第28話 28日目 第一章完結

「わたし、綺麗?」

 これはまたステレオタイプな奴が来たな、と三条蒼乃は思った。

 女子高生である蒼乃が塾帰りの夜道を歩いていると、大きなマスクをした背の高い女性が問いかけてきたのだ。

 口裂け女。その都市伝説を知らない人は少ないだろう。マスクをした女性が「わたし、綺麗?」と問いかけてきて、「綺麗だ」と答えると「これでもか!」とマスクを外す。

 マスクを外すと口が耳元まで裂けた醜い顔が現れ、腰を抜かしたところを切り刻まれるそうだ。そして彼女本人と同じように口を裂かれてしまう。

 ちなみに「綺麗じゃない」と答えても普通に不機嫌になって切り刻まれるらしい。なんという理不尽。

「……ポマード、ポマード、ポマード」

 蒼乃は口裂け女撃退の呪文として広く知られる言葉を呟いた。

 口裂け女は百メートルを六秒で走り、空中に浮くことすらできるらしい。

 そんなわけで、基本的に見つかったら確実に殺されてしまう。

 しかし、正しい対処法をとることで口裂け女から逃げるチャンスが生まれる。ひとつめが、蒼乃の唱えたポマードという呪文だ。

 ポマードとは整髪料のことで、過去に彼女の整形手術を執刀した医者が大量につけていたためトラウマとなっているようだ。

 また、べっこう飴をあげるという手段もある。口裂け女はべっこう飴が大好物なので、それを舐めている間に逃げるという算段だ。

 馬鹿みたいに思えるけど、そう伝わっているから仕方がない。

「!?」

 しかし、口裂け女は首を傾げたまま怯むことなく、「わたし、綺麗?」と繰り返した。

 効果がない?

 あたふたしていると、口裂け女がしびれを切らしたような顔で「答えてよ」と催促してきた。

「き……綺麗って言うのは、個人の価値観によるからよ」

「だから貴方個人の考えを聞いているんですけど」

「綺麗だと……おもう」

 言った瞬間口裂け女がマスクに手をかけた。

 この流れはまずい。これは口裂け女の必殺パターンだ。

 そう思って目を閉じた瞬間、後ろから呑気な声が聞こえてきた。


「あたしは美しいと思うよ」


「朱音?」

 そこにいたのは同級生の七森朱音だった。

 口裂け女はゆっくりと朱音の方を向いて、マスクをとった。

 その女は、耳まで口が裂けていた。

「ひっ」

 蒼乃が腰を抜かす。しかし、標的は既に朱音へと切り替わっていた。

「これでもか!」

 そういう口裂け女に向かって、朱音は微笑みながら「うん」と肯定をした。

「……え?」

「綺麗かどうかが気になる、その気持ちが既に綺麗への一歩目だよ。あたしも綺麗になりたいからさ、一緒に切磋琢磨していかない?」

 そう言って手を差し出した。

 口裂け女は戸惑いながらも「え……ええ」と言って朱音と握手をした。

 そして口裂け女は、キラキラとした光に包まれて消えていった。

「な……なんで?」

 腰を抜かしたままの蒼乃が驚愕の声を絞り出す。

 朱音が何事もなかったような表情で、「存在意義を失ったんだよ」と言った。

「口裂け女は、二択を突きつけた挙句殺すっていう都市伝説だよね。それなのに口裂け女はあたしに感化されて殺すことができなかった。その結果、世間が望む口裂け女の形とズレてしまって、消滅したっていうわけ」

「……世間が望む口裂け女?」

「うん。ちなみに“ポマード”っていう呪文が効かなかったのも世間が望む口裂け女像のせいだよ。ポマードなんて今日日誰も知らないじゃん。だから効かなかったんだよ」

「あー、じゃあもしかして“ヘアジャム”だったら効いていたのか?」

 朱音は、あははーと笑いながら「可能性はあるね」と言った。

「こんな風に、都市伝説って言うのは周囲の望む姿によって形を変えることがあるんだ。それによって消滅させることも。だからあたしは、その性質を使って怪奇現象に襲われている人たちを救いたいの」



 しかし、朱音が口裂け女を消し去ってから数か月後、再び世に口裂け女が出始めた。

「朱音、また口裂け女の噂を聞くんだけど」

「そうだね。じゃあまた消し去りにいかないと」

 このころから、朱音の体に変化が起き始めた。

 近くで起きている怪奇現象を、感じ取れるようになってきたのだ。

「……あおちゃん。四丁目の駄菓子屋の前だよ」

「あんた、なんか人間離れしてきてるよね」

 その体の変化もきっと、“世間が望む都市伝説像”により歪められていったのだと推測できた。

 というのも、このころから世間にとある噂が流れ始めたのだ。

『怪奇現象に襲われていると、女子高生が助けに来る』というものだ。

言うまでもなく、七森朱音のことだ。

怪奇現象に立ち向かい続けた朱音は、世間から怪奇現象として認識されるようになった。

噂には尾ひれがつく。

曰く、その女子高生は怪奇現象を探知できる。

曰く、その女子高生はあらゆる怪奇現象を消滅させられる。

そして噂が広がるにつれて、にもその能力が追加されていった。

このままいくと数か月後には、瞬間移動ができるだとか目からビームが出るとかそういう設定が追加されそうだ。

目からビームが出る女子高生、嫌だなあ。

そう思いながら口裂け女の元へ向かう。

「わたし、綺麗?」

 朱音は、今まさに口裂け女に問いかけられている男性を押しのけて「あたしは美しいと思うよ」と言った。

 先日と同じ戦法である。

「これでもか!」

 いつも通りそういう口裂け女に向かって、朱音は微笑みながら「うん」と肯定をした。

「……え?」

「綺麗かどうかが気になる、その気持ちが既に綺麗への一歩目だよ。あたしも綺麗になりたいからさ、一緒に切磋琢磨していかない?」

 そう言って前回と同じように手を差し出した。

 しかし口裂け女は「は?」とだけ答え、持っている包丁を振りかぶった。

「ちょ!」

 前回と同じ戦法が通用しなかったことに焦った朱音の頭に一つの仮説が思い浮かぶ。

『口裂け女はそんな生半可な戦法では消えない』というのが世間の総意なの?

「ヘっ、ヘアジャム! ヘアジャム! ヘアジャム!」

 苦し紛れに朱音が叫ぶと、口裂け女は怯んだ。

 その隙に男性の手を引き、朱音は逃亡した。


「……ねえ、朱音」

「なに?」

「あんたが怪奇現象に立ち向かっていくのはすごく格好いいし、尊敬しているよ。でもさ、意味ないんじゃないか?」

「……」

「結局世間は、人間は面白い『作り話』を求めるんだよ。うちらはみんな、挫折と成功が見たいんだ。挫折だけの物語、成功だけの物語なんて誰も求めていなくて、折れたものが立ち上がるストーリーとか、成功したものが折れるストーリーを求めるんだよ」

「……あおちゃんは何が言いたいの?」

「朱音がいくら怪奇現象を消滅させても、世間がそれを許さない。朱音を越える怪奇現象として復活させるんだ。そしてそれをまた消滅させても、より強力になって帰ってくる。あんたがやろうとしていることは地獄の無限ループなんだよ」

「だから、なにが言いたいのって聞いてるんだよ!」

 朱音が怒鳴り声をあげた。

 彼女が声を荒げることはほとんどなかったので蒼乃は立ちすくんだ。

「あたしは、起きている怪奇現象を感じ取ることができるんだよ。そこで人が襲われているっていうことをその身で感じちゃうんだよ。それなのに見殺せっていうの?」

「朱音が数か月身を潜めたら、あんたの都市伝説は語られなくなる。そうするとそんな特殊能力は消えると思うけど」

「数か月間、人の悲鳴を聞かないふりをしろって?」

「……そう言ってるんだよ」

「残酷だね」

「朱音のことを……いや」

 蒼乃は言葉を飲み込んだ。

 朱音のことを思っているからこそ、だなんて、他人の蒼乃に言える台詞ではなかった。

「わかったよ。でも、本当に辛くなったときは、やめてくれ」

「……うん」


 こうして七森朱音は、終わらない作り話を追いかけることとなった。

 彼女が都市伝説を打ち破り、それに負けない伝説が語られる。

 その度に朱音は心を削り、より人知を越えていく。

 彼女は探知能力と瞬間移動を可能にし、身の丈ほどある日本刀を携えて。

 『怪異斬り』として世間に語り継がれることになった。

 人が面白い作り話を追い求める限り、彼女が解放されることはない。


<『つ』くりばなし 継続>

<第一章 完>

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毎日都市伝説を更新しないと出られない地獄に迷い込んだので死にます 姫路 りしゅう @uselesstimegs

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