X15 少年は贅沢する


 とある日の夕食時。


「26番テーブルへどうぞー!」


 俺は理華と二人で、少しぶりに回転寿司へ来ていた。

 もともと出かけていた理華から、メッセージで誘われたのである。


 決して経済的な食事とはいえないが、満足度に対しての価格はかなり安いのが、回転寿司のいいところだ。

 たまに無性に食いたくなるのも憎い。


 店員に案内され、店の奥の方に位置するテーブルへ。


 時間が時間だけに、店内はかなり賑わっていた。

 が、それでも待ち時間なしで入れたのはかなりラッキーだったと言える。


 ところで。


「……ふむ」


「ん、どうしたんですか、廉さん」


「いや、この店のテーブル席に座るの、初めてだなと思って」


「えぇ……」


 俺の対面に腰を下ろしながら、理華は驚いた、というか、引いているような顔をした。

 そんな目で見られる筋合いはないぞ。


「いつもひとりで来てたんだから、仕方ないだろ」


「夏目さんと一緒に来たりはしないんですか」


「ないな。恭弥が相手なら、行くのは大抵ファミレスとか、ファストフードだし」


「それはまあ、たしかにそうなのかもしれませんが」


 言いながら、理華はコップを二つ取って、お茶の粉を両方に入れた。

 その間に、俺は二人分のおしぼりを出して、片方を理華に渡す。


「ありがとうございます」


「おう。そっちもありがとな」


「粉は二杯でよかったですか?」


「実は一杯派だ。二杯でも全然いいけどな」


「そうでしたか。では、次からはそうしますね」


「うん。理華は?」


「……私も一杯派です」


「お、おお」


 それはまた、相変わらずというかなんというか。


「なんだか、笑ってしまいますね。最初から、信じて一杯にしておけばよかったです」


「まあいいんじゃないか。どうせ、また一緒に来るだろうし」


 俺がそう言うと、理華は薄っすらと頬を緩めて、嬉しそうに笑った。

 その顔を見ていると、俺まで釣られて頬が緩んでしまう。

 それを誤魔化すように、俺はコップに口をつけて、まだ熱いお茶をちびちびと飲んだ。


「あ、エンガワが来ました」


「好きだよな、エンガワ」


「好きですよ。おいしいです。廉さんはまた最初はマグロですか」


「いや、今日は甘エビの気分だ」


「私も欲しいです、甘エビ。注文してしまいましょう」


 そんな会話をしながら、俺たちはのんびりと寿司を食った。

 さすがにこれだけ種類があると、ネタの好みもわりとバラけて、けれどもそれなりに一致した。


 こうしていると、自然と俺の頭の中には、初めて理華と学校外で遭遇した日のことが、思い出されてくるのだった。


「あの日も、このお店でしたね」


 理華も同じことを思っていたのか、お茶をひとくち飲んでから、ポツリと言った。


「だな。理華が俺をつけて来たんだっけか」


「違いますよ。廉さんが待ち伏せしていたんです」


 お互いに、冗談だとわかっている応酬。

 だからこそ反論することもなく、俺たちはまた寿司を口に入れた。


「そういえば、そんな話もしたなぁ。あれはつけ麺屋だったけど」


「驚きましたよ。本当にどこにでもいるんですから、廉さん」


「こっちのセリフだ。でも……まあ、正直ちょっと嬉しかった」


「……そうですね。私も、そうかもしれません」


 理解者を見つけたような気分だった。


 のちに友達になって、恋人にまでなるなんて、もちろん想像もしていなかった。

 けれど、俺はたしかにあの時、同類に会えたような気がしていたんだ。


 そしてそれは、きっと理華も同じだったのだろう。


「あ、見てください廉さん、これを」


 ふと、理華が注文用のタッチパネルを指差しながら言った。

 どことなく、頬が紅潮しているようにも見える。


「国産うなぎの蒲焼……一貫350円です……!」


「お、おぉ……」


 画面に映っているのは、シャリの上に茶色く輝くうなぎがずんっと鎮座した、今日の特選ネタの写真だった。


「なんて贅沢なネタなんだ……」


「……でも、おいしそうです」


「いや、待て理華。350円だぞ? 普通の皿が二貫で100円なんだから、こいつは一貫でほかの寿司七貫分の値段ってことだ……」


「わ、分かっています……! ですが……」


 俺の指摘にも、理華は震える指を引っ込めなかった。

 しかも、ゆっくりと注文ボタンに近づいている気さえする。


 まさか、こいつ……!


「た、頼むのか……?」


「だ、だって……! ……今日の特選ですよ」


「しかし、350円なんて大金を……!」


「……ここで食べなければ、きっと私は後悔します……! 明日の夕飯を、ちょっと節約すれば……!」


「そ、そうか……」


 どうやら、理華にもそれ相応の覚悟があるらしい。

 ならば、もう滅多なことは言うまい。

 それに、俺にだって食いたい気持ちはよくわかるのだ。


「……」


「で、では……」


 理華がパネルに触れると、ディスプレイが注文数を選ぶ画面に切り替わる。

 ゴクリと唾を飲み込んでから、理華の指が『注文確定』のボタンに触れて……。


「ま、待て!」


「ほあっ! な、なんですか!」


 ……。


「…………俺も食う」


「……」


 理華は目を見開いていた。

 が、そのまま深くうなずき、細い指でスッと注文数を『2』に変える。


 少しだけ俺と顔を見合わせてから、理華は今度こそ、確定ボタンを押した。


「……」


「……」


「ち、注文してしまった……」


「……もう引き返せません。こうなってしまった以上は、とにかく大事に食べましょう」


「そ、そうだな……」


 俺と理華は同時にため息をついて、それからゆっくりお茶を飲んだ。

 うなぎの前に気持ちを落ち着けるのと同時に、できるだけ口の中をフラットな状態にしておきたかったのだ。


 しばらくすると、自分たちの注文品だとわかる皿に載って、二つのうなぎ寿司がレーンを流れてきた。

 理華と手分けしてテーブルに移動させ、一つずつ自分たちの前に並べる。


 実物のうなぎは、画面で見るのと遜色ないどころか、ますます堂々とした輝きを放っていた。

 その威厳に、思わず箸を持つ手に力が入る。


「……で、では、さっそく」


「お、おう……」


 控えめに甘だれをかけて、箸で掴む。

 大事に、とは言ったものの、こういうのは大抵ひと口で食った方がうまい。

 理華とも意見が一致して、俺たちはうなぎを一息に口に入れた。


「……」


「……」


 香りや舌触りを確かめながら、じっくりと咀嚼する。

 うなぎの甘味と旨味が口の中に広がる。

 それでいて、時折覗くシャリの爽やかさが、うなぎのインパクトを程よく和らげているようだった。


 正直言って……これは。


「うまい……!」


「お……おいしいです……!」


 理華の目が、ウルウルとうるんでいた。

 たぶん、俺の目もそうなっていることだろう。

 そう思えてしまうほど、あまりにもうまい。

 さすが特選ネタ、350円だ……。


 噛みしめるように後味を楽しんでから、俺たちはまた同時にお茶を飲んだ。

 心なしか、お茶までちょっとうまくなったような気がする。

 ただの回転寿司のネタなのに、このうまさはどういうことだ、いったい。


「ふぅ……」


「……いい時間だったな」


「……そうですね。名残惜しいです」


 今のうなぎで、食欲的にも金額的にも満足していた俺は、皿を重ねてテーブルの隅に移動させた。

 理華も箸を置いて、自分の皿を数えている。


「帰るか、そろそろ」


「はい。ご馳走様でした」


「ご馳走様でした」


 学生らしく別々に会計を終わらせて、俺たちは店を出た。

 生温かい夜風が顔を撫でていく。


 すっかり暗くなっていた夜道を、二人で並んで歩いた。

 マンションまでは、だいたい15分ほどだ。


「廉さん」


「ん」


 理華の合図で、緩く手を繋ぐ。

 気温のせいもあってか、理華の手はほんのりと熱かった。


「いいですね、おいしいものを二人で食べるのも」


「そうだな。なんだかんだ言って」


「……覚えていますか。以前つけ麺屋さんで、私が言ったこと」


「……まあ」


 俺が頷くと、理華は少しだけ、手を握る力を強めたようだった。


「廉さんと一緒だと、やっぱりいつもより、おいしく感じるような気がします」


「……そうか」


「むぅ……。そうか、じゃないでしょう」


「ああはいはい、わかってるよ。そうだな」


「もうっ」


 ふんっとそっぽを向くように、理華は俺から顔をそらす。

 けれど、繋いだ手はしっかり握られていて、俺はその手を引っ張るように、自分の方に引き寄せた。


「また行こうな、外食」


「行きます」




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