第15話 二回目の実験と、沈黙。
「『犯人』を捜してください。そして生き残ってください」
八月第二週。二回目の実験。僕はゲームのルールを告げた。この内容は一回目の実験と変わらない。
モニター番号一番の佐々木と、モニター番号三番の三島とモニター番号九番の吉田が、僕の説明を聞きこっくり頷く。他の七名はあらぬ方向を眺めていたり、手元のルールブックを眺めていたりした。僕は口を開く。
「それでは、始めてください」
結果から先に言おう。二回目の実験で集まった学生たちは大変大人しい子たちだった。
法学部が七人。経済学部と商学部から一名ずつ。心理学部から一名。
多分、法学部の子たちに内向的な学生が揃っていたのだろう。モニター番号九番の吉田以外ほぼ全員、画面には目も向けず、一言も発しなかった。経済学部と商学部と心理学部の学生は、自分の知り合いが一人もいない状況が居心地悪いのだろう。黙っていた。
「えーっと」
ゲーム開始から一分が経とうとした頃。モニター番号六番、心理学部の大沢が口を開いた。もじゃもじゃ頭の濃い顔立ち。きっと彼は、このままじゃ実験にならない、と気を遣ったのだろう。
「とりあえず、皆さん、誰が『犯人』だと思います?」
誰も質問には答えない。むしろ「お前誰?」みたいな顔をしていた。
沈黙。重たい。
これじゃ実験にならんな。
僕はそう判断した。手元の質問リストに目を移す。誰かに適当な質問を放り込もう。
何がいいだろうか……。よし、この「誰に投票する予定ですか?」にするか。質問相手は……と、何となく目に留まったモニター番号三番の三島にターゲットを絞る。
「モニター番号三番、三島くん」
びくりと、モニターの中で三島が跳ねる。前髪が簾みたいになっている、お洒落にはそれなりに気を遣っていそうな男子だ。
「三島くんは、誰に投票する予定ですか?」
「うえ? えーっと」
慌てている。多分ぼーっとしていたのだろう。やがて三島はきょどきょどと目線を泳がせながら答えた。
「現時点では分からないっつーか、ねぇ」
誰に対して同意を求めたのかは分からない。誰も何も答えない。
「では、モニター番号二番小森さん」
仕方がないので僕は別の人に話を振る。今度は女子。質問内容も変えよう。
「誰が犯人だと思いますか?」
ハッキリ言ってこの質問は先程の「誰に投票しますか?」と本質的には同じなのだが、僕の質問に意味を持たせると介入としての影響力が大きすぎて実験の純度が下がる。同じ意味の質問を形を変えて投げ続ける方が、研究データとしては扱いやすい。
「はい。えーっと」
小森は考えるような顔をする。
「ほら、さっき『誰が犯人か?』って聞いた彼。彼が真っ先に行動したので、怪しいかなぁ、って」
「えっ」大沢が反応する。しめた。
「僕? 僕じゃないよ」
すると小森がのんびり答える。
「えー、そうなんですかぁ?」
間延びした調子。どうやらかなりのおっとりさんのようだ。
「うーん、私は、彼が怪しいな、って思いました」
小森さんはそう、言葉を切る。僕は頷く。
「……で、その疑いを向けられた大沢くんは、どう思いますか?」
えっ、僕ですか? と彼は首を傾げる。
「誰も何もしゃべらないので……」言葉を濁す。
「でも、三島くんはさっき先生の言葉にびっくりしていましたよね。もしかしたら?」
「は?」三島が噛みつく。「俺じゃねーし」
「証拠は?」大沢が食い下がる。しかし彼も分かっているだろう。誰も自分の身の潔白は証明できないということを。
「まぁまぁ」
仲裁に入ったのはモニター番号一番の佐々木だった。手元の資料によれば……商学部四年の男子学生。
「誰も怪しむべきじゃないよ」
そう、日和見めいたことを口にする。駄目だ。緊張感が足らない。僕は焦る。
「そんなこと言ってたらゲームにならないでしょうよ」
大沢が今度は佐々木に食らいつく。いいぞ大沢。もっとやれ。
「でも、皆が報酬をもらう方法はない訳だし……」
と、佐々木が口籠る。大沢がその様子をイライラした目で見ていた。
「あー、分かった。じゃあこうしましょう」
大沢が提案する。
「それぞれ隣の人に投票しましょう。そうすれば、誰かは当たる。『犯人』には申し訳ないけど貧乏くじを引いてもらう」
なるほど、と何人かが手を打つ。僕はしまった、と思った。
その手があったか。全員で共謀して隣の人間を指名する。ぐるりと一周回るから、誰かは当たる。しかも「犯人による『犠牲者』の指名」より「『一般人』による『犯人』の指名」の方が先行する場合があるので誰も『犠牲者』にならずに済む可能性が生まれる。
『犠牲者』は機械が選定する。誰も死なない可能性があるのに誰かが死んだら……。
やばい。『犯人』が存在しないことがバレる。
介入してその手を禁ずるか? 慌てて僕はマイクに口を寄せた。
……いや、待てよ。
僕はマイクから口を離した。ストップウォッチをじっと見つめ、残り時間を確認する。後三分。たった三分だ。頬の筋肉が緩むのを感じる。多分僕は、笑っていた。画面の中では誰も何もしゃべらなかった。とことん内向的な人間が集まったようだ。
一〇分経過。
「第一投票です」
僕はそうアナウンスした。全員が画面を通してこちらを見てくる。
「お手元のキーボードから投票してください」
「……じゃあ、皆さん自分の隣の人に一票入れてください」
大沢がそうつぶやきながら手元のキーボードを操作する。
「せーの」
全員の画面をシャットダウンした。
「佐々木当真くん。脱落です」
機械が選んだのはモニター番号一番、佐々木当真だった。彼はむしろ『犠牲者』になれて安心した、という顔で僕を待っていた。目の前の画面には「あなたが『犠牲者』です」の文字。
そんな佐々木に真実の告知と口止めを実行する。機械的な会話の後、僕は自分のブースに戻る。
「さて」
画面を元に戻すと、いきなり大沢が口を開いた。
「どうです? 先生、誰か当たったでしょう?」
「いいえ」
僕はハッキリ告げた。
「誰も『犯人』は当てませんでした」
「え?」
大沢はびっくりする。
「皆さん隣の人に投票したでしょ?」
「したけど……」
これは小森。
「……でも、投票する時に思ったんだけど、隣って誰? 右? それとも左?」
「あっ」
大沢が口を覆う。
「僕は右の人に投票した」
すると小森が追撃する。
「それって大沢くんの画面から見て右だよね? 自分が映っている画面の右ってこと?」
「うっ、うん」
「先生、各自のモニターって一律の画面なんですか?」
小森の質問に僕は答える。
「いいえ。Zoomの画面がそうであるように、ユーザーごとに画面は違います。それぞれのユーザー自身が真ん中に来るようになっている。それ以外はランダムというか、特に法則性はありません」
「……そうですか」
小森が納得する。
「そもそも『隣』という言葉自体が不明確って訳ですね。私にとっての隣は、右でも左でも、他の誰かにとっての隣ではない可能性がある」
「ぐっ」
大沢は恥ずかしそうな顔になる。
そう。大沢の提案は全員が円形に並んでいる状態なら成立するのだが、今回のようにブースで仕切られて自分が誰の隣にいるのか分からない状態だと成立しないのだ。唯一の手がかりである画面も、参加者によって表示が違うので推測のしようがない。
「じゃあ、誰か『犠牲者』が出た訳だ」
三島がほくそ笑む。自分を疑った大沢が失敗したのが愉快なのだろう。
「俺は『犠牲者』じゃねーぞ。誰だ」
沈黙。佐々木はだんまりを決めることにしたらしい。まぁ、もう報酬はもらえると分かったのだから積極的にディスカッションに参加する理由はないのだ。
「ちっ、誰か何かしゃべれよ」
三島が舌打ちをする。時間だけが無情に過ぎていく。全員の利己的ポイントもそれにつれて重なっていく。
介入だな。僕は質問をする。
「モニター番号九番、吉田くん」
丸坊主の男子が……高校の野球部でもあるまいに、何で坊主かは知らないが……びくりと反応する。
「はいっ」
元気がいい。スポ根に毒されていそうで不安だが。
「誰が怪しいと思いますか?」
「はいっ、自分には分かりませんっ」
「可能性がありそうな人はいませんか?」
「はいっ、自分には分かりませんっ」
「直感でもいいんです。誰か怪しい人はいませんか?」
「はいっ、自分には分かりませんっ」
……駄目だ。こいつ馬鹿だ。
「分かりませんじゃ困ります」
思わず、そう口走る。あっ、と思ったが、もう遅い。
くそ。今の言葉は想定外の介入だ。
しまった。僕は唇を噛む。
「申し訳ありませんっ」
しかし吉田は真面目なのか、モニターに向かって頭を下げる。
「自分の頭ではどうにも……」
「さっきは誰に投票しましたか?」
気を取り直して質問を続ける。会話が活性化しないと実験も成り立たない。
「はいっ、隣の人に投票しましたっ」
「それは誰ですか?」
「分かりませんっ。何分、お互い名前も知らない状況なのでっ」
……このグループは自己紹介をするというステップを踏んでいなかったな。そんなことに今更気が付く。ため息が出る。どこまでも消極的な連中だ。
「投票した人の特徴は?」
深掘りする。こいつは質問に馬鹿正直に答えるだけで他人にパスをするということをしない。イライラする。
「はいっ、前髪が長く、鼻が潰れていて、唇が厚く……」
「……三島くんですか」
三島が反応する。
「えっ、俺?」
「はいっ、今『俺?』と言った人ですっ」
「三島くんですね」
僕が頷くと三島が吉田に嚙みついた。
「何で俺を疑ってんだよ!」
……こいつも馬鹿か。
「いえっ、隣の人に投票しろ、と言われたものでっ」
「俺はお前の隣……なのか?」
「はいっ、自分の画面では、自分の隣に三島さんがいますっ」
「えー、マジかよぉ」
画面から目を離してブースの衝立を見る三島。やっぱこいつ馬鹿だな。
「へへ。何かよろしく」
「こちらこそっ」
「お前何学部?」
「はいっ、法学部法律学科でありますっ」
「え? マジ? 頭いいじゃん!」
……本当だ。僕は手元の資料を見る。モニター番号九番。吉田達平。法学部法律学科一年。一応、エリートに分類される学科だ。
まぁ、スポ根の馬鹿ほど与えられたものをこなすのは得意だったりするしな。高校までの「お勉強」は何とかこなせる可能性はある。あるいは内部進学か。うちは私立だしな。僕は胸の内でほくそ笑むと介入を続ける。
「実験に直接関係しない会話は控えてください」
三島も吉田も黙る。僕は続ける。
「吉田くん。そろそろ一〇分が過ぎます。次は誰に投票しますか?」
「はいっ。分かりませんっ」
「……次の『犠牲者』は誰だと思いますか?」
「はいっ。分かりませんっ」
「……誰がいなくなると思いますか?」
「はいっ。分かりませんっ」
この馬鹿ぶん殴ってやろうか。
「何か手段を見つけて推測してください」
「はいっ。承知いたしましたっ」
しかしその後、吉田は口を開く気配がない。ただ馬鹿みたいにじーっと、モニターを見つめているだけである。まぁ、彼なりに観察はしているのだろうが……結果には結び付きそうにない。
「……一〇分経過しました」
僕はイライラとアナウンスした。
「五分間のインターバルです」
僕は自分のパソコンに表示される名前……脱落者の名前……を確認する。吉田じゃないことだけを祈る。あの馬鹿の顔は見ているだけで虫唾が走る。モニター越しじゃなく直接見たらきっとぶっ殺してしまうだろう。
数秒後。モニターに名前が出る。ふう、とため息をつき、僕はその人の元へ行くべく立ち上がる。モニター番号四番。名前は……。
「お疲れ様でした」
実験は散々だった。ディスカッションは活性化しない。全員ほぼ無言。吉田の馬鹿は爛々とした目で画面を見ているだけ。利己的ポイントも全員一律で上がっていくので誰かが突出したりしない。これじゃデータとして使い物にならない。
「報酬はこちらです」
全員に五〇〇〇円を手渡す。何だかすごく損をした気分だ。
参加者たちが帰っていく。全員がセミナーハウスを出た後、僕は各ブースをアルコールティッシュで拭く。掃除をし、各ブースのパソコンをシャットダウンする。
真っ暗になった画面に、僕が映る。虚ろな目。沈んだ表情。
気づけば、つぶやいていた。
これじゃ、駄目だ……。僕の研究は……。僕の准教授としての地位は……。
今度ははっきり、口にする。
これじゃ、駄目だ。
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