第17話 選択

 ラドルファスは慌ててそれを引っ張り出す。出てきたのは首に下げられたペンダントだった。小さな朝露石がついたシンプルなデザインだ。一瞬凄まじい熱を放ったのはそれで間違いない。


 シルヴェスターと正式に師弟関係になった時に受け取ったものだった。曰く、一つの朝露石を割ったものでできており、互いの扱う法力エンシェントに反応し、どちらかに危機が迫った場合はもう片方にそれが伝わるようになっているらしい。夜狩りの間ではお守りとして身につけるのが慣例になっているんだとか。


 ラドルファスは正直、意外に思ったのだった。シルヴェスターは慣例を重視するようなずタイプには見えなかったし、鼻で笑いそうなものだ。そう言うと、彼は珍しく真面目に「意外と役に立つぞ」と答えた​────


「ラドルファスさん! どうしたんですか?」


 異変を感じたレスティリアが叫び返すが、ラドルファスが返答する前に災厄は動いた。上空に闇よりもなお暗い巨大な影がかかる。


「アーリィ​────」


 叫ぶ前に危機を感じた銀の鷹ステラアロウが急加速し、ラドルファスの言葉は空に飲み込まれた。直後、風切り音と共に真後ろを黒い何かが通り過ぎる。数瞬遅れてラドルファスは理解した。竜が巨体に似合わず俊敏な動きで宙返りし、その尾を振り下ろしたのだ。少しでも回避が遅れれば地面に強制墜落させられていただろう。嵐のように空気が押し寄せ、螺旋を描いて再度上昇したアーリィがヴェルディに接近していく。


 シルヴェスターが危機に瀕していることは明白だ。助けに行かなければならないが、翼砕の槍を扱えるレスティリアはここから離れるわけにはいかない。ラドルファスが行くほかない。つまりそれは​────夜狩りになった理由を、復讐を諦めるということだ。ラドルファスは一瞬だけ迷った。それを許してほしかった。しかし死者は生者には換えられない。加えて、それだけではなく。


「レスティリア、実はシルヴェスターが​────」


 ペンダントのことを速やかに説明すると、彼女は難しい顔をした。一人で戦うことへの不安か、とラドルファスは思ったが、彼女はひどく躊躇いながらも、予想だにしていなかった言葉を並べた。


「その……いいのですか? もちろん、師を助けるのは当たり前のことですが……あなたのお父様の、仇なんでしょう?」


 銀の鷹ステラアロウたちは懸命に翼を上下する。それを追いかける竜のあぎとは鋭い。最初は鷹たちの迅さと巧みな飛行に翻弄されていた竜も、その動きに追いついてきている。それを認識しつつも、ラドルファスの口からは静かな声が零れた。


「……シルヴェスターはさ。嫌な奴なんだよ。傲慢で、守銭奴で、嘘吐きで、弟子にも容赦なくてさ……そのくせ、自分の弱みだけは絶対に見せてくれないんだよ。猫みたいだろ?」


「…………」


「でも、俺の師匠なんだ。大事な人なんだ……俺はもう、何も失いたくないんだ。後悔したくないんだよ。父さんは助けられなかったけど……今なら」


 ラドルファスは歯を食いしばった。復讐は、文字通り悲願だった。そんなことをしても父親が帰ってこないことなど分かっている。それでも追い求めてきたものに違いはなかった。しかし、もはやラドルファスにシルヴェスターを見捨てる選択肢などなかった。一度懐に入ったものを切り捨てられないのは昔からの悪癖だ。治しようがない。


「……行ってください」


「えっ?」


 静かに話を聞いていたレスティリアは顔を上げる。ラドルファスがいなくなれば、たった一人で戦わなくてはいけなくなるのだ。それはどれほどの恐怖だろうか。しかし、彼女の瞳に浮かんでいるのは強い決意だけだった。


「あなたの仇は私が取ってみせます。私はアストラの巫女としてこの竜を倒す! だからあなたも、弟子としての義務を果たしてきてください!」


「レスティリア……! ありがとう。この恩は忘れない……あなたに夜明けの光が訪れんことをディ・エルジア・リィト


 ラドルファスが夜狩りに伝わる祈りの言葉を口にすると、レスティリアはふっと微笑んだ。


「あなたも」


 瞬間、身を翻したヴェルディが凄まじいスピードで竜に向かっていく。煌めいた銀の羽は夜明けを暗示するように思えた。あと少しだ。


「アーリィ、急いで街の門の外に連れて行ってくれ!」


 部外者のラドルファスの命令に、銀の鷹ステラアロウは忠実に従った。旋回したアーリィはこれまでに倍する速度で街を横断する。


「ラド、大丈夫。絶対に間に合うから」


 サフィラが励ますように背中を叩く。彼女の優しい声は、染み渡るようにラドルファスの心を癒してくれた。そう、間に合う。手遅れになる前に戦うことを、選んだのだから。


 ◇◇◇


「疾れ!」


 短いことばで門を開く。無数の細氷が闇の帳を引き裂き、シルヴェスターを取り囲む《夜》たちは一瞬にして霧散する。が、一向に数が減らない。どれだけ灼こうとも、それらを操る者を倒さねば意味がないのだろう。負担の大きい「夜明けデイブレイク」は恐らく後一、二回しか使えない。


 ランディの小型化を解く手も考えたが、宵喰は生きるためにも法力エンシェントを消費する。燃費の問題でわざわざ小型化しているのだ。手数は増えるが、この状況で暁ノ法が使えなくなることは死を意味する。よって得策ではないが、かといってこのまま戦っていても嬲り殺されるだけだ。打開策を考えなければならない。


 《夜》の上に優雅に座っているジードが笑う。シルヴェスターと民衆を取り囲む《夜》たちが吼え猛り、一番近い男を噛み砕こうとする。思わず舌打ちしたい気分になった。足手まといにもほどがある。とはいえ、戦う意志のない者を見捨てるわけにはいかない。


「灼け神威の焔、二十三の門よ!」


 法力エンシェントが大量に身体に流れ込む嫌な感覚。同時に今までとは比にならないほどに大きな門が現れ、周囲を不気味な光で明るくする。刹那、ことばが隔絶を解き放ち、焃い炎が溢れ出した。炎は生きているかのように地を這いずり、宙に渦巻き、《夜》たちを圧倒的な力で灼き尽くす。彼らの怨嗟の吼え声がその証だった。


 シルヴェスターの得意とする炎を扱う暁ノ法でも、最も強力なもののひとつだ。《夜》の軍勢のかすかな空隙に、すかさずことばを叫ぶ。


「穿て!」


 狙いはジード、の駆る巨大な《夜》だ。真っ直ぐに奔る五条の熱線が夜に迫るが、ジードは焦らずに右手を掲げた。一瞬青い光が瞬いて、巨大な四足の《夜》は飛び退ろうとするが遅い。が、それよりも俊敏に小型のものたちが割って入る。


「……!?」


 熱線は小型の《夜》たちに直撃し、当然靄を貫通して核を破壊するが、その爆風ですら飛び込んできた他の《夜》たちが受け止める。防がれた、と認識した瞬間、頭上に影がかかった。鞭のような腕が振り下されるが、最小限の動きで回避したシルヴェスターは苦もなくナイフで核を砕く。


 近距離戦は不得手だが、それはあくまで他と比較して、という話だ。第一シビュラは人間を遥かに超えた超越者に与えられる称号。何の変哲もない《夜》に遅れをとる道理はない。


 ランディの法力エンシェントは有限だが、同じく《夜》とて無限ではあるまい。何十体葬ったかは分からないが、第二セーデのアルフレッドを足止めするのにもかなりの数を使っているはずだ。しかし全てを倒すのは現実的とはいえない。問題は残数だが、それよりも気になることがある。


 ジードが《夜》に指示を出した時、かすかな違和感があったのだ。それは最初から感じている事だ。緊急で彼らを動かした先程はそれが顕著に感じ取れた。タイミングがズレている。ジードの指示から《夜》が動くまで、ほんの少し、コンマ何秒という間隙がある​──────そこまで考えたところで、シルヴェスターの頭に彗星のような閃きが起こった。彼らを操っているのはジードではないのではないか。つまり、


 ジードの『傀儡』は《夜》を使役する何かを操る術ではないのか。



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