第21話 21日目
これは私が小学生の時の話です。
男子たちの間でザリガニ釣りが流行りました。
知っていますか? ザリガニ釣り。
まあ釣りと聞いて想像するほどたいそうな準備は必要なくて、タコ糸の先っぽにスルメイカを結べば準備完了です。あとはそれを川に垂らすだけで、思わず笑っちゃうほど簡単にザリガニが釣れるんです。
ザリガニは食欲旺盛な上に知能も高くないので、魚のように釣るための技術も必要なく、その川にザリガニさえいればボウズになることはあり得ません。その手軽さと確実に成果を得られるところから、小学生の間で流行ったのだと今となっては推察できます。
当時はそんなことも考えてなく、きっとただ楽しいからという理由でやっていたんでしょうけどね。
ちなみに竿は必要なく、タコ糸だけで十分ですが、ザリガニの糸を引く力は思っているよりも強いので、糸が手に食い込んで痛いです。そのため私は竹の先端に糸を括り付けて簡易的な釣り竿にしていました。
とはいっても、女子の私が参加したのはほんの数回のことでしたが。
小学六年生の男女と言えば、そろそろ一緒に遊ぶのが少し恥ずかしくなってくる時期でしょう。女の子は特に周りの目が気になり、山で虫取りだ! と騒げなくなってきていますしね。
だからまあ、時々幼馴染の裕太に誘われた時に行く、と言う感じでした。
実は私、ザリガニ釣りが嫌いではなかったんです。臭いし汚い、そういうマイナスイメージはその通りです。ですが、案外ザリガニって可愛いんですよ。
信じられないかもしれませんが、ザリガニには表情があるんです。
スルメをハサミで掴んだときに「やった」と言う表情をしますし、そのまま空中に吊り上げられた時は「え? え?」と言う戸惑った顔。最後人間に掴まれたときは絶望の表情を見せます。甲殻類なので表情筋も硬いのですが、なんとなぁく読めるようになってきました。それに気付いてからザリガニ釣りが楽しくてたまらないのです。
……というのは建前。
本当はザリガニの表情なんて興味ありません。手のひらを返すのが早すぎる? まあそうですね。
私はただ、サッカー部の健斗君とお近づきになりたくて、男子どもと遊んでいました。
恋ってやつですね。小学六年生の女の子らしくていいじゃないですか。
健斗君は弾けるような笑顔が印象的な、スポーツ万能でクラスの中心にいる人物です。顔が特別整っているわけではたぶんありませんでしたが、いつも笑っているだけで、周りには好印象を与えます。笑顔と言うのはすごく大切なんだな、と彼に教えてもらいました。
そんなある日、いつものように幼馴染の裕太がザリガニ釣りに誘ってきました。
メンバーを確認するとどうやら健斗君もいるらしいので、私は二つ返事でオッケーし、運動着を着て山に集合しました。
駄菓子屋でタコ糸とスルメイカを買って準備完了です。
山の奥へと進んでいって、釣りスポットの川へたどり着きました。川の水をバケツに組んで、さっそくタコ糸にスルメイカを結び付けます。
私はそれをさらに竹の先端へ括り付けて、釣り竿を作ります。
みんなで駄弁りながら糸を垂らす、この時間がたまらなく楽しくて、私はザリガニそっちのけで健斗君のことを眺めていました。
「ふう」
裕太が汗を拭って、釣ったザリガニをバケツにいれる。ちらと覗くと、軽く十匹はいるであろう赤い生き物がうようよと蠢いています。
気持ちわる。
私は目を逸らしました。
釣ったザリガニはもちろん食べるわけではなくて、いつも最後川にリリースしていました。その場でリリースしないのはまあ、その日の成果を目で見るのが楽しいのでしょう。
だから今日も当然リリースする予定だったんだけど、その日はちょっとした事件が起きました。
健斗君が立ち上がった際によろめいて、バケツをひっくり返したのです。
「ひぃ!」
バシャ、という音が響き、みんなが「誰かがバケツを蹴っ飛ばしたんだなあ」と認識した瞬間、耳にものすごく嫌な音が飛び込んできました。
バリバリバリバリ。
割れる音。
甲羅が。
赤い。青い。
ザリガニの血があたりに。
多くの情報が頭を過ぎ去って、私は思わず蹲りました。
恐る恐る目を開けると、甲羅が割れ、薄くて青い液体が飛び散り、大量のザリガニの残骸が転がっています。中から身が見えているものも。
そして、青い顔をした健斗君の白いズボンや日に焼けた足には、青い液体が大量に付着していました。
ザリガニの血って青いんだなあ。私はそんな場違いなことを考えていました。
命を奪ってしまった罪悪感からか、家の方向へ健斗君は駆け出しました。
私たちも気まずくなって、生きているザリガニを川に返し、そのまま帰宅しました。
翌日学校に来た健斗君は未だに昨日のことを引きずっているのか、いつもの弾けるような笑顔はなく、ぶつぶつと「川に行かなきゃ……」と言い続けていました。
みんな、気にするなって、と励ましていましたが、翌日から健斗君は学校に来なくなりました。
クラスの中心人物が突然不登校になったのです。先生方は大慌てで事情を聴収しました。命を奪ったことの罪悪感から不登校になった健斗君を先生方は褒め、そして学年集会では命の大切さについて説かれました。
私たちはかわるがわるお見舞いに行きましたが、健斗君は一向に顔を見せてくれませんでした。
一目会いたい、あの笑顔をまた見たい。そう思うたびに、バリバリバリバリと言うあの音と、ザリガニの死骸。それに健斗君の表情が脳裏に浮かびます。
その夜私は、不意に叫びたくなって枕に顔をうずめました。
その時コンコン、と部屋がノックされて、お母さんが顔を出します。
「ねえ、あんたサッカー部の高梨健斗君ってクラスメイト?」
「ん? そうだけど、どうしたの」
「行方不明になったんですって。気が付いたら部屋からいなくなっていたらしいわ。なんか知らない?」
「……え?」
気付いたら私は家を飛び出していました。
お母さんが後ろから何度も呼ぶのが聞こえましたが、私は振り向かず走りました。
川だ。健斗君は川に行ったに違いない。
どうしてかはわかりませんが、私の中にそんな確信がありました。
彼がしきりに「川に行かなきゃ」と呟いていたのが、どうしても忘れられなかったのです。
弔うため? それともほかの理由で?
真意はまったくわかりませんでしたが、私は川へと向かいます。
しかし、ザリガニ釣りのスポットにたどり着いても、そこには誰もいませんでした。
「健斗君!」
何度も大声を出しましたが、もちろん返事は返ってきません。呼びながら少し広い範囲を歩き回りましたが、やっぱりいないようです。
……勘違い、か。
でも、だとしたら健斗君はどこに行ったんでしょう?
先日の一件はまるで関係なく、ただの家出なんでしょうか。
そんなことを思っていると、足元からガサゴソと音がしました。
ザリガニです。
私はそれを見た瞬間、バリバリバリバリという音とともに、この前の惨状がフラッシュバックし、それと同時に殺意がふつふつと湧き上がってきました。
こんなものがいなければ。
ザリガニなんていなければ、健斗君は今日も元気に学校に来ていたはずなんだ!
私は好きな人が壊されてしまった憎しみを全て足に込め、ザリガニを踏みつぶしました。
バリ。
尻尾が割れ、中から液体が出てきます。
バリバリ。
体がひしゃげ、肉が見えます。
バリバリバリ。
そして顔を踏み潰そうとした瞬間、ふと、ザリガニの表情を見てしまいました。
苦痛に歪んでいた?
いいえ、ザリガニは、弾けるような笑顔をしていました。
どこかで見たことあるような、私の胸が締め付けられるような笑顔。
バリバリバリバリ。
何度も、何度も、何度も何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
私はザリガニを踏みつぶしました。
幼馴染の裕太が私を止めに来なかったら、疲れ果てるまで踏みつぶしていたかもしれません。
結局私は裕太と一緒に家に帰りました。
警察や近所の人たちの懸命な捜索にもかかわらず、未だに健斗君は行方不明のままです。
**
ぼくは対面でカニの足をほじくりながら話し終えた岩崎くんに向かって文句を飛ばした。
「ねえ、カニを食べながらする話じゃなくない?」
「ごめんって、あ、ところでさ、甲殻類って痛覚があるらしいって知ってる?」
「え、なにそれ」
「生きたままカニを茹でるって、実は相当残酷なんだなって」
「ひいい」
まあ、カニ美味しいから食べるんだけどさ。
ぼくはつるんと綺麗に抜いた身に、マヨネーズをぶっかけた。
<『ざ』りがにつり 終了>
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