第18話 鎖

「流石、第一シビュラは怪物だ……だがいつまで続けられるかな?」


「それはこちらの台詞だ。雑魚を延々とけしかけるのがことわりの力とやらなのか?」


 ジードは軽い挑発には乗らず、呆れたように肩をすくめた。


「とんでもない。ことわり使いは選ばれた人間だ。ただ何も考えずにを《夜》殺すだけの夜狩りと違ってね」


「……お前たちの目的は何だ? なぜ俺たちと敵対する?」


「聞かれて素直に答えるとでも?」


 鼻を鳴らしたジードは、糸を繰るように五指をこちらに向けた。多種多様なおぞましい姿の《夜》たちが次々と飛びかかってきて、また消耗戦が始まる。仮説が正しいのなら、ジードの代わりに彼らを操る者がいるはずだ。少し前の一幕を思い出す。彼の乗る巨大な《夜》を執拗なまでに庇う一連の行動を見るに、ジードの代わりに彼らを操っているのはあの四足の《夜》なのではないか。


「叫べ風の狂槌、三十五の門よ!」


 ことばを省略せずに放った猛風は《夜》たちを破片になるまで引き裂く。法力エンシェントも少ない。そろそろ決着をつけなければ厳しい状況に追い込まれる。しかし、焼かれ、貫かれ、霧散していく《夜》を前に、ジードが一切戦略を変えないのも不気味だ。何らかの隠し札がある可能性も考えなければならない。


 震えるばかりの民衆を背後に庇いながら、シルヴェスターは勝負に出る。


「解放せよ!」


 夜明けデイブレイク並みに法力エンシェントが駆け抜けるのを感じて、シルヴェスターは思わず顔を顰めた。しかし暁ノ法の効果は絶大だ。少し宙に浮いた《夜》たちは地を踏みしめられずにもがいている。発動したのは重力を操作する暁ノ呪法。それも、重力を軽くする方だ。効果を及ぼせる範囲は狭く、代償は重く、使い勝手は最悪だが、一瞬の隙を作ることができる。それで十分だった。


「煙火よ!」


 間髪入れずにことばを唱える。黒い煙が辺りを満たし、視程が0になる。奇襲を悟ったジードが《夜》を周りに集めるが、無駄だ。《夜》は視覚に頼らないものも多いが、この暁ノ法のポイントは熱だ。熱源での探知を数瞬の間撹乱できる。街に近づきすぎて本来の能力を発揮できない《夜》たちは、シルヴェスターがどの方向から攻撃を仕掛けるか分からない。それは、人間でしかないジードも同じだ。


 先刻は《夜》たちに防がれたが、それはどこから攻撃されるか分かっていたからだ。一体や二体程度はまとめて貫ける。瞬く間にジードに接近したシルヴェスターは、なけなしの法力エンシェントをかき集めて夜明けの光を紡ぐ。


「穿て!」


 暁ノ攻法「イフレクト・レイ」が解き放たれた瞬間、振り返ったジードの腕から何かが伸びた。長年の経験でも上位の怖気が走り、危険を悟ったシルヴェスターは即座にランディとの法力回路エンシェント・パスを遮断。エンシェントがわずかの間消えたことにより別世界との接続が切れ、熱線はその性質を保てなくなる。その結果、閃光が弾けた。


「ぐっ……!」


 爆発は小規模ではあるものの、シルヴェスターを吹き飛ばすには十分だ。地面を転がりながら体勢を立て直したシルヴェスターが目にしたのは、ジードの指から伸びる青い鎖のようなものだった。おぞましい彫刻が彫られた鎖の先端には鋭い漆黒の楔が繋がっており、まるでランディら翼竜種の爪のようだ。鎖はのたうちながらジードの五指に吸い込まれていく。異様な光景だった。彼に操られていた人々に群がる《夜》を改めて蹴散らすが、状況は良いとは言えない。


「おっと、勘がいいな。第一シビュラを手駒にできれば便利そうだったんだが……」


「それでコイツらを操ったのか……!」


「予めコレを打ち込むのは意外と面倒なんだよ。それに、必要だったとはいえ、あんな雑魚どもに鎖を使うのも気に食わない……まあ雑魚には雑魚なりの利用価値はあるがな!」


『シルヴェスター、後ろ!』


 ランディの警告とほぼ同時に、シルヴェスターは鈍い輝きを受け止めた。握るナイフが人間らしからぬ力に軋む。その細身の短剣の主は、しかし人間だった。それも、先程までシルヴェスターに守られていたはずの。


「​────ッ!?」


 同時に自らの失策を悟ったシルヴェスターは、男を蹴り飛ばすとすかさずアストラの民と距離をとる。剣筋は素人のもの。しかし攻撃の気配が​────意思が感じ取れなかった。ランディの警告がなければ腹を刺されていたかもしれない。


「お前は勘違いしていたようだが、こいつらは一瞬正気に戻った、ように見えただけだ。楔を一度打ち込んだ人間は、俺が鎖を離すまで永遠に奴隷だ! はは、どうする? 夜をいくら殺せても、同胞はどうかな夜狩り!?」


「下衆が……!」


 唇から苛立ちが零れ落ちたが、冷静さを失ってはいよいよ詰みだ。九人は一様に瞳孔が開き、明らかに正気を失ってよたよたと近寄ってくる。それを取り巻く《夜》たちも数が減ったものの、シルヴェスターを喰い殺そうとタイミングを見計らっている。ジードが彼らを解放するはずはない。もはや守るべき民は《夜》と同じ敵に他ならなかった。


 脳裏に蘇る光景があった。嘘のような鮮血を幻視する。それを認識して、すうっと冷たいものが身体を滑り落ちた。それは恐怖ではなく、諦めに似た何かだった。


 過ちを繰り返すことは赦されない。


『シルヴェスター……、』


 ランディの声を遮るように、シルヴェスターは右手を掲げた。


「貫け」


 雷光の一閃が男を死体に変えた。


 文字通りの光の速さ、単なる傀儡に避ける術などありはしない。即座に崩れ落ちる男に目もくれず、シルヴェスターは地を蹴る。


「なっ……!?」


 躊躇いなく男を手にかけたシルヴェスターに驚いたものか、八人の動きにはわずかな隙があった。元々一般人だ。身体のリミッターを無視し、人間離れした身体能力を発揮できてはいるが、それも一時的なもの。加えて、ひとつの脳で九人分の物事を処理するのは容易ではない。雷光が閃く。二人、三人とアストラの民が倒れていく。


「……油断したな? ジード。腑抜けの夜狩りどもと違って、俺は躊躇わない。他人に何と言われようとも、俺の邪魔をする奴には死んでもらう。それが《夜》だろうが、人間だろうが、同じことだ」


「ッ、貴様……!」


 ジードの差し向ける《夜》は、精彩を欠く人の動きと違って高度に連携し、シルヴェスターを追い詰めようとしてくる。ジードが操っているだろう人間と違い、あの巨大な《夜》が奴らを制御しているのかもしれない。


 最後の男に雷撃を撃ち込み、更に考える。残る法力エンシェントは半分を切った。次でジードの駆る《夜》を殺す。


「撃て!」


 氷の槍が《夜》たちを次々に串刺しにしていく中、その霞に紛れて紅蓮の炎、さらに小型の《夜》たちが足に取り付こうと飛びかかってくる。彼らを足場にして飛び上がったシルヴェスターは、炎を回避しつつ小型を閃光で撃滅し、なおもことばを唱える。


「いくぞランディ!」


『おっけーまかせて!』


「解け茨の楔、八の門よ!」


 ランディの軽い返事とは裏腹に、変化は絶大だった。シルヴェスターの周りを旋回していた小竜は楔から解き放たれ、みるみるうちに本来の姿へと戻っていく。


「翼竜種……暁光竜だと!? 馬鹿な、人間に従うはずがない!」


『失礼だなぁ、僕はシルヴェスターに従ってるんじゃないよ? ただ見物してるだけだよ、彼の数奇な運命をね! 力を貸してるのはそのお代さ!』


「ランディ、《夜》を散らせ!」


 ランディ、またの名を暁光竜ランディスは、群がる《夜》を尾の一撃で粉砕して翼を広げる。朝焼けのような色の角が一際強い光を発し、次の瞬間眩い閃光が辺りを包み込んだ。寸前で瞼を閉じたシルヴェスターにダメージはないが、《夜》たちは朝の灯火に似た光に錯乱している。


「穿き通す焦熱の刃、我が敵の一切を討ち滅ぼせ!五の門よ!」


 生じた大きな隙を見逃す道理はない。今までで一番長いことばと共に、シルヴェスターの周りに開いた無数の門から、赤々と燃える巨大な刃が現れ、ジードの乗る《夜》へと飛翔する。混乱する《夜》たちはジードの指示に従わず、巨体は身をひるがえそうとするがどこにも逃げ場などない。視界の端で彼が飛び降りるのが見えた瞬間、


 灼熱が巨体の《夜》を真っ二つに引き裂いた。

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