第16話 三回目の実験と、絶望。
「『犯人』を捜してください。そして生き残ってください」
八月第三週。三回目の実験。
僕は被験者たちにゲームのルール説明をした。今回は全員が画面越しにこちらを見ていた。きちんとこちらの話を聞いてくれている。否応なく期待が高まる。
「はい」
モニター番号六番……名前は確か、小泉さん……が挙手して質問をして来た。
「これって、誰かと協力するのはありなんですか?」
「ありですよ」
僕は頷く。しかし思えばこの時から嫌な予感はしていた。
「個人戦でも、チーム戦でも問題はありません」
僕はこの時こう言うべきではなかったのだ。この言葉が全ての原因だった。しかし僕は気づいていなかった。ルール上は、何でもあり。だから気づきようがなかったのだ。
分かりました。小泉さんは納得したように……どこか誇らしげに……頷いた。
僕はストップウォッチを握る。
「それでは、始めてください」
しかし、ゲーム開始直後にそれは起こった。
「みんな、協力しよう!」
モニター番号六番、さっきの小泉だった。ショートカット、日に焼けた肌のスポーティ女子。彼女の声に全員がモニターに釘付けになっていた。
「この中の誰が『犯人』なのか私には分からない。でも、私には一つだけ言えることがある」
誰にも、損はさせないから。
そんなことを彼女は口にした。自信たっぷりに。まるで誰かを疑うということを知らないかのように。
くそっ。僕は声が出そうになった。ここでもスポ根の馬鹿か。一体この国はどこまで「正々堂々」が蔓延しているんだ。思わず机を叩きそうになる。
「えー」
すると、モニター番号八番が声を上げた。
「協力って何するのさ」
「そ、それは……具体的にはまだ、だけど」
モニター番号六番、小泉が言い淀む。
いいぞ……いいぞ……八番、いいぞ……僕はモニターに顔を近づけた。
八番が口を開く。
「これってそういうゲームじゃなくない? 自分の安全を一番に考えて、早めにリスクを回避することが目的じゃないの?」
賢い。八番は賢い。僕は手元の資料を見る。八番……八番……長瀬唯織。法学部国際法学科二年……エリートだ。きっとこれまでの人生で成功ばかりしてきた女だろう。
「そう、リスクを回避するの!」
しかし六番が目を輝かせた。六番は何者だ……と資料を見る。小泉博子。総合政策学部国際政策文化学科二年。総合政策学部? 何を学んでいるんだか分かりにくい学部だ。変人が集まることでも有名。字面から判断するに、こいつの学科は「世界のみんな仲良く」とか言い出す連中だ。こいつも例に漏れないという訳か。
「みんなで協力すれば、リスクはきっと最小限にできる!」
畜生っ。僕は画面を殴りそうになる。どこまでもフェアプレー精神に毒された馬鹿。何事にも真っ直ぐに向き合う馬鹿。自分の頭で考えようとしない馬鹿。僕はこういう馬鹿が、一番嫌いなんだっ。
「だからさ、協力って何すんのよ」
八番が退屈したように椅子の背もたれによりかかる。そうだ、八番。いいぞ。もっと言ってやれ。
「あんた、周り巻き込むなら具体的に指示出してよね」
ん? 僕は首を傾げた。八番、態度が軟化してきた? もしかして……という疑念が僕の中で生まれた。
「えーっと、あなた名前は……」
六番が首を傾げる。八番が答える。
「長瀬唯織。『いおり』でいいよ」
「いおりちゃん! 私は小泉博子って言います! 『ひろこ』って呼んで!」
六番が手を叩く。
「いおりちゃん。あなた、賢そう。もっとアドバイスちょうだい!」
「アドバイスって何さ」
八番が背もたれから体を離す。
「みんなの損が少なくなる方法を考えるの!」
六番は相変わらず目をキラキラさせていた。
「いおりちゃんは頭が良さそうだから、そういう方法も思いつくかなって!」
すると八番が照れたように笑う。
「まぁ、方法はなくはないんじゃない?」
ある訳ねーだろ。八番、お前まで馬鹿になってどうする。僕はじっと画面を見つめる。
「例えば、『犯人』が自首する」
八番はぽつりとそう告げた。
「そうすれば、一ターンで終わる。つまり九人助かるでしょ? 九人分報酬が発生する。報酬の最大値だよね。で、後でみんなの報酬を一〇で割るの。ざっと計算すると……一人頭五〇〇円の損かな? でも五〇〇円でみんな仲良くできるならねぇ」
飲み会一回分より安くない? そう、八番は首を傾げる。
このパターンは既に一回目の実験で見た。『犯人』に自首を勧める。確かあの時は三浦が反対したが、今回は……。
「すごい! さすがいおりちゃん! みんなそうしようよ!」
馬鹿が手を打つ。ふざけるな。そんなことされたら上がったりだ。
みんな乗るな。このふざけた提案に乗るんじゃない。誰か否定しろ。この提案を拒絶しろ。
しかし僕の願いをよそに、モニターの中の学生たちも目を輝かせ始めた。
「なるほどね」
「報酬の最大化か」
「それは考えてなかった」
僕は正直、失望した。嘘だろ……。おい、嘘だろ……。そんなことって……。
僕は両手で額を覆った。どいつもこいつも馬鹿ばかり。この実験では間抜けしか集まらなかったのか。
僕が思うに、今回の実験では女子率が高いのがよくなかった。一〇人中八人が女子。残りの二人は男子だったが、覇気のない顔、なよなよした動き、どう考えても女子を引っ張るタイプじゃなかった。
「ありかも」
「私も、その方が、いいなら」
モニター番号一番とモニター番号九番がハッキリと首肯する。完全に六番の意見に同意する気だ。やめろ……やめろ……僕は歯を食いしばる。
女子同士は共感する。女は共感の生き物なのだ。もちろん、例外はあるだろうが、この実験でその例外に当たる確率は……たったの八人しかいないんだぞ……と考えて、僕は叫びそうになった。
協力されては困るのだ。共感し合っては困るのだ。この実験は参加者の利己的態度を観察するための実験だ。協力や共感は、利己的態度の対極に当たる存在だ。
しかし今、被験者たちはお互い協力し合うとしている。手を取り一緒にゴールラインを越えよう、そう言っている。みんな平和に解決しよう、そう言っている。
僕は目の前が真っ暗になった。気づけば机に突っ伏していた。
舌の上に苦い味が広がる。僕はきゅっと口を結んだ。冷房のせいか、指先が少し冷えていた。
駄目だ。僕は追い詰められる。
この実験が、この研究が上手くいかなかったら、僕は、僕は……。
僕はどうなってしまう?
すると頭の中で声がした。
クビだ。お前はクビ。准教授の立場を失い、名声も恋人も失い、哀れに惨めに、またただの講師として、また大学という大学を渡り歩く生活を送るんだ。降格だ。
嫌だ……それだけは嫌だ。
「一年以内に論文を一本」
四谷教授の声が蘇る。
一年って、もう八月だぞ? それも第三週。後三カ月ちょっとで今年が終わる。そうしたら残された時間はもう四カ月しかない。統計分析に論文の執筆を考えても、もう、時間がないんだ。
脳裏に女子学生たちの姿がよぎる。
「かっこいいよね」
講義を受けた女学生たちの言葉だ。しかしそれは、僕に向けられた言葉じゃない。僕の准教授という立場に向けられた言葉だ。
「女子大生に手を出したりしないでよ?」
舞だ。彼女とのデートを思い出す。夜景の見える港で、ラテアートのカフェで、夕方の公園で、僕たちは手を重ね合った。准教授の立場を失えば、あの時間も、あの思い出も、全て、彼方に、消えて……。
「う……う……うああ」
声が出る。それは聞こえようによっては、外で叫んでいる蝉と、同じような声、だったかもしれない。
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