第30話 神秘の大陸 


 ろくに対策も講じられず。ケルピーの騎士王エトラマは、アトランティス宮殿の裏道を歩いていた。

 数多の戦場を〝力〟のみでくぐり抜けてきた男だ。戦う前に作戦会議だなんだのと、戦略的なものを自分で考えたことがない。

 つまり、彼は柔軟な思考を持ち合わせていないのだ。


「はぁ〜……しかし、あれだ、どぉーしたもんかねぇ? なんも浮かばねぇや。」


 その場の勢いで言葉を並べ、アンヴァーに背を向けて出てきてしまったが、それをほんの少し後悔していた。

 仲間を殺すと言ったのは、勢いでではない。本気だ。しかし、意気込みなどは誰でも言える。

 自分がこれからやろうとしていることは、とても現実的ではない。多分、無理。失敗する。

 仲間を楽にしてやりたい、騎士の誉に殉じたい、それは自己満足であり、失敗すればアンヴァーに多大な迷惑をかけることになるだろう。彼女は友人のひとりでもあるし、色々と恩もあるというのに。


「はぁ〜……はぁーーー……」


 溜息ばかりが出る。


「はぁ〜……どこにあるんじゃー?」


 今のは、エトラマの溜息ではない。

 ふと横へ首を回すと、広いおでこを出した娘がひとり、辺りをキョロキョロと見渡している姿が目に入る。ブラウンのローブの下から、金のドレスが見え隠れしていた。


「? ……おい、嬢ちゃん。こんなとこで何してる?」


 エトラマは娘に声をかけ、近寄った。

 アトランティス人ではないだろう。彼らの肌は黒く髪は白いが、この娘の髪はブロンドで肌も白い、一目瞭然だ。

 では、この娘は何者か。なぜこの宮殿の敷地内に部外者がひとりでいるのか——、怪しすぎるがしかし、敵の刺客のようには見えない。


「……む。ちょうど良いところに来たな、お主! われを酒の泉まで案内せよ。」


 娘はエトラマに振り返ると、彼に気安く頼み事をする。


「はぁ?」


 自分の耳を疑い聞き返すような返事をしながら、エトラマは片方の眉を浮かせる。

 今の状況で、この娘は何を言っているのか。


「嬢ちゃん。今、戦争中なんだぞ? ここも、もうじき戦場になるかもしれねぇ。どっから入ってきたのかしらねぇが、来た道辿れるならそこから逃げた方が——」


「いいから、はやく案内せぬか。この絶世の美魔女が恩恵をもたらすやもしれぬぞ、ケルピーの騎士王。」


 右手を自身の胸に当てながら、娘は堂々と自分が魔女である事を示した。


「あんた、魔女なのか?」


「美魔女である! 名を、アルデルヴァイレルト。」


 美魔女だと繰り返し豪語する娘は、たしかに見目麗しい。エトラマがこれまでに出会った女の中で3本指には入るだろう。

 そして、彼女の髪はエトラマがこれまでに見てきた髪の中で、最も美しい輝きを放っていた。


「何で魔女がこんなところにいる? 今がどういう状況か、わかってんだろ? まさか、俺らの敵で攻めてきたとか言うなよ?」


「ははは。魔女は平和主義が多い事を知っておるか? 良くも悪くも、他所のいざこざにはかかわらん。」


 ということは、こちらに加勢へ来たわけでもないとのか。

 敵は最後の防壁を破壊中で、まだ宮殿にたどり着けていない。しかし、この娘は今ここにいる。

 どのような方法を使ったのかはわからないが、ここに辿り着けるということは、よほど優れた魔女と見える。


「我はまだ、ここの酒の泉を一度も口にしたことがなくてな。この様子だと、アトランティスのあるじは大陸を沈めるつもりであろう? ならば、飲めるうちに飲んでおかねばと思い、急ぎかけつけたというわけじゃ。」


「そらぁ、気ままな魔女だこと。」


 アトランティス宮殿の裏側には、酒が湧き出る小さな泉がある。天然物のその酒は、死ぬ前に一度は飲んでおくべき至高の美酒と言われていた。

 エトラマは何度かそれを口にしたことがあるが、争いの最中にでも駆けつけたくなる気持ちは……まぁ、わからんでもない。一度飲んでいても、死ぬ前にもう一口……と思えるくらいあの酒は美味い。


「寿命が長いとな? また今度でいいや……と何でもかんでも後回しにしがちなのじゃ。いつでもいけるし〜って。」


 アルデルの気楽な調子を見ていたら、悩んでいた窮屈な心地が少し和らいだ。そうなると、ふいに酒が欲しくなった——




「……ぷっはぁ〜っ、うまぁいッッッ!」


 自前の盃に酒を汲み取りそれを飲むと、アルデルは生き返ったような声を上げる。 

 エトラマも、貰った盃で酒を飲んだ。味方が戦っている最中にこんな事をしている場合ではないのだが……こういう時に限って、いつも以上に酒が進んでしまう。


「そらぁよかった。飲み納めだ、じゃんじゃん飲んでけ。」


 彼としては、決して開き直っているわけではない。悩み続けて何も生まれないなら、その時間は息抜きへ当てた方がいい……頭を使うのは体力を使うのと一緒なのだから。




「———さて……案内してもらった礼をせねばな。」


 気持ちよく地面に寝転がっているアルデルは、隣に座るエトラマを見上げた。瞳は潤み、頬は赤らんでいる。


「いいよ、んなもん。」


「まぁまぁ、そう言わずに受け取っておけ。お主、これから仲間を討ちに行くのであろう?あわよくば、アハ・イシュケどもも殺すつもりで。絶対無理じゃぞ。」


 酒が回って、知らぬ間に私情を溢してしまったのかと思った。しかし自分は酔っておしゃべりになるタイプではない。

 エトラマは、訝しげにアルデルを見た。


「……あんた、心が読めるのか?」


「いやいや。ただ、断片的な未来が見える。このままいくと、お主は轡を噛まされアハ・イシュケの奴隷になるだろう。」


 それを聞いたエトラマはつい、食い気味に尋ねてしまう。


「俺は、どうしたらいい?」


 反射的に出てきたその問いは、なんだかずるいような気がした。だって、「俺がなんとかしてやるから」みたいな空気を出して、引き止める友人を振り切ってきたのだ……人に聞かず、自分で何とかすべきだろう。ずるいというより、ダサい。


 「フフフ……」と得意げに笑いながら、アルデルは体を起き上がらせ立ち上がる。

 つられて、エトラマも立ち上がった。


「要は……轡を噛まされなければよいのじゃろう?」


「まぁ、そうだな……。」


 ケルピーを服従させる、〝鉄の轡〟

 アハ・イシュケたちは、既に轡を噛ませたケルピーたちを囮に、エトラマにも轡を噛ませにくるだろう。彼がケルピーの最強といえど、同士全員を相手取るのは中々に苦しい。ひとりひとりが、高い戦闘能力を持っている。しかし、彼らを倒せないわけではない。苦労はするが、ギリギリ勝てる具合だ。

 問題なのは、多勢で襲われたら隙ができるということ。

 もらった傷はすぐに治るが、轡は違う。一発もらえばそれでおしまい。噛ませられる隙を、一瞬たりとも見せてはいけない。


「で、あれば———」


 アルデルは指先をちょいちょいと動かし、自分の方に寄るよう指示する。

 エトラマが側に寄ると、彼女は彼の顔の前で文字を書くように宙に指を滑らせた。


に、なればよい。」


「は?」と言葉が出かける前に、視野が一段低くなる。「ん?」と言う前に、また一段、視野が低くなる。

 変だ……なぜ、アルデルに見下ろされているのか。


 段々と下がって行く目線に、エトラマは困惑していた。


「な……なんじゃあ、こりゃあああ?!」


 それは、目を擦ろうと手を顔の前まで持っていった時だ。彼は驚愕した。

 皮膚はくすんだ緑に染まっており、指先から黄ばんだ爪が伸びている。

 そして、たった今出た自分の声……飲みすぎて酒焼けしたにも程があるほど、ハスキーすぎやしないか。


 エトラマは恐る恐る、泉の水面を覗き込んだ———


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