第18話 四回目の実験と、親友。

 三回目の実験は見物だった! 

 あの後、八番の復讐が始まった。八番は場をかき混ぜまくった。極めつけのセリフをいくつか抜粋しよう。


「ふうん。あんたそんなことで人を信じるんだ。馬っ鹿ねぇ」

「いいの? あんたのこと蹴落とそうとしてるのかもよ?」

「あのね、私はもう誰が『犯人』か分かってる。誰かって? ただで教えるの?」


 何とあの八番、自分は『犠牲者』になって五〇〇〇円の報酬額が確定したにもかかわらず、他の参加者から金を巻き上げようとしたのだ! 


 彼女は一回目の実験の時の遠藤や、二回目の実験の時の佐々木のように無気力にはならなかった。むしろ自分の『犠牲者』という立場を隠して、徹底的に行動し、場を攪乱することで自分の儲けを最大にした。


 傑作だったのは実験終わりである。僕は実験概要をまとめたレジュメを持って玄関ホールに向かったのだが、その先で待っていたのは……八番と六番による大喧嘩だった。


「いおりちゃん、ひどい!」

 六番はほとんど泣きそうだった。

「みんなのことを騙して、嘘ついて、お金を奪うだなんて……」


 八番は『犠牲者』であることを隠し、一回目の時の三浦のように情報を切り売りすることで他の参加者から徹底的に金を巻き上げていた……その額、何と五〇〇〇円。元の報酬五〇〇〇円と合わせて時給一〇〇〇〇円になる。


 しかし八番は悪びれない。

「は? そういうゲームでしょ? あんただって私から情報買ったじゃん」


 二巡目のターン。八番は六番にプレッシャーをかけることで取引を成立させていた。それも、一口一〇〇〇円というぼったくりみたいな値段で。六番は言葉を返せない。


「ほら、払ってよ。一〇〇〇円」

 八番は掌を突きつける。この頃になってようやく六番が口を開く。


「あれは……いおりちゃんを信用したからじゃん……」

「は? 人のこと陥れておいて何その言い草は」


「何のこと?」六番は首を傾げる。するとその様子を見た八番がイライラと返した。

「あんた、最初の投票で私に票入れたんでしょうがっ。私に取り入っておきながら、私を『犯人』として告発するなんて、とんだ性悪女……」


「何で投票結果を知っているの?」

 六番が純粋に訊ねる。しかし八番は怯まない。

「そんなの何だっていいでしょ。私はあんたが裏切ったことを知ってる」


「あれはいおりちゃんが私を潰そうとしたから……」

「正当防衛だって言いたい? だったらいい。金輪際私にかかわらないで」


 半ばひったくるようにして八番は六番から金を奪った。六番は……これも傑作なのだが……絶望したような表情になった。


 八番はずば抜けて高い利己的ポイントを記録した。今までの実験の中で一番高い数値だ! あの、あの賢い、たくさん金を稼いだ、一回目の実験の三浦よりも高い数値を記録した! 僕は大変満足した。そしてコツが分かった。


 介入だ。より価値のあるデータを手に入れるためには、介入をしっかり行うべきだ。


 だから、八月最終週。四回目の実験の時、僕はすぐさま口を挟んだ。


「この中の誰かが、あなたの報酬を剥奪できます」


 ごくり、と全員が固唾を呑んだ。ルールは事前に説明した。かなり細かく。誰かが自分を狙っていることがハッキリ分かるように。


 僕はモニターを見渡して、ある女の子に白羽の矢を立てた。大人しそうな子。椅子の上にちょこんと座っている彼女に僕は声をかけた。


「モニター番号三番。あなたは誰が怪しいと思いますか?」


 モニター番号三番……心理学部一年の、白川いずみは……おどおどした様子で答えた。


「え、えと、まだ現時点じゃ分からないっていうか、その……」

「考えてください」僕は思考を促した。


「誰かの挙動が不審じゃありませんでしたか? 誰かが目を泳がせたり、言い淀んだりしませんでしたか? あなたに取り入ろうとしたり、あなたの信用を買おうとしませんでしたか?」


「え、そ、そんな……」

 言葉に困った三番は、縋るような様子でモニターを見つめた。

「え、えーっと。エーコ……どう思う?」


 エーコ。僕は手元の資料を見た。エーコ、エーコ……。

 おそらく、モニター番号五番の女子学生だ。名前は中井英子。英子だからエーコか。ふん、つまらん。手元の資料によれば、心理学部一年。なるほどな。僕の仮説は裏付けられた。三番と同じ学部、同じ学年だ。それに三番とずいぶん親し気。おそらく学友か……下の名前で呼んでいるということは親友、の可能性もある。


 五番は首を傾げる。やはりエーコはお前か。僕は彼女を睨む。

「うーん。でも、訊かれているのはいずみんだし……」

「お願い。エーコの意見も聞かせてよ」


 すると五番は意を決したような顔になった。

「じゃあ……」


「そのいずみんが『犯人』である可能性もありますよ」


 僕は割り込んだ。


「迂闊に情報を公開していいんですか?」


「えっ」五番が口に手を当てる。それから気づいたような顔になる。

「そ、そっか。誰が『犯人』か分からないんだもんね……」


 すると三番が悲痛な面持ちになった。

「私は『犯人』じゃないよ」

 たったその一言で、ほとんど泣きそうである。


 彼女は必死に考えるような顔になった。小さくてかわいらしい顔を傾けて考えている。

「画面を見せられないから、私の言うことは信用できないかもだけど……あ、そうだ!」


 三番が足元に手を伸ばす。おそらくだが、鞄に手を突っ込んだ。

「スマホで私のモニター撮って見せるね! そしたら、私が『犯人』じゃないって……」


「違反行為です」

 僕は冷たく告げた。

「報酬没収の対象になります。即退場です」


 この娘は危険だ。僕はそう思った。この娘は人を助けるためなら、人を安心させるためなら何でもする……僕の本能がハッキリと、危険信号を出した。また二回目の実験みたいになっていいのか? 失敗して、准教授の立場を失っていいのか? 駄目だろう。僕は口を開く。


「モニター番号三番」

 こいつを潰そう。僕はそう決断した。彼女はモニターの前でスマホを持ったままおどおどしていた。ふん。間抜けな女だ。


 僕はその間抜けに向かって口を開いた。

「あなたは五〇〇〇円があったら何がしたいですか?」


 三番は落ち着かない様子で画面を見た。僕はその不安そうな顔に向かって続けた。


「少額とは言え、五〇〇〇円あったら色々できると思いませんか? 例えば、お母さんに花束を買うことができます。お父さんにビールを買うこともできます。兄弟と遊ぶゲームを買う足しにもできます。友達と食事にも行けますし、洋服や小物を買うこともできます。好きな人とデートに行けるかもしれない」


「そ、そうですね……」


「欲しくないですか? たった一時間、その椅子に座り続けているだけで手に入ります。条件は、椅子に座っていること、なんです。脱落したらそうはいかない」


「え、えと……」


「もらえるのは選ばれた人間だけです」

 僕は囁いた。

「この中で七人。それだけです。でも逆に考えたら、七割に残ればいい。どうです? 下手な試験より簡単だと思いませんか?」


「そ、そうですね」

 三番は姿勢を正した。

「それに、私がちゃんとゲームに参加しないと、実験になりませんもんね」


「そうです。その通り」

 僕は続けて囁いた。

「誰が怪しいと思いますか? あなたを狙っているのは誰?」


「うーんと、えーっと」

「悩んでいる暇はありません」

 僕は冷たく告げた。

「そうしている間に、敵は情報を集めるかもしれない。あなたを蹴落とすかもしれない。決断するのは今です。今。誰が『犯人』だと思うか決めてください」


「え、今ですか……」

 三番は困った顔をした。

「一〇分に一回投票があるってさっき……」


「ほう。僕のことも信じる」

 僕は冷笑した。

「実験者は僕です。この実験を自由にできるのは僕なのです。あなたに本当の情報を提示すると思いますか? 疑ってはみませんでしたか?」


 実際、僕はこいつらに報酬体系やゲームの真相を隠しているのだ。迂闊に信用する方がおかしい。三番はそのことに気づいていないんだ。僕はほくそ笑んだ。


「え、そんな。先生を疑うんですか?」

 三番は悲しそうな顔をする。すると五番が口を挟んだ。


「ちょっとこの実験おかしくない?」

 何だと? 僕は五番の画面を睨んだ。この実験がおかしいだと? 僕が、心理学屋の僕が、准教授の僕が考えた実験だぞ。


 五番はもごもごと続ける。

「実験法の講義で習いましたけど、過度な介入は実験の結果を歪めるって……」


「五番はああ言ってます」

 三番に向かって僕は告げた。

「もしかしたら、『犯人』かもしれませんよ?」


「え、エーコが……?」

 三番は困惑した面持ちになった。

「そんな、エーコが?」


「そのエーコは実験を中止させようとしています」

 三番に、囁く。

「あなたを蹴落とそうとしているのかもしれない」


「そんな訳ないでしょ!」

 五番が大声を上げる。

「やっぱ変だよ! 実験は途中で抜けてもいいって実験法の講義で習った! 被験者の権利だって! いずみん、抜けよう!」


「抜けたら報酬はもらえません」

 僕は三番に告げた。

「ほらね、五番はあなたからお金を奪おうとしている」


「え、え」

 三番はおろおろし始めた。

「えと、えと」


「一〇分経過」

 ストップウォッチは動いていない。それは僕の机の上に無造作に置かれている。僕は三番に決断を迫った。

「さぁ、誰が怪しいか決めてください」


「え、そんな……もう一〇分?」

 四回目の実験では、画面下のタスクバーを非表示にしていた……つまり、時間が分かるのは僕だけ、ということだ。


「ええ、一〇分です」

 僕は強い口調で告げた。

「さぁ、誰が怪しいですか? 誰があなたを蹴落とそうとしている? 誰があなたを傷つけようとしている?」


「そんな、そんな」

「いずみん! 抜けよう!」

「そのエーコが『犯人』かもしれない」


「う、う、そんな」


「いずみん!」


「さぁ! 早く……!」


「でも、でも、私……誰からも、もちろんエーコからも、お金を奪いたくないし……そんな……どうしよう。どうしたら……」


「やられてもいいんですか? 報酬を没収されてもお友達を信じますか? やられる前にやり返さないと、あなたの報酬は、あなたのお金は……」


「おい」


 不意に背後から声がした。僕は一瞬、驚いて飛び上がった。何だよ、今、いいところだったのに……。


 そう思って、僕は振り返った。

 視線の先で、スターバックスの紙袋が目に入った。

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