X14 少年は自覚する


 恋は盲目、という言葉がある。


「ほら、チケット買って来たぞ」


「ありがとうございます、廉さん」


 それから、痘痕あばたえくぼとか、惚れた欲目という言葉もある。


「開場までは、まだしばらく時間がありますね」


「だな」


 この日、俺たちは二人で映画を見に来ていた。

 今回は少し趣向を変えて、評判のいいアクション映画だ。


 俺も理華も好みのジャンルではないのだが、たまにはこういうチャレンジもいいだろう。

 もしかすると、思わぬ出会いがあったり、知見が広がったりするかもしれないからな。


 俺たちはシアター開場までの時間を、ベンチで待つことにした。

 隣り合わせに座って、高いところに設置されたモニターに流れる、公開予定の映画の予告編をぼんやりと見る。


『大人気女優、矢野やの凉子りょうこ主演!』


 そんな得意げな声とともに、モニターには華やかな顔立ちをした若い女が映し出される。

 大人気、らしいのだが、まったく見覚えがない。


 まあ、人の顔を覚えるのは俺の特に苦手とするところだからな。


「綺麗な方ですね」


 ふと、理華がそんなことを言った。


「そうだな」


「演技も上手だということで、最近よくテレビにも出ていますし。たしか、十年に一人の美女だ、と話題になっていましたよ。冴月も褒めていました」


「ふぅん」


「……興味なさそうですね」


「ないなぁ」


 そもそも、そんなに美人だろうか。

 いや、もちろん整った顔だとは思うけれど、なんというかこう……いまいち惹かれない気がする。


 それに……。


「まあ廉さんが世間の話題に疎いのは、今に始まったことでもないですが」


「理華もそれなりに疎いだろ」


「廉さんよりはずいぶんマシです」


「ほとんど雛田からの受け売りのくせに」


「情報源はなんだっていいじゃないですか」


 そう言って、理華は拗ねたように口を尖らせた。

 凛々しい目がジトっと細まった横顔は、なんとも言えない美しさで……。


「……? なんですか、廉さん。ジッとこちらを見て」


「あっ……いや、べつに……」


 俺が返事をすると、理華は不思議そうにコクンと首を傾げた。


 細かった目が丸くなって、肉付きが薄いにもかかわらず柔らかそうな頬に、さらりと少しだけ髪がかかる。

 小さく開いた口からわずかに覗く白い歯が、唇の綺麗なピンク色をますます引き立てていた。


 ……やっぱり、そうだ。


「廉さんは変な人ですね。今日も」


「……」


 間違いない。


 どう見ても、例の大人気女優より、理華の方がかわいい……。


「今度は突然黙って……もうっ」


 いや、普通に考えればそんなことあるはずがない。

 なにせ、向こうは全国的に人気のある女優なんだ。

 しかも話によれば、十年に一人の美女とまで言われているらしい。


 いくら理華が美少女とはいえ、さすがにそれには負ける……と思うんだが。


「廉さん?」


「……」


 かわいいな、くそっ……。


 これが、恋は盲目というやつなのだろうか……。

 俺が理華のことを好きなせいで、実際よりも数割増しでかわいく見えているだけなのだろうか……。

 俺にそんなバカップルみたいな要素があるというのか……。


 いや、でもこれはやっぱり……。


「あ、見てください。あれはおもしろそうですよ、サスペンス風で」


「……おう、そうだな」


 今度はモニターに、洋画の予告映像が流れていた。

 ヒロイン役を演じる女優がアップで映るが、やはりその人よりも、理華の方が美人に見える。


 これは……本格的にバカになってるんじゃないだろうか、俺……。


 しかし、当然外見の評価なんて、それぞれの好みに大きく左右されるわけで。

 だからきっと、俺がおかしいとか、目が眩んでるのではなく、単に好みの問題なのだ。

 そうだ、そうに違いない。


「れーんーさん。さっきから何をボーッとしてるんですか、いつにも増して」


「……いつもはキリッとしてるだろ」


「おもしろい冗談ですね」


「こら」


 そんなツッコミを入れながらも、俺はなんとなく恥ずかしいような、いたたまれないような、妙な気分だった。


 その後、映画を見終わった俺は、帰り道で恭弥にメッセージを送ってみることにした。


『矢野涼子っていう女優、知ってるか』


『めちゃくちゃかわいいよな』


『やっぱりそうなのか』


『なんだ? あんまり好みじゃないのか? っていうか、お前がそういう話するなんて、どういう風の吹き回しだよ』


『べつに』


『また何か隠してるな? 廉のくせに!』


『うるさいな……』


『……まあでも』


『なんだよ』


『冴月の方がかわいくないか? 矢野ちゃんより』


『……なるほど』


『なるほどってなんだよ!』


『じゃあな』


『おい!』


 俺はそれっきりスマホをスリープにして、ポケットに突っ込んでやった。


 つまり、そういうことだ。


 少なくとも俺はもう、恭弥と同じくらいには、バカになっているのだ。



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