X13 リア充と笑い合う


「あっ」


「あ」


 夏休みも中盤に差し掛かった、ある日のこと。

 私は課題を進めるため、ひとりで学校に来ていました。


 特に必要があったわけではないのですが、たまにこうして環境を変えてみると、いつもよりも勉強がはかどるような気がします。

 集中力を維持するために場所を変える、というのは、どうやら一般的に見ても有効な方法のようです。


 うちの学校は、夏休みの間も図書室が開放されています。

 そこならちょうどいいだろうということで、昇降口へ向かっていたのですが。


「橘さんだ」


夏目なつめさん。こんにちは」


 校門に入ってすぐのところにある、テニスコート。

 そこから駆け出してきた夏目なつめ恭弥きょうやさんと、ばったり出くわしました。


 夏目さんは学校指定のジャージを着て、手首にリストバンドをしています。

 普段の学生服姿と比べて少し幼く見えますが、それでも爽やかさがとどまるところをしりません。


「こんにちは。どうしたんだ? 部活やってたっけ?」


「いえ。図書室で課題をしようかと」


「か、課題……」


 明るかった彼の表情から、サッと血の気が引きました。

 きっと、あまり進捗がよくないのでしょう。


「……もうけっこう終わった?」


「計画の通りには」


「……やっぱり、橘さんはしっかりしてるなぁ」


「あらかじめ量と期間がわかっているんですから、少しずつやった方が気持ち的に楽ですよ」


「ぐふっ……」


 夏目さんはなぜだか、お腹を押さえて苦しそうによろけました。


「やめてくれ……その言葉は俺に効く」


「冴月も同じようなリアクションをしていましたよ」


「あれ、そうなのか」


 すぐにけろっとして、夏目さんはあははと笑います。


 相変わらず、楽しい人です。


「夏目さんは、テニス部の練習ですか」


「うん。昼までだから、もうすぐ終わるけど」


「夏休みなのに、ご苦労様ですね」


「ありがとね。まあでも、好きでやってることだからなぁ」


「冴月も来ていますか」


「おう。呼んでくる?」


「いえ。特に用があるわけではないので」


「そっか」


 その時、テニスコートの方からわぁーっと歓声が上がりました。

 もしかすると、試合かなにかをやっているのかもしれません。


「そういえば、二人で話すの初めてかな?」


「……そう、ですね。言われてみれば」


 記憶を辿ってみても、夏目さんと二人だけで会話をしたシーンというのは、ひとつも思い浮かびませんでした。

 もうすっかり喋り慣れてしまっていたので、なんだか不思議な気分です。


「意外だなー。けっこう一緒にいた気がするけど」


「いつも、廉さんや冴月を挟んでいましたからね」


「でも、友達だよな? 俺たちって」


「はい。もちろんです」


「あはは。よかった」


 夏目さんはそう言って、柔らかい表情で笑います。


 この愛想の良さは、ぜひ廉さんにも見習ってもらいたいところです。

 まあ、愛想の良い廉さんなんて、それはもう廉さんではないような気もしますが。


「どう? 廉とは仲良くやってる?」


「……はい」


 答えにくい質問でした。


 返事はイエスですが、恥ずかしいじゃないですか、やっぱり。

 下の名前で呼び合っていることも、もうバレてしまっていますし……。


「そっか。よかったよかった。廉はいいやつだけど、不器用だからさ。心配で」


「そうですね。ただ、不器用なのは私も同じですから」


「あはは。まあ、似てるもんなぁ二人は。お互いストレスなくやれてるなら、ひとまずは安心だ」


「はい。少なくとも私は、廉さんにはすごくよくしてもらっています」


「おぉ……あの廉が。成長したなぁ……うんうん」


 夏目さんは少しおどけたように、けれど心底嬉しそうな声で言いました。


「ありがとね、橘さん。あいつを見つけてくれて」


 気がつけば、夏目さんの口調はいつになく穏やかなものになっていました。


「橘さんがいなかったら、あいつはきっとまだ、いろんなことに後ろ向きなままだったろうからさ」


「……それは」


「ホントにありがとう。あいつが良い方に変わったのは、橘さんのおかげだ」


 彼の大きくて活力のある目が、優しく細まるのがわかりました。


 廉さんの友達。

 誰とも積極的に関わろうとしていなかった彼と、唯一親友でいた人。


「……それは、こちらのセリフです」


「えっ?」


「……ずっと廉さんの側にいてくださって、本当にありがとうございました。夏目さんのおかげで、彼は……いえ、私たちは」


 なんと言えばいいのかわからなくて、私はそこで言葉を切ってしまいました。


 ただ、夏目さんに感謝の気持ちを伝えたくて。

 廉さんを一人にしないでいてくれた彼に、お礼が言いたくて。


「……ありがとうございます」


「……廉は幸せ者だな」


「えっ……」


 夏目さんはいつのまにか、満面の笑みで私を見ていました。


「橘さんと、それから俺と。こんなにいい彼女と、親友に恵まれてさ。ふははは!」


「……ふふ。そうですね」


 私たちは二人して、向かい合ったままクスクス笑いました。

 はたから見たら、きっと不気味な光景だったと思います。

 ですが、そんなことはべつに、私たちにはどうでもいいことでした。


「贅沢だよなー」


「はい。贅沢です」


「よし、今度メシを奢らせよう」


「いいですね。ご一緒します」


「おっ! なら冴月も誘って、ダブルデートしよう!」


「ダブルデート……ですか」


「おう! 絶対楽しいぞ!」


「……そうですね。廉さんが嫌がりそうですが」


「俺が無理やり連れ出すから、だいじょぶだいじょぶ」


「それなら、お任せしますね」


「よっしゃ!」


 夏目さんは本当に嬉しそうに、ニカっと笑いました。


 話しているこちらまで笑顔になってしまうのは、他の人にはない、彼のすごいところなのだと思います。


「夏目ー! 片付け手伝えー!」


「おっと」


 突然テニスコートの方から呼びかけがあり、夏目さんがそちらを振り返りました。

 どうやら、お喋りしすぎてしまったようですね。


「行かなきゃ。じゃ、またね橘さん」


「はい、さようなら。冴月によろしく言っておいてください」


「おっけー」


 ひらひらと手を振って、夏目さんはテニスコートへ戻って行きました。


 彼がどうして、廉さんと友達でいられるのか。

 それから、どうして冴月が彼を選んだのか。


 私にはその理由が、改めてよくわかったような気がしました。




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