第16話 銀の鷹
「……ラド、大丈夫……?」
不安に顔を歪ませてサフィラが問う。もちろん、とても大丈夫と言える状態ではないが、そんな事よりも彼女の方が心配だ。
「……ああ、なんとかな。それより、サフィラは?」
「わたしは……なんともない。目眩はするけど、
彼女はそう言ってぐっと拳を握ってみせた。成長を感じる。あんなにも《夜》を怖がっていたサフィラが、今ラドルファスと共に戦おうとしているのだ。
「お二人共! 結界が起動します!」
レスティリアが叫び、空に注意を促した。無限にも感じたターラントとの戦いの中、どうやら三十分が経過していたらしい。彼女の叫び声で気絶していた男たちも目を覚ます。ラドルファスは密かに身構えたが、彼らは仲間とターラントの死体を見て完全に戦意を喪失しているようだ。
皮肉にも、街人の血に濡れた祭壇から神聖な光が漏れ出した。光はそれぞれの朝の灯火から飛び立ち、巨大なアストラの街を放射線状に覆っていく。それはシルヴェスターの
緊迫した状況にも関わらず、あまりの美しさに思わず空を見上げていたラドルファスは気づく。黒竜が煩わしげに頭を振ると、再び六枚の翼をたわめてこちらを睨んだ。その大きすぎる顎に白い炎が閃く。
今にも滅びが放たれようとした時、伸びた光たちが丁度中心に────黒竜の元へ集った。瞬間、爆発音と共に竜の顎が炎に包まれる。
咆哮。
それは神の落とす雷の如く地上に轟いた。咄嗟に耳を塞いでいたラドルファスだが、そんなものでは全く防げない。六翼の竜の怒りの叫びは、生物の本能を揺さぶる警告に他ならなかった。
集った光たちが黒竜の力を暴発させたらしい。光たちはそのまま四方八方に霧散し、半透明の膜のようなものが一瞬閃いたが、すぐに見えなくなった。
黒竜が低く唸る。その体を覆う黒い靄は、朝日に焼かれたように煙を上げて不安定に揺らめいている。
「あれが
レスティリアが歓喜の声を上げ、祭壇に近づいていく。それを追いかけながら、ラドルファスは疑問を口にした。
「竜の所までどうやって行くんだ?」
「ええ、それは……すぐに来ますよ」
何が、と聞き返す前に、反対側の空から大きな影がふたつ、猛スピードで接近してくる。瞬く間にそれは大きくなり────巨大な鷹の姿になった。あの大きさは普通の生物ではありえない。宵喰だ。
目の前に着地した彼らはランディよりは小さかったが、人を背中に載せられるほどの大きさだ。鷹をそのまま大きくしたような姿。唯一違うのは鮮やかな銀色の羽で、背中には鞍がついている。
「彼らは
彼女は静かに言ったが、サフィラが不思議そうに首を傾げる。
「じゃあ、どうして二羽もいるの?」
サフィラは純粋に疑問を口にしたようだが、レスティリアは目を伏せて後ろめたそうな顔をした。
「────ラドルファスさん。サフィラさん。どうか、あなたたちのお力を貸していただけませんか」
彼女は畏まって頭を下げた。ラドルファスからすれば、巫女として翼砕の槍を扱える彼女なら、弱った竜を討伐することは可能に思える。半壊したアストラの威厳を保つためにも、レスティリア一人で行きそうなものだ。
「……わたしは、巫女としては半人前です。ターラントに言われて初めて気がつきました。わたしはただの箱入り娘に過ぎなかった。驕っていたんです。私一人ではあの竜を倒すことはできない。もちろん、お礼はいくらでもします。私の力の及ぶ限り、お二人の望みを叶えます。アストラの人々の未来のために、どうか……!」
「もちろん、協力するさ。むしろ、俺から頼みたいくらいだ」
レスティリアは弾かれたように顔を上げた。雰囲気の軟化を察したのか、宵喰たちは彼女に甘えるように嘴を寄せる。
「言っただろ、あの竜と戦う理由は俺にもある。気に病む必要なんてどこにもない。それに、レスティリアは半人前なんかじゃない」
「え……?」
「ターラントに勝てたのはあんたのおかげだ。俺は危うく奴に殺されるところだった。誰にでも立ち上がれない時はある。その後どうするかが大事なんだ。レスティリアは戦うことを選んだ。なら、それでいいじゃないか」
まあ、父さんの受け売りなんだけどな。ラドルファスはそう続けて笑った。レスティリアも釣られて顔を綻ばせる。
「……はい。色々とありがとうございます。あなたのおかげで、わたしは真に戦うことを選ぶことができた────自分の意思で」
噛み締めるように呟いた彼女を見たラドルファスは、今更ながら先程のセリフに恥ずかしさを覚えた。しかしそれよりも重要なことを思い出す。
「サフィラ……」
「私のことは気にしないで。もう足手まといにはなりなくないの。一緒に連れて行って」
「……ありがとう。行こうか」
あんなにも弱々しかったサフィラは、しっかりと地を踏みしめて告げた。ランディに乗るのにも怖がっていた彼女だ、恐怖を覚えているのには違いない。それでも。
ラドルファスは両者の覚悟を肌に感じて気を引き締めた。ついにこの時が来たのだ。復讐の時が。
「……お願いします。私たちを、あの《夜》の元まで連れて行ってください!」
レスティリアを載せるヴェルディは応えるように鳴き声をあげると、数歩の助走の後翼を引き上げた。地面の縁を銀の羽が擦るほどの羽ばたきに、巨体が宙に浮く。宵喰特有の
アーリィもそれに続き、空へと飛び立つ。足は固定されているので落ちはしまいが、慣れない浮遊感に顔を顰めたラドルファスは、後ろのサフィラの様子を確かめる。
急上昇したアーリィが威嚇するように鳴く。目の前には彼らが豆粒に見えるほどの巨体が迫っている。周りを取り巻く分厚い靄のカーテンは以前よりも頼りなく、見えなかったものを映し出す。前を行くレスティリアが息を呑んだ。
「これは……!」
黒竜はいかにも硬そうな鱗を纏っていたが、胸から腹にかけての箇所は鱗は存在していない。代わりに人間の肋骨に当たりそうな骨が露出しており、中心に真っ赤に脈打つ核が鎮座していた。美しくまたおぞましい、およそ生物にはありえない構造だ。
「なるほど、だから靄でここを守っていたのか……!」
一定の距離を保ちながら旋回する
竜の高度が更に上昇、同時に熱線を封じられた竜はその核から赤い光を放った。凄まじい乱気流がラドルファスたちを包み込み、無数の赤い光が矢のように降り注ぐ。その赤は朝焼けの色とはまるで違い、吸い込まれるような不気味さで闇を照らす。この光に当たるのはまずい。
乱気流に抗う鷹たちもそう思ったようで、必死に銀翼を羽ばたかせて光をすり抜ける。振り落とされないようにしがみつきながら、ラドルファスは鋭く
「駆けろ疾風の大鷲、六十六の門よ!」
ラドルファスが最も得意とする暁ノ呪法、ラピッド・ウィングの光を浴びた二羽の鷹たちは辛くも風を抜け出したが、アーリィの羽をわずかに赤い光が掠める。瞬間、何かが焼け焦げるような音とともに宵喰の体が傾いた。
「おい、大丈夫か!?」
ラドルファスは慌てて羽を確認する。数枚が炎で炙られたかのように焼けていてゾッとした。もしあの赤い光に触れていたら、こうなっていたのだ。
アーリィはすぐに体勢を立て直してヴェルディの後を追う。とにかく近づかないことには始まらない。核に攻撃できさえすれば、竜を倒せるのだ。レスティリアの槍を竜の元へ届かせなければならない。
「レスティリア、俺が囮に……ッ!?」
彼女に呼びかけた瞬間、首に猛烈な熱を感じた。ラドルファスは驚愕して首の辺りを探る。硬い感触が手に返った。
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