第17話 貪欲さと、背徳。
「じゃ、『犯人』さん自首してよ」
絶望の彼方に沈む僕を無視して、実験は続けられていた。
八番が、再び椅子にもたれかかる。
沈黙。
誰も口を開かない。当たり前だ。『犯人』などいないのだから。
「……あれ?」八番が首を傾げる。
「そっか。『犯人』さんは隠れたいんだ」
ま、そりゃそうだよね。きらりと八番の目が光る。その目の中に疑惑の色を感じ取った気がして、僕は画面に食い入る。
そう。そうだ。人を疑え。八番。いいぞ。『犯人』を捜せ。
しかし僕の願いは届かない。
「じゃあ、他の方法を考えないとね。『犯人』さんを保護したまま、みんなが被害を被らずに済む方法……」
違う、違うだろっ。僕は頭を掻きむしる。もっと競え。もっと争え。他人を蹴落とせ。自分を守れ。
「モニター番号八番」
気づけば、口走っていた。僕はマイクに口を近づけていた。
「あなたは誰が怪しいと思いますか?」
「えっ、私?」
画面の中で八番が自分を指差す。
「え、私は……」
「この中の誰かが『犯人』です」
僕は噛んで含めるように話をする。
「『犯人』は、あなたから、報酬を、奪えます。五〇〇〇円を、没収できるんです」
沈黙。八番は目を泳がせる。
「いおりちゃん」
六番が口を開く。
「五〇〇〇円じゃなくてもいいじゃん。四五〇〇円でも四〇〇〇円でもいい。一緒に方法、考えよう?」
「彼女が『犯人』である可能性もあります」
僕の言葉に八番ははっとする。僕は続ける。
「信じますか?」
八番が口に手を当てる。目は画面を見ていない。じっと、何かを考えている風である。
「そうか……そうだよね。初めからあんたを疑うべきだった……」
八番が目を見開く。
「あんた、いきなりみんなをまとめようとしたもんね。このゲームは、三人の脱落者が出る中で、自分が生き残るよう画策するゲーム。言い換えれば、他人を蹴落とすゲーム。それはみんな……あんたも含め……分かっているはず。それなのにまとめ役になりたがるなんて不自然な行動を取ったってことは、あんたが、『犯人』……」
「違うよ!」六番が叫ぶ。「私は『犯人』じゃない!」
「『犯人』が自分を『犯人』って言う訳ないじゃん」
八番は冷たく突き放す。
「だって、『犯人』であることがバレたら報酬は没収されるんだよ?」
五〇〇〇円だよ? 八番は続ける。
「ルールの説明に一〇分かかった。各ターンは一〇分、合計三〇分。インターバルが五分、各ターンの間に挟まるから合計一〇分。この実験でかかる時間は合計五〇分。多分、実験の後に終わりの言葉とか説明とかあるだろうから、それにまた長くて一〇分」
八番はどんどん言葉を紡ぐ。
「私たちは合計一時間拘束される。実際ポスターにそう書いてあったし。時給五〇〇〇円。たかが、って思うかもしれないけど、五〇〇〇円あったら色々できる。服も買えるし靴も買えるし鞄も買える。大学生の平均月収で考えたら、生活水準がワンランク上げられる。飲み会一回分以上あるんだよ? 五〇〇〇円でデートを企画する男子もいる。それに、ここに来るまで時間も交通費もかかってる。一時間拘束されて〇円? むしろ交通費の分マイナス? そんなことってある? この中で最大三人の人間がその憂き目に遭う。それを、その事実を、受け入れられる? 負け組になれる?」
やった……! 思った通りだ……! 僕はぎりりと奥歯を噛みしめた。八番は成功してきた女だ。今までの人生で成功してきたということは、人一倍成功に対して貪欲だということだ。
「勝ち組とか、負け組とかじゃない……!」
六番が口を開く。
「私は単に学術的に興味があったからこの実験に参加したの! あなたもそうでしょう? 報酬が全てじゃない!」
「そんなの、建前でいくらでも言えるじゃん」
は、はは、ははは……。気づけば僕は笑いだしそうになっていた。
「先生」
八番がモニター越しに訊いてきた。
「『犯人』の指名と、『犯人』による『犠牲者』の指名がかぶった場合、どうなりますか」
「『犯人』の指名が優先されます」
僕は手元にあったルールブックをカメラに映して見せた。
「ほら、ほら、この通り。第二三項にまとめてありますので、是非ご確認ください」
「つまり、私がこのターンで『犯人』を指名できたら、私が勝つってことですよね?」
僕は頷く。胸が高鳴っていた。
「そう。その通り」
「私は、このターンで、あんたを指名する」
八番はハッキリと画面を……おそらく、六番を……見据えていた。
「何が『ひろこ』だよ。私を騙そうとして!」
「そんな……!」六番が首を横に振る。
「信じて! 私じゃない!」
いおりちゃん! 六番は叫ぶ。
「気やすく呼ばないで」
しかし八番は拒絶した。
「……一〇分経過」
僕はストップウォッチを止める。これはもう、意味がないのだ。
「第一投票です」
八番は素早くキーボードに触れた。もう画面を見ていない。多分、誰とも目を合わせたくないのだ。
投票結果が僕の画面に示された。八番が指名していたのは……やはり六番だった。そして、六番が指名していたのは……。
「ほら、ほら、ほら、ほら見ろ……」
僕は笑っていた。声に出して笑っていた。
六番が指名していたのは……あの健気なひろこちゃんが指名していたのは……八番。八番の長瀬唯織だったのだ。
笑った。笑いが止まらなかった。人間なんてこんなもんだ。自分が危うくなったら防衛するのだ。そしてその防衛のためなら、手段を選ばないのだ。他人を蹴落とし、笑い、傷つけるのだ。
そう……まるで悪魔のように。
僕は六番の中にも、八番の中にも悪魔を見出していた。
やった。やったぞ。僕は興奮に震えた。悪魔を、ついに悪魔を見つけたぞ。ずっとお前に、悪魔と呼ばれる存在に、会いたかったんだ。
はは。はは。
何が「信じて」だよ。信じさせてしっかり裏切っているじゃないか。
「あは、あっはっは、ははは……」
僕は腹がよじれるほど笑っていた。
パソコンが最初の『犠牲者』を弾き出す。
実験は、つつがなく続けられていた。僕は『犠牲者』のブースへ向かう。
「八番。脱落だ」
第一ターンから第二ターンへの切り替わり。僕は『犠牲者』に脱落を告げた。僕のかわいい機械は八番を……あの賢い法学部のいおりちゃんを……選んだ。だから、八番のブースにいた。
「残念だったね。報酬は没収だ」
「……噓でしょ?」
八番は「あなたが『犠牲者』です」と表示された画面を食い入るように見ていた。
「だ、だって私は、あの女を指名して……」
「六番は『犯人』じゃなかったんだ」
僕は冷たく告げた。
「君の推理は、ハズレだ」
「そんな……そんな……」
彼女は口をパクパクさせた。まるで池の中の鯉のように。信じられない、というように。
……僕は、僕はここに告白しよう。いいか? いいかな。ははは……。
僕は興奮していた! 八番の哀れな姿に興奮していた! 法学部の! 国際法学科の! エリート女が! 絶望に! 打ちひしがれている! これまで人生で成功ばかりしてきたであろうこの女が! 失敗し! 惨めな姿を晒している! まるで馬鹿な鯉のように! 口を! パクパクさせている!
ああ、その顔……その顔いいね! まるで舞みたいだ! 僕に抱かれている時の、僕がいじめている時の、僕が犯している時の舞みたいだ! 僕は興奮した。心臓が高鳴っていた。寸でのところで、僕は心臓を吐いてしまいそうだった。
「ねぇ、ねぇ、ねぇ、六番は誰を『犯人』だと思っていたと思う?」
僕は嬉々として訊ねた。ストップウォッチはもう、持っていなかった。あれはもう、必要ないのだ。
「八番。君だよ! 君を『犯人』に指名したんだ! 君を蹴落とそうとしたんだ!」
「……くそっ。あの女っ」
八番の顔が憎しみに歪んだ。そこで僕は冷静になれた……いわゆる、賢者タイム、というやつかもしれない。
「……結果の如何にかかわらず、報酬は一律で払われます」
僕は小さい声でそう告げた。襟元を正す。きゅっと。スマートに。
「引き続き、『犠牲者』として実験に参加してください。なお、報酬の一律付与については実験中触れないでください」
それだけ告げてブースを去る。八番はじっと床を見つめていた。長い髪の毛がだらんと垂れていた。僕にはその様子が、まるで舞を後ろから犯している時のように見えて、またぶるりと、興奮した。
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