきてしまっている。台所にあっただろうか。


『瀬尾君がそんな話するからおなかすいてきたんですけど!』 

 私は口角を緩めながら親指動かした。


 『ひどい言いがかりだな!?』


 『そう言う訳で私はもう寝ます! 明日……今日学校だし、早く学校行ってイチゴミルク買わないといけないし』


『明日感想聞かせてくださいな』


「了解、と」


 『おやすみ』と寝むそうなパンダのスタンプを送り、瀬尾君からも同じようなスタンプが返されて、この会話はお開きになった。


 さっきまでのチャットをなんとなくスクロールして、なんとなく余韻に浸る。猫の写真に思わずニヤけてしまう。


 大抵勉強の励まし合いばかりしていて、今日のようなたわいもないやりとりは久しぶりな気がした。何気なしにスクロールを繰り返して、瀬尾君とのやり取りを追想する。前回のやり取りは一週間前だった。その前は二週間前。この時は通話もした。深夜十一時くらいから一時間くらい。私はコーヒーのカフェインのせいで全く眠れず、瀬尾君も同様だった。瀬尾君の方から通話を始めてきたので無碍にもできず、お互い勉強の見張りという体裁を取って話し続けた。話し続けたと言っても、殆ど無言でペンを動かす音ばかりだったが。


「その前は……前は……」


 次第にスクロールする手が速くなる。不思議と変な高揚感が沸いてきていた。


「……うわぁ、三年生なってから最低週一は瀬尾君と話しているなぁ」


 数回のやり取りで終わる日もあれば、かなりの長さがあるものまであった。それ以前に遡ると、頻度はぐっと減っていた。


「二年はまだ学校で話していたからかな」


 そう納得して、腕を高く伸ばす。


 もう学校生活も終盤だからだろうか、ちょっとしたはずみで今までの高校生活が漠然と瞼の裏に浮かぶ。


「初めて話した時はビックリしたなぁ」


 私たちの出会いは、うちの学校ならではの数奇なモノだった。

 そうやって柄にもなく感慨に耽る。卒業まではあと三か月もあるのに、次々に学校での思い出が蘇ってきた。それは多分、一昨日担任の先生が、私たちが制服に腕を通すのはあと数回しかないといった事を伝えてきたからだろか。


「でも、半年くらいは殆ど喋らなくって……あれも驚いたよなぁ……」


 ──こうしてみると私、瀬尾君の事ばっか考え…………て……それ、で。


 スルッと手が滑って顔面に黒い物体が重力に従って私に引き寄せられる。


「いたぁ!」


 スマホに殴られた鼻が潰れた。てっぺんからツンと刺されるような痛みが走って目尻から涙が出る。同時に何故だろうか、急に喉の渇きを覚えた。今、涙が出たからだろうか。イチゴミルクの話をしていたからだろうか。

 ──そんなはずはない。


 スマホをそのままベッドに置いたままにして、体を持ち上げて部屋を出る。階段をタタタと小走り気味に下りて、リビングのドアを勢いよく開けた。


 バンッと予想以上の音が出て、心臓が跳ねるも、この異常な鼓動はそれだけじゃない。


 リビングには誰もおらず、もうお母さんもお父さんも寝ているようだった。しかし、証明は点けっぱなしだった。白く、明るい光がまぶしく、目を細める。

 台所の電気を点けて冷蔵庫を開けた。お茶のポットを取り出して、棚から自分のコップを引っ張り出して思いきり注ぐ。泡が立って幾らか零れる。

 運動後疲れ切った人のように一気に飲み干す。一杯だけじゃ物足りなくて、二杯三杯と注いで飲み干すも、全く喉が潤った感じがしない。


 足の裏が浮ついている。背中が濡れている。今は十二月なのに。

「……風邪ひいた?」

 すぐさま体温計を探して熱を測る。結果はバリバリの平熱。むしろ少し低いくらいだった。

「…………」

 手すりを掴みながら、階段を一段一段昇る。答えは浮かんでこなかった。


 胸にわだかまりを覚えたまま、部屋に戻ってベッドに潜る。心臓の音が布団の中でうるさい。


 自分が自分じゃないみたいになって、カーテンの隙間から漏れる冷気が不安を煽る。

 あれから瀬尾君からメッセージは来ていなかった。画面をスクロールさせてとのメッセージを見返す。さっきの疑似追体験をすれば、この不調の原因もわかりそうな気がした。分からないまま終わればよかったのに。


「こうやって、さっきは……」


 脳内で何を思っていた。自問自答を繰り返す。


「瀬尾君のことを―――ッ!」


 ドン、と壁に何かが当たる音がした。私の手元からスマホが消えていた。

 私がスマホを投げた音だった。そのことに気づいたのは、私がいつの間にか起き上がっていて、常夜灯の光の隅っこで光を乱反射しているひび割れた画面が目に入ってからだ。


「――──!!!」


 なりふり構わず布団を頭から被っていち早く夢の世界に行こうとするも、鼓動が布団の中で爆音のように反響していた。


 眠気は完全に消えてしまっていた。


「違う違う違う。だって!」


 目を閉じても開けても瀬尾君の気の抜けた声が、気のよさそうな顔がずっと離れない。

 この現象、この心情に名前を付けることはとても簡単なことだった。 



 だけど、それを認めることを心の底から拒否していた。



「だって、私と瀬尾君は友達で……下らない事で馬鹿みたいに盛り上がったり、推しを好きなだけ語り合ったり、課題見せ合ったりする、そういう関係で……詩織とかとかと同じ扱いだし……所詮その程度だし……だから、これは気の迷いというか、課題で疲れてるから変なこと考えちゃっているんだ、きっと。そうだ、きっと……うん」


 頭が悪い方向に回転している。常夜灯までも消して、目をギュッと閉じる。


 そうしたら、高校生活の憧憬がより鮮明に脳内を駆け巡り始めた。

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