第7話 ゴブリンとドラゴン

 昔々……


 フレイズマルの次男のオッテルは、カワウソの姿で河を泳いでいた。

 神であるロキ、オーディン、ヘーニルの三人は旅をしている時、カワウソのオッテルを人間とは知らず仕留めてしまう。

 フレイズマルはこれに激怒し、長男のファーヴニルと三男のレギンに神々を捕らえさせ、賠償金を要求した。

 神々はオッテルの皮の内側と外側を埋め尽くす量の黄金を支払うことで合意する。

 オーディンとヘーニルは人質として残され、ロキがドワーフのアンドヴァリから黄金と黄金を生み出す指輪を奪いにいく。

 その際、アンドヴァリは指輪の〝持ち主に永遠の不幸をもたらす〟呪いをかけた。

 指輪は黄金とともにオッテルの皮に入れられフレイズマルに渡された。

 すると黄金に欲を出したファーヴニルが、フレイズマルを殺して弟の前から消え去ってしまう。

 指輪の呪いで竜の姿になったファーヴニルは、黄金とともに洞窟に篭った。

 それからアンドヴァリやその一族は黄金を取り返しに洞窟を訪れたが、皆返り討ちに合ってしまう。

 黄金の噂を聞きつけた人間やエルフ、たくさんの妖精たちがファーヴニルの洞窟を訪れたが、無事に帰って来た者はいなかった。


 ある時……

 指輪の呪いを恐れていたファーヴニルは、自分の代わりに不幸を背負う分身を作ろうと考えた。

 自分の体の一部を使い錬金術で二匹の竜を生み出すと、銀の竜に指輪を持たせ、黒い竜を次に備えた。


 竜が増え、洞窟を訪れる者は急激に減った。

 獲物が来なくなり空腹を感じたファーヴニルは、二匹の竜を狩へ行かせる。

 一匹は必要な分だけ狩り、一匹は殺戮を楽しみながら必要以上に魔物や妖精を狩った。

 こうして何人ものドワーフやエルフ、その他妖精たちがこの竜の親子の餌にされていた。

 しかし、ある時それは終わりを迎える。

 魔剣バルムンクを持った英雄ジークフリートが現れ、ファーヴニルたちを討ったのだ。


 三頭の竜は死んだ。

 そして、指輪は持ち主に〝永遠〟を強いる————




「臭う……下劣で醜悪な邪竜の臭いだ。」


 晴天の下。

 ロンドンのセントラル・シティを練り歩きながら、フランチェスカは一族の仇を探していた。

 後ろでフィッシュボーンに纏められた、焦茶色の髪。

 上はタンクトップ、下は中にインナーパンツを履いたミニスカート。

 彼女が身につけているタンクトップとブーツは本革でできており、筋肉質な細腕に巻かれているテーピングも本革。

 都会のロンドンの街中では、彼女の普段の装いは少々田舎臭く見えるかもしれない。

 

「……近いな。」


 飲食店が立ち並ぶ河川沿いを歩きながら、フランチェスカは呟いた。


 一族たちへの弔い———

 それが、彼女がドイツからロンドンへやってきた目的だった。


「……見つけたぞ。」




 ♦︎♦︎♦︎




「なぁ……クソしてケツ拭く時ってさ、何回拭くよ?」


 ゴブリンの生息地は森や林、山の中。

 人が行き交うロンドンの街中で見かける事など、まずありえない。

 昼間に河川沿いにあるお洒落なカフェのテラス席で、カフェオレを飲みながらキャロット・ケーキを食べているゴブリンなど、世界中どこを探しても彼しかいないだろう。


「前と後ろで何度も角度を変えて拭くんだけどよ、前拭いて後ろ拭いて前に戻ると、またついてる。最後にくわっとケツの穴を開いてよーく拭くんだけど、それでもまだついてる時がある……キリがなくて困るもんよ。」


 食事中に下品な話をするスキャランの向かいには、類を見ないほどの神秘的な美貌の少女が座っている。

 憂いを帯びたモーベットの瞳——。

 きめ細かい銀髪のショートヘアは、陽に当てられると髪の毛一本一本が透けているように見え、触れずとも見ただけで髪が指の間を容易く抜けていく様が想像できる。

 陶器のように無機質な白い肌は、人の肌とはかけ離れているほどに滑らかである。加えて表情のない顔をしているので、彼女はまるで人形のようだった。

 とはいっても、スタイルの方は非常に生々しい。童顔で小柄だが肉付きは良く、扇状的で抜群のプロポーション。そしてそれを際立たせているのが、彼女の際どい服装だ。

 長袖黒のミニ丈ワンピースはスカートの丈の長さが前後で異なり、前の方は生地が両サイドへ大胆に開かれインナーパンツが露出している。開かれた生地の間にぶら下がるチェーンは、そのハイレグ・カットの際どさを補う装飾品。

 後ろは背中から腰元にかけて大きく露出され、ヒップの割れ目が若干見えている。

 下はロングソックスとロングブーツ……これらも色は黒。


 彼女は眉ひとつ動かさず、アイスコーヒーを飲みながらスキャランの下品な話に耳を傾けていた。


「ウォシュレットはもう、試したのかい?」


 その物静かで超然とした口調からは、少女らしさを感じられない。

 振られる話題に対して不愉快に思っている様子も、彼女からは特に感じられなかった。


「あぁ。濡れたケツを拭くと紙がケツに張り付くから、ウォシュレットはダメ。」


「……では、食物繊維をとって便の質を改善するのはどうだろう。」


 やはり、ジルの返事は極めて平然としていた。

 そんな彼女の反応が心底つまらなくてたまらず、スキャランは不細工な面を不機嫌にして、更に不細工な面を作る。


「あのなぁ……真面目に答えるな。ほんっとつまんねー奴だよ、お前は。」


 ふたりは長い付き合いになる。

 同じ住居に住み仕事も一緒にこなし、お互いひとりでいるより一緒にいる時間の方が長い。

 だから、ジルにどんな話題を振っても彼女がずっとこの調子だということはスキャランもわかっていた。

 彼女は感情的にならない。

 どんな話題も澄まし顔で聞き、返事を求めれば澄まし顔のまま答える……イジリ甲斐もない。

 相談相手には向いているが、雑談相手には向かない人物なのである……ジョークも笑ってくれない。


「……今、セヴェリンからオフィスを訪ねるようメールが届いた。食事が済んだら出発しよう。」


 自分の携帯を見ながら、ジルはスキャランに呼びかけた。

 彼女は既に自分の分の食事を終えている。


「足で向かうのか?」


「飛んで行ってもかまわない。」


「なら、もう少しゆっくりしよう……呼び出しの内容は?」


 ズゴゴゴ……。


 怠惰な調子を見せながら、スキャランはストローで残りのカフェオレを吸い上げた。

 カチャ……と氷が音を立てる。


「最近ロンドンを騒がせている、ワームの件らしい。」


「はぁ。やっぱ俺らに回ってくるのか……昨日のフィグとの会話でフラグ立ったような気ぃしたんだよ…ったく冗談じゃねぇ、あんなキモいもんの駆除なんて。」


「駆除の仕事かどうかは、まだわからない。」


「いやぁ、絶対ぶっ殺せって命令に決まってる……なぁ、野郎はバッキバキにかてぇんだろ? 弱点の火も効かない……じゃあ、今までどうやって野郎を始末してたのか知ってるか? 外が駄目なら、内側からってな。長くて硬い、ぶっといアレを突っ込むんだよ。さて、どこに何を突っ込むか……ヒントは、さっきの俺の話の中に———」


 バキッッッ


 ふたりの間にあった丸テーブルが突然、けたたましい音を立てて真っ二つに割れた。

 グラスは勿論、地面に落ちて氷と共に砕け散り、キャロットケーキの最後の一口を載せていた皿も地面に落ちて散乱する。


 両拳にナックル———

 その右拳を振り下ろして横に立つ、ひとりの娘。

 彼女は真っ直ぐにジルを睨みつけていた。

 

「アンドヴァリの末裔、フランチェスカ。貴様はファーヴニルの娘ジルヴァーンと見受けるが、間違いないか。」


 堂々と荘厳な口調で名乗ったその娘は、いかついナックルに覆われた両拳をジルに向けて構えた。

 殺伐とした空気にテラス席に座っていた客たちはサッと立ち上がり、速やかにその場を離れていく。

 日常茶飯事のこの光景に、スキャランは深い溜息をついた。


 ————ジルは、一部の妖精たちから恨まれている……

 特にドワーフからの恨みは根強いもので、たまにこうして襲撃を受けるのだ。


「その通りだが……すまない、君の相手をするつもりはない。」


 この台詞で納得して帰った者はひとりもいないというのに、ジルは決まってこの言葉を口にする。

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