第14話
ズクッ……ガリガリガリッッ……
〝書く〟ではなく、〝掘る〟だった。
そのニブは鋭利に尖り、青白い肌を突き破る。直線を描けば皮は千切れ、血肉が裂けて剥き出しになる……さらに曲線を描けば、皮膚の一部が捲れて裏返える……
突然の自傷行為に気を取られている暇はない。
真っ直ぐタナリアスの方へ走ってきた神父は、真横一直線に剣を振る。ヒャッ、と空気を断った音の後、シャリン、と刃が擦れ打つ音が立ち、剣身が二つ交わった。
「これじゃない……どこに書いてたっけ?!」
パラパラパラパラ……
バレンは目を見開き、ひたすら本のページをめくっては呪文を探し続けていた。
「俺にとって、戦いとは手段であり……断じて、好むものでは無い……しかし、妖精騎士の剣を受けられるというのは、光栄な事だ。名を聞きたいのだが…そういう時は、先に名乗るのが礼儀というもの…」
すると神父の口調は、今よりもっと遅くなった。
「俺の名は……ファルハーンレヴィド・アラファッダース——」
その口調は聞く者に倦怠感を与えた。
「アミルヴィドゥ・タヌ・アラウキィ・サ———」
———我慢ならず、タナリアスは大剣を振り切り神父を突き放した。
もっとテンポ良く話せないのか……名前が長いのはそこまで気にならないが、独特の口調は聞くに耐えず、こちらをうんざりさせる。
「略されてレヴィ……皆、悪魔の名で俺をそう呼ぶ。」
「タナリアスだ。」
彼が簡潔に名乗った直後、戦いは始まった。
グリップと剣身だけのスマートな剣は相手の懐に潜り込もうと突きを繰り返し、時折斬撃を加える。その動きに律動をつけて規則性を生み出すと、それを微妙にずらし、また一定に戻し、ずらす……
しかし大剣はフェイントに惑わされることなく、細い刃を遮断しつづけていた。
攻撃が最大の防御と言わんばかりに、数多の角度、方向から間断なく振るわれた大剣は相手の刃を悉く討ち払っている。
大剣の弱点であるはずの大きさと重量を、まるで感じない。本来なら長剣に比べて横振りは遅く、縦振りは振り上げる時に隙ができる。そして、カウンターをもらいやすい。
見た目は攻撃的が、大剣は無闇に振るえる剣ではないはずだった———
(カウンターが全く入らない……大剣のくせに斬撃後の立て直しが早い)
その剣筋はぶれず揺らがず、重さを感じさせず。引きも振りも、大剣でこうも軽やかに瞬時にやってのけられると違和感がある……剣の中身は空気なのかと疑いたくなるが、薙ぎ払う一撃は確かに重かった。
剣が特別なのか、扱う者の技量か……おそらく、どちらともある。
「……やはり、妖精の剣は一味違う。」
相手が期待以上のものを持っていた……神父は、満足気に口角を釣り上げるのだった。
———一方で、ビースト使いの腕から血飛沫と共に何かが飛び出す。
体長6、7メートルほど、大きな頭部に切長の目が8つ並び、下顎が長く鋭い牙を持ったビースト——。
深海魚のような見た目をしたそれは、空中を泳いでまっすぐにバレンの方へ向かっていった。
それにすぐさま反応したタナリアスは、背後にある貯水タンクへ一瞬意識を送る———すると、貯水タンクの側面を突き破って水が大量に吹き出した。
それはウツボに似た巨大な海魔の形に姿を変えると、口を目一杯に開いて瞬く間にビーストを口の中に収め、噛み砕いては飲み込んだ。
「ヘェ……水モ操レちゃうンダァ?」
ビースト使いは、再び万年筆を自分の腕に突き立てる——。先ほどキャンパスにしたその腕に傷跡はなく、まっさらな状態である。
ズクッ……
新しく刻まれていく生々しい傷は、やがて形となって外へ出て行く——。今ほど喰われたビースト同じものが今度は6体、血飛沫とともに次々に放たれた。
それが一斉にタナリアスの海魔に噛み付いていくと、厚い皮を引き千切ろうと体を何度も半回転させる。
「水と風……風で編まれた大剣……そして、清冽な気配———……セイレーンか。」
確信を得たように、レヴィはその正体の名を口にした。
そして、「あまり、聞いてはいけないような気がするが……」と前置きした後、たっぷりと間を取る。
語調は聞く前提であったが、聞こうか聞くまいか悩んでいるのか、単に次の言葉を出すのが遅いのか……とにかく、タナリアスには苛立つ時間だった。
「…………翼はどうした?」
タナリアスが答えることはなかった。
翼を失ったエピソードは良い話とは言えないが、別に語れない過去ではない……ただ、会話に疲れた。それだけだ。
「あった……!」
呪文を見つけると、バレンはたちまち声を上げた。
「タナリアス! わたしのところへ来て!」
———大剣の切っ先が描く弧から、弓なりの刃が射出された。
避けることもできたが、レヴィはつい、好奇心で妖精が放つ技を受け止めてしまった。結果、「これが妖精の技か」と感激する間も無く彼は窮地に陥ることになる。
陽炎のようにゆらめく弧は、研磨するような音を連続させながら長剣を押し攻め、レヴィをその場に踏みとどまらせる事を良しとせず。忽ち真後ろへ押されていくと、背中が金属のフェンスに打ち当たる。フェンスはキリキリと音を立てながら背中の形に凹んでいき、地面と固定しているネジは砂利が跳ねるように次々外れていく。
足場を失うのは時間の問題だった。
「ダズビー! ゴーストを俺に……!」
「シマッチャッタ☆」
早口に相方の名を叫んだ。早口で無理だと返された。
直後、背中がフェンスを突き破る。
一か八かで、レヴィはすぐさま反り身になると、剣を投げ出すように外へスライドさせた。
鼻をすれすれに、押し迫っていた刃が顔の上を通過して空へ消える——
リンボーダンスの姿勢で踏みとどまった上半身はビルからはみ出していたが、彼はなんとか落ちずにすんだ。
レヴィと距離を離したその隙に、タナリアスは後ろへ下がりバレンの元に戻る。
バレンはタナリアスの手を取り、呪文を唱えた——
「" コンコン あけてちょうだい こどもたち テンプルトンさんのこえだ!"」
呪文の最後の言葉を終えた瞬間、ふたりの体はその場から消失した———
風に煽られ、運ばれてくる草の香り……。
辺り一面に生い茂った牧草地が広がり、川沿いに並んだ風車が悠々と回り続けている。
先ほどいたニューヨークとは違い近代的なものはないが、童話や民謡を思わせる長閑な風景は新鮮だった。
「ここは……オランダか?」
「そうよ。アムステルダム。」
バレンの転移魔法は彼女が行ったことのある場所へしか移動することができない。
オランダのアムステルダムは、彼女の故郷だった。
久しぶりに帰ってきた故郷は懐かしく安心の心地がしたが、同時に胸が痛む。
争いなど起きないような長閑なこの地で、彼女の家族は生きたまま毛皮を剥がされたのだ。それを、バレンは目の当たりにしていた。
忘れることのできない、強烈なトラウマだった。
「……とりあえず、空港へ向かおう。ロンドンまで直行便がある。」
タナリアスの手に持たれているのは大剣ではなく、携帯だった。
それで一番近い便を確認すると、次に空港までのマップを出し、さぁ行こうと歩き出す。
つい先ほどまで剣を振り回して勇ましく戦っていたというのに、切り替えが早いものだ。
「ロンドン……? まさか、ウェントワースへ行くつもり? 魔法省の本部に……! あそこはダメよ!」
バレンは歩き出すタナリアスの手を掴んだ。
するとタナリアスは彼女の手を掴み返し、引っ張るように歩いていく。
「魔法省を頼るかどうかはさておき、ロンドンへは行く。あそこは機関が集中しているから、問題が起きた時の対応が早い……だから、奴らも下手な騒ぎは起こせないだろう。わかったら、自分の足で歩くんだ。私が手を引く必要はないだろう。」
「なんか……急に冷たくなったわ、あなた。」
「別に、冷たくしてない。子供ではないことがわかったから、相応の態度をとっているだけだ。君の種族は2年で成体だろう?」
バレンは何も返さず、唇を噛みながらタナリアスより先を歩いた。
子供でなければ、優しくされたらいけないのか。
ずっと神に命を狙われ続け、さっきだって襲われた。可哀想で、ひとりぼっちの自分を相手に、なぜそんな皮肉めいた言い方ができるのか。
うしろで、そっちではないぞ、という声を聞く。
バレンは無言のまま振り返ると、少し不貞腐れた様子でタナリアスの横を歩いた。
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