第15話 ゴブリンとドラゴン


 〜神秘の大陸〜


 ———その美しい大陸は、酷く荒れ果てた。


「……いっその事、ここを沈めてしまおうか。」


 アトランティスを治める女王、アンヴァーは言った。

 優美優雅な外見に似合わず、その声には疲労がこもっている。

 彼女は今まで皮肉や弱音を口にしたことがなかった。王の在り方を意識しているわけではなく、彼女自身が淡然としているのだ。

 小さくても、それが問題ならば真剣に向かい合い建設的に取り組むが、その上で必要のない事は言わない。

 疲れた、駄目だ……それを言って何が変わるわけでもないので、必要がないから、アンヴァーの口から皮肉や弱音が出てくる事がなかったのだ。言わないようにしていたわけではない。


 しかし、この大陸の行く末が〝終わり〟であると確信した今、彼女の口からぽろりと、ごく自然に出てしまった。

 

「きっと、そうしたほうがいい。」


 抱えている問題は深刻だった。

 水棲馬のアハ・イシュケが率いる水の妖精たちが、この大陸を奪わんと攻め入っている真っ最中——。

 戦況はこちらが圧倒的不利で、侵略されるのも時間の問題……最悪な状況である。


 宮殿を中心に網状に広がった陸地……

 拠点となる宮殿を囲う筒状の防壁が8枚、等間隔に設置されていた。金の中でも最上級に質が良い金、オリファルコンを使った強力な防壁である。

 更に、上空は防衛魔術で8枚蓋をしている。

 最初の壁すら越えることは不可能とされていた、完全防備だ。

 しかし、それは呆気なく破壊されていった。


「そいつはちと、気がはえェんじゃねーか。」


 窮地の状況の中、それは気ままで余裕のある声だった。

 アンヴァーが座る玉座を、凛々しい男が見上げる。


「奪い取るために来てんだ……向こうだって、これ以上はここを荒らしたくねぇだろう。」


 清澄な青い瞳———頑健な肉体、その褐色の肌の上をぼんやりと光る瞳と同じ色の模様が顔や胸、腕などに巡る。

 背まで伸びた荒波のようにうねった黒髪は威厳を感じさせ、その後ろ髪は上部半分を後方に送り前髪とともに結われている。

 甲手に覆われた手に持たれているのは三叉槍で、これは形ないものを消し去る魔槍、"寂滅の槍"として知られていた。


 男の名は、エトラマサニス=ムゥーンホルギル。

 水棲馬、ケルピーの騎士王———。

 彼の種族は、アトランティス側の味方だった。前までは。


「慰めになっていないぞ。大陸はこれ以上荒らされずに済むだろうが、残っているのは私とお前、外で戦っている数少ない民だけだ。お前の仲間が続々と轡を噛まされていった……もう、なす術がない。」


 エトラマが率いていたケルピーの軍は、内通者によって鉄の轡を噛まされた。これを噛まされるとケルピーは正気を失い、轡を付けた者に従うようになる。

 最初に半数以上が轡を噛まされ内乱が起こり、やがて次々に轡を噛まされていき、今はエトラマ以外のケルピーは全員、敵側の奴隷となっている。

 彼らは防壁を破壊し、アハ・イシュケたちが攻め入る通路を作った。

 現在、防壁は宮殿を守る1枚のみで、それも今、ケルピーたちによって崩されようとしている。

 水の妖精の中でも屈指の戦闘力を持ち、不死身の体を持つケルピーが敵に回ってしまった今、この戦況を覆すことは困難であった。


「お前を責めているんじゃない。事実、アトランティスの戦士たちでは……お前の種族には勝てない。」


「俺なら勝てる。」


 少し食い気味に返事をしたエトラマ。

 そんな彼の真意を知った上で、アンヴァーは彼を止めた。


「やめておけ……敵は罠を張って、お前を待っているに決まっている。」


 そうかもな……と、エトラマが返したのは軽い返事だった。

 すると力のこもった声で、アンヴァーは彼に言い聞かせるように言った。


「死より残酷な目に遭うぞ。誇りを傷つけられていることすら、お前はわからなくなる。仲間同様に。」

  

「……誓いを立ててる。もしも、自分の意思と関係なく轡を噛まされるようなことがあったら……そん時は、俺の槍で自由にしてやる……そう誓って、約束した。」


 轡を噛まされる事は、ケルピーにとって騎士の名折れを意味する。

 敵はエトラマが仲間を解放しにやってくると踏み、綿密に罠を張って待ち、なんとしても彼に轡を噛ませようとするだろう。ケルピーの最強である彼自身と、彼の持つ魔槍、〝寂滅の槍〟……その二つが揃えば、アトランティスを完全に征服できる———


 エトラマは背を向け、「行ってくる」とだけ残した。


「お前があちら側についたら、いよいよしまいだ。調子づいて、奴らが世界征服に踏み出したらどうする!?」


「フッ——! アンタにしてはおもしれぇ冗談だな。

 そんなことになったら、神々たちが黙ってねぇだろうよ。」


「冗談ではない。ここの資源が奴らの手に渡れば……不可能ではない事だ。」


 アトランティスの資源は、扱い方次第で兵器にもなりうる。だからこそ、正しく管理して供給されなければならないのだ。

 それができなくなるのであれば、やはり、この大陸は沈めた方がいい———


 アンヴァーの呼び声に、エトラマが振り返る事はなかった。




 ♦︎♦︎♦︎




「……スキャランくん。」


 夕暮れ時だった。

 飲むならこれからという時間だが、既に数時間前から飲み始めていた彼は酒に酔わされ、居眠りをしている最中にある。


「……スキャランくん。セヴェリンから、呼び出しの連絡がきたよ。」


 今度は肩を揺らされる。

 スキャランはテーブルに伏せていた体を、這いずるように起きあがらせた。


「……はぁ。くそ、1日に何度も呼びやがって……」


「ワームの件は、私たちに任された……エルフの二人組が自白したそうだ。即時、次の段階にとりかかるようにと。ラボに寄って、それからオークニー諸島へ向かう。」


「会計はオレがやっとくから、さっさと行きな……んじゃ、気をつけてなぁ、シャノアビちゃん。」


 会計をジェニットに任せてジルとスキャランはパブを後にし、ウェントワースへ向かった。


「お会計ですかい?」


 やりとりを聞いていたフィグが、ジェニットに声をかける。


「……いや。もうちょっと飲ませてくれ。」


「ごゆっくり。」


 ジェニットは携帯を取り出すと、ニュースサイトを見ながらちびちびと酒を飲みはじめた。


「———けっ、くだらねぇ。なんでまた、色ボケの神がトップにくるんだ……オマエの記事は見飽きてるっつーの。」


 伏し目だが、顔はしっかりとカメラを向いている。海風が長髪をたおやかに仰ぎ、眩い日差しがその揺れる白銀を煌めかせる……

 "海神、日焼け止めのCMに起用"

 デカデカと自分の携帯画面を埋めているキメ顔を、ジェニットはピンッと指で弾き、画面を切り替える。そして無料動画サイトへ行き、再生回数の多い動画の中から適当に再生した。


「およ?」


 単なる小さな暇潰し……。動画の面白さにそこまで期待していなかったが、予想以上に、その動画はジェニットの興味を引いた。

 マナナンにも引けを取らない男前が、電車で脱衣しながらFワードを叫ぶ———

 立派な胸筋にはボディピアスがぶら下がっており、二つの乳頭をチェーンが繋いでいた。


「こいつァ、おもしれぇ……!」




 ————今朝と同様、ジルはスキャランを抱えて空を飛び、アイアンゲートの上を通ってウェントワースへ入る。

 ゲートを越えてすぐ、石畳の地面に着陸するとふたりは真っ直ぐに歩き出した。

 向かう方向には横幅が広い塔が立っており、その真下を潜り抜けていった先には様々な部署の建物が建っている……この塔は、サブゲートのようなものだ。

 ふたりは塔を潜り抜けはせず、真下で止まった。

 左右の壁沿い、塔の内壁には等間隔に赤い扉がずらりと並んでおり、その一つ一つの扉の上には金のプレートが出ている。


 ジルが〝マシュー・ラボ〟と記されたプレートの扉を開き、ふたりはその向こうへ足を踏み入れていった———


 扉を潜ると、その先は芝生が広がっている。

 右手には二階建ての大きな家が建ち、左手には大きな湖。

 無論、先程彼らのいた塔の横にこんな景色はない。ここは、魔法によって作られた固有結界の中である。

 ジルとスキャランの背後には収納小屋とその入り口の扉……。これが、と繋がる入り口である。


 ふたりは右手にあるへ足を向け、ノック無しに取っ手を引いて中へ入っていった。

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