恐ろしい程に奇妙な出会い

 私たちの学校は少し特殊だった。

 公立高校でありながら、二年次から自分たちの時間割を自由に選択することができる制度を執っていた。

 大学の単位制とほとんど変わらない。


 受験で使う科目や、好きな科目だけを選択できるという点では非常に合理的で便利なシステムだ。

 卒業必要単位だけ最低限受講すれば空きコマも平気で作れたのがこの制度の最大の利点と言えた。

 その結果、同じクラスより他クラスの同じ講座を取っている人同士でのつながりが増えていくことの方が多かった。クラスなど関係なく講座毎に交友関係が築き上げられていくことが多く、ホームルームクラスはホームルームをするだけのクラスになり下がっていった。

 それでも修学旅行なんかホームルームクラスで活動するわけだから、クラス内での交友関係もある程度持っておかないといけないわけで。そういう所がこの学校ならではと言えた。


 私と瀬尾君は二年生から同じクラスになった。席も離れていたので、初めの頃はお互い認識すらしていなかった。


 年度初めの自己紹介も、自分の近い席の人や気になる人の紹介を聞くので精いっぱいで、その中に瀬尾君は入っていなかった。

 ただでさえこのホームルームクラスで動くことは数回しかないのだから、全員分熱心になって聞く必要も覚える必要もなかった。言ってしまっては何だが、私も瀬尾君も良い意味で印象に残るような容姿体型はしていない。かといって強烈な悪印象を与えるような容姿でもなかった。

 自分の名前を言って、好きな食べ物や無難な趣味を一つ挙げて二年間よろしくお願いしますと自己紹介。まばらな拍手の中で席に座ってすぐ次の人。そんな形式的な自己紹介が四十人分、流れ作業のように進むのだから、これほど退屈なことはなかった。私はあくびを噛み殺しながら、ずっと別の事を考えていた。




 そんな私が『瀬尾宗哉』というクラスメイトを知ったのは四月終わり、種々のオリエンテーリングもようやく終わって、最初の授業の時だった。

 自分たちで決めた時間割、それぞれの講座で教室が異なる。早い話が毎時間移動教室。

 出席番号が近く、早速仲良くなったクラスメイト数人はこぞって理系で、文系の私とはまるで違う時間割だった。英語は文理共通だったが、それも彼女たちとは違っていた。

「ごめんね~」と悪びれもなく苦笑いをした友人たちは「お昼は一緒に食べようね」と階段を上っていった。私は彼女たちを尻目に一人寂しく、俯きがちに初めての教室に向かって行った。

 一年の時に仲良くなった友達も理系だった上に全員クラスがバラバラになってしまっていた。


 不安とやり場のないイライラで茫漠とした焦慮に駆られていた。講座内で話せる人、課題だとか、授業内容だとかを訊きあえるような人を作らなければいざという時困る。それくらいの事、隣の人とうまくコミュニケーション取れれば大丈夫でしょ、と楽観視出来る性格だったらと思わずにはいられなかった。




「……んん?」

 私が異変に気付いたのは一日も終わる七限の世界史の授業の時だった。


 授業説明と春休みの課題を提出するだけの時間だったが、やけに疲れが溜まっていた。主に、移動教室の度に階段を上り下りする羽目になった足が。

 結局、六限の一度たりとも隣の人にさえ話しかけられないまま一日が終わろうとしていた。教室に入ると、先の六限と同じように黒板に張り出されてある座席表を確認して、フラフラとした足取りで席に座った。


「…………」

 改めて確認したい。この学校は自分で時間割を作成してその通りの教室で授業を受ける。講座が被っていたとしても、精々が一か二科目。少し多いと三科目くらい被ったりもするらしい。


「そのはずなんだけどなぁ」


 被っていたとしても、丸一日、同じ人を見ることがあろうか

 見間違いかもしれない。自分の記憶に自信はなかった。思い返してみると、毎時間の座席表に『瀬尾宗哉』と言う名前があったような気がする。

 もしかしてすごい講座被っていたりするのだろうかという疑問と、それを確信に変えたい好奇心が沸々と湧いてきた。


 所詮、沸いただけだっただけだが。


「話しかけてみようかな」


 幸い『瀬尾宗哉』と思しき彼は私の一つ前の席に座っていた。


 肩の付近まで手を伸ばして、その手が宙を漂って五分が過ぎた。


 今話しかけたら迷惑にならないだろうか。大体名前も知らない女子から話しかけられたら嫌じゃないだろうか、なんて思っていたら話しかけようにもできなかった。


 また明日、再度確認を取ってから話しかけてからでも遅くはないだろうと思うくらいに、私は臆病だった。




「……ねえ」



 不意に、目の前から聞きなれない男子の声が聞こえた、ような気がした。いつの間にか、目の前の男子はこちらの方を向いていた。細い二重の眼、ワックスで上げた黒い短い髪の男の子が私をじっと見つめている。

「ねえ」

 もう一度聞こえた。聞き間違いではなかった。


「……はい!? ……私に言ってる?」


「それ以外に誰がいるの」

 彼は責めるわけでもない口ぶりで、淡々と言った。疚しいことなんてあるはずもないのに、追い詰められたような気がしてならなかった。


「さっきから視線が痛いっていうか……ええと、何か用?」


「あー、えっと……」その次の言葉を用意していなかった私は窓を見たり黒板に目を逸らしたりした。コミュ力に乏しい自分を恨んだ。


 ──今日の授業全部同じクラスだったみたいなんだけど、ちょっと確かめてみたいから時間割見せてくれないー?

 みたいなことを気さくに明るい調子で切り出せれば良かった。



「……時間割、ください」


 緊張のあまり出た言葉は、時間割そのものを欲しがるような口ぶりになってしまった。

「新手のカツアゲ?」

 耳の奥がキーンとつんざくように鳴って、さらに血の気が引いた。


「えっと……時間割はあげられないよ」


 『瀬尾宗哉』は乾いた苦笑いを浮かべた。私も同調して「そうだよね」とぎこちなく笑うしかなかった。


 それでも、私の伝えたかったことを何となく察してくれたのか、クリアファイルから時間割の書かれたプリントを取り出して、私の机に置いた。


「見せてもいいけど、理由訊いても、」

「私の?」


 彼の言った事なんか耳に入らず、思わずそうつぶやいてしまう程、私と瀬尾君の時間割は似ていた。違っていたところと言えば、時間割の上に『瀬尾宗哉』と記載されているところくらいなものだった。


「……ええっと、平田色葉さん、でいいんだよね? 『私の』ってどういう意味?」


 私は手を震わせて直ぐに、スマホの待ち受けにした自分の時間割を彼に見せた。

「……俺の?」


「だよね、そう思うよね!?」


 私は夢中で机に乗り上げて瀬尾君に近づく。それに連動するように彼が身を引いて「近い近い」と頬を少し赤らめた。

「あ、ごめん……」ストンと腰を落とす。夢中になると、途端に視野が狭くなる。私の嫌いな、私の癖だ。


 落ち着かせてからもう一度、時間割のプリントに目を落とす。


「瀬尾宗哉君、よく見て」


「はいはい」フルネームはやめてほしいけど、と付け加える。


「瀬尾君が倫理と政経入れているところ、私空きコマなの」


「そりゃ、見ればわかるよ」


 私は二枚のプリントを指でなぞる。

「よく見て、それ以外、全部被ってるの」

 瀬尾君は息を呑んだ。


「……だな。改めて見ると、すごいシンクロ率だな。全部だよ、全部。奇跡か、去年の時間割作成の時思考共有でもしていたかとしか思えん」

「テレパシーで通じ合っていたのかもしれないね」

「かもしれない」


 瀬尾君は目をぱちくりさせて、未だ信じられないといったような目で私を見ていた。私も多分おんなじような表情をしている。

 狙っていないで全部の科目被っているだなんて、宝くじの一等が当たるのといい勝負かもしれなかった。



「偶然ついでに一個提案いいかな」

 瀬尾君が机の端をコツコツと叩く。


「なんです?」


 瀬尾君はもったいぶったように咳ばらいをしてから言った。


「初対面で、こんな事言って迷惑じゃなければいいけどさ……RINE交換しない? 別に深い意味があるわけじゃなく、課題とか、そういう連絡取りあえる人いた方が便利かなって思って。だって、ここまで講座被りしてるんだよ? 有効活用しない手はないじゃん」


 やや遠慮気味に、それでも力強く瀬尾君は手を合わせた。


 願ってもいない提案だった。私はすぐさま頷いて応える。


「もちろん。こっちこそよろしくお願いします!」


 言い終えてクラスのグループから連絡先を交換したタイミングで丁度良く予鈴が鳴った。 

 世界史担当の白髪で腰の曲がった先生が入ってきて、瀬尾宗哉君は前に向き直った。


 一時間、私は口角が吊り上がりっぱなしで、全く先生の話が耳に入ってこなかった。


 今年一年ずっとまとわりつくかもしれなかった憂慮が、たった一日で、しかもたった一人のクラスメイトのおかげで全て払拭されることになったのだ。




 放課後、軽やかな足取りで帰った。




 瀬尾君とは、体育や私の空きコマ以外毎時間顔を合わせるという事もあり、同じ講座の移動教室は成り行きで大抵、毎回一緒に行った。

 だけど、連絡先を交換したはいいが、数か月くらいは『よろしくお願いします』と送ったきりトーク画面の下の方に埋もれていた。

 休日にまで特別連絡する用なんてなかったし、そこまでの仲だとでも思っていなかった。尋常じゃないくらい講座が被ったクラスメイト。そんな関係だった。

 それに、私も瀬尾君も概ね課題などはキチンとこなしてくるタイプだったし、一度も休まなかった。課題関係で連絡する用事もなかったのだ。



 学校内でも必要以上の会話はほとんどしていなかった。

「……平田さん、プリントのここ、先生なんて言ってた?」

「そこは、レパントの海戦。逆にここの空欄何入れるの?」

「ああ、そこはチューリップ時代」

「なるほど。ありがとう」

「こちらこそ」

 といった具合の淡白さだった。出会ってから夏休み含めて四、五か月間ずっとこんな調子だった。


 この味気ない関係が少々奇妙だという自覚はあった。友人曰く、仲がいいのか悪いのか分からないとのことで、実際私も良く分からなかった。


 でも、居心地自体は良かった。確実に信頼できる人が一人いるだけでも、毎時間教室移動をするこの高校では非常に安心感を得られた。依存しすぎるのも良くないので、少しずつ隣の人とかと係わりは持つようにしていったが。


 瀬尾君自体に興味はないわけではなかった。趣味はあるのか、どんなものが好きなのか。あくまでも、クラスメイトとしての好奇心だった。

 そこの間を踏み越えるには、何かしらきっかけが必要な気がしていた。


 ほんの些細なきっかけで良かったが、別に、来なくてもよかった。

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