第16話


 チークのフローリングが広がる、レトロでアットホームな空間———……砂糖が焼ける甘い匂いが、来訪者をより落ち着かせた。

 外観内観ともに家や別荘、学生寮のように見えるが、ここは紛れもなくラボである。

 左手は広い間取りのリビングルームがあり、壁に設置された大きなテレビとそれを囲うようにして革ソファーが並び、真ん中にはテーブルが置かれている。壁の隅にはマッサージチェアが2台。 

 右手はダイニングルーム。キッチン、冷蔵庫、オーブンに電気ポット、コーヒーメーカーが3台、ホットサンドメーカー、ハンドブレンダー……キッチン家電はかなり充実しており、調理器具もがっつり揃っている。


 "クッキーは いかが?"


 女性がひとり、キッチンから現れた。

 青白く長い髪は垂直にすとん、と背中を流れ、触れずとも見ただけで髪が指の間を容易く抜けていく様が想像できる。

 白いブラウスにベージュのロングスカートと、装いは清楚。

 おおらかで清冽な気配を持ったその女性は、ジルとスキャランの前に浮かべた文字をつづけた。


 "フレーバーは オートミールシナモン チョコレートチャンク"


 にこりと笑ったアイリスは、山ほど乗せたクッキーの皿をジルへ向けたが、彼女はアイリスとクッキーから顔を背けた。


「結構だ。」


 ……素気無い返事をされたものの、アイリスは笑顔を返した。しゃがみ込み、スキャランに皿を向ける。

 向けられた皿からチョコレートチャンクを手に取ると、彼は自分の顔の横に並べて見せた。


「こりゃぁ、でっけぇクッキーだな。俺のビックフェイスくらいはあるぞ。どれどれ……うん、おぉ、超うめぇ。」


 スキャランはクッキーを頬張り、それを食べ終えると今度はオートミールシナモンに手を伸ばす。


「……おい、外はさっくり中はねっちりの、お前の好きなチューイーなヤツだぞ?すぅーんげぇ歯にくっつく。」


 彼は顎を捻り気味に大きく上下させながら、ジルへクッキーを進めたが彼女は頑なにそれを拒んだ。


「気分じゃない。」


「じゃあ、テイクアウトにしてもらえよ。」


「余計な荷物になる。」


「大した荷物じゃねーだろ……つぅーか、お前は指輪ん中に入れときゃ手ぶらも同然だろ。」


 "そうだ! 食べ物の前に まずは飲み物だったわ"


 対峙するふたりの間に文字が綴られる。

 アイリスはキッチンに戻り、すぐさまお茶の準備に向かった。


「来たのね、ふたりとも!」


 明るい声とともに二階から降りてきたのは、愛らしく活発そうな女性……。

 アプリコットオレンジのボブパーマにカチューシャ、シンプルな黒いトップス、緑と紺のチェック柄のフィッシュテール・スカートは、裾のところに黒のチュールレースがあしらわれている。


「あらっ。クッキーを焼いたのね、アイリス。わたしもいただいていいかしら?」


 "どうぞ"


 リベルスターはダイニングテーブルに置かれたクッキーの皿にに手を伸ばすと、大きな一口でそれを頬張った。鼻から長々と息を吐き出しながら、ゆっくりと甘味を味わっている。


「ぅん〜……たまらない甘さね! ほっぺと脳みそがとろけちゃう……あぁっ、そうだ! 今朝ね、わたし朝食にスコーンを焼いたのよ! いっぱい食べてやると思っていっぱい作ったのに、わたしったら思ったより小食で……よかったら食べる?」


 リベルスターはキッチン棚から今朝の残りを出し、それをテーブルに置いた。

 よく高さの出た、丸い型のスコーン。付け合わせにジャムやクリームも用意された。


「いただこう。」


 ジルは受け取った取り皿にスコーンを乗せ、さっそく食べ始めた。


 "紅茶 どうぞ"


 アイリスは、カラフルな紙コップをジルへ差し出した。

 色の違う卵のイラストが散りばめられた、かわいらしくお洒落な器である。


「結構だ。」


 "コーヒーがよかった……?"


「いらない。どうか私にかまわないでくれ。」


 超然とした口調と相まって、拒絶の言葉は冷淡さを増していた。……というより、少し感じが悪い。

 態度を改めよと言わんばかりに、スキャランは肘でジルの膝を小突く。

 リベルスターは、まだ手をつけていない自分の分の紅茶をジルへ差し出した。


「喉に詰まらせるわよ! わたしのスコーンで死者を出す気?」


 「まさか……」と返し、ジルは素直に紅茶を受け取ってそれを飲んだ。


「やぁ、もう来てたのかい?」


 二階から、すらりと背の高い青年が降りてくる。

 後ろを刈り上げ、長さを残したトップはくりっと毛先が入るようにカール。

 柄物のワイシャツに柄物のネクタイ、それらをきゅっと引き締める無地のベスト。  

 服とパーティーに金をかけるお洒落好きなこの男が、マシュー・ラボの局長である。


「早速その紙コップを使ってくれたのか。マシュー・ラボ期間限定、イースター柄! 俺がデザインしたんだ。中々イケてるだろ?」 


 自身のラボのロゴが入った紙コップ。シーズンやイベントに合わせ、彼はコロコロとデザインを変える。


「リビングへ行こう、そっちで説明するよ……クッキーとスコーン、俺にもくれる?」




 場所を移し、マシューから説明が始まった。


「———動画提供のおかげで、ふたりともすぐに口を割ってくれた。自分とこのエルフたちが兵器として改造したワームを、試験でロンドンに放ってたそうだ。その目的までは知らないらしい。目の前で動画を10秒間アップしてやったけど吐かなかったから、多分ホントに知らないんだろう。」


 10秒でもあの動画を世に公開したと聞いて、スキャランは上機嫌な声を上げた。


「ふはははは!……俺の顔は映ってないよな?」


「あぁ。映像も声も編集したから大丈夫……。それで、どうやってあんなデカいものをロンドンに持ち込んだかというと……これ、マジで笑えるぞぉ。」


 リビングのテレビ画面に、干からびた黒い物体の画像が2枚映し出される。

 二つとも似ているが、微妙に形が異なっている。


「秘密の輸送経路を使って……ではなく。普通に、飛行機の搭乗と一緒に持ち込んだんだよ。乾燥させて、極限まで小さくしたやつをフレーザーパックに詰めて、お土産の乾燥ナマコですって言って飛行機の荷物検査をやり過ごしたんだって。マジでウケない?」


 画面に映し出されているのは、乾燥ナマコと乾燥ワームの画像。

 ナマコの方はトゲが目立ち、ワームの方はトゲがほとんどなく、ナマコに比べて胴体が少し長い。

 確かに、この見た目ならナマコだと言われても誰も疑わないだろう。

「水につけると元の大きさに戻り復活します…」と、マシューの補足が入った。


「……それで、君たちの仕事についてだが。これからオークニーへ向かい、そこのエルフの長と改造ワームに関わった関係者らをウェントワースまで連行すること。それと、改造ワームの駆除。令状は取ってある…エルフたちが抵抗するようなら、武力による一帯の制圧を許可するってさ。」


 ———マシュー・ラボが用意した飛行船に乗り、ジルとスキャランはオークニー諸島へと旅立った。

 木製で帆付きの飛行船は、海に浮かぶ船と見た目はそう変わらない。


「今朝のはなんだよ。」


「何がだい。」


 デッキに座り込み、カチャカチャと機械いじりをしているジルの背中にスキャランが話しかけた。


「言わなくてもわかるだろ、感じ悪かったぞ……クッキーくらい食ってやれよ。」


「君が彼女に私の好みを伝えたのか。」


「彼女って……ンな他人みたいな言い方——」

 

「他人だ。彼女に興味はない。だから君も、余計な事を彼女に吹き込まないでほしい。向こうが馴れ合ってきたところで、私がそれに応えることはない。」


「……そーかよ。」


 キキ……キィ……カチカチカチ、


 空気が澄んだ静かな夜、機械的な金属音が彼女の手の中で鳴いていた。

 魔法の類を扱うことができないジルは、元から備わっている身体能力や自作した武器などのアイテムを用いて、戦闘に挑む。

 今いじり回している鉄の塊も、それに加えられるのだろう。


 スキャランはそれ以上何も言わず、ジルに背を向けデッキの上に寝そべった。

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