X06 少年の隠しごと


「……ねぇ、楠葉くん」


 全ての冊子を組み終わり、あとはホッチキス留めするだけ。

 そこまで進んだ時、佐矢野がまた口を開いた。

 

「……どうして人は、フラれてもその人のこと、好きじゃなくならないんだろうね」


 けれど今度の佐矢野の言葉には、それまでと違ってどこか神妙で、悲しげな雰囲気があるような気がした。

 馬鹿で鈍い俺は、その質問にもなにも、答えることができない。


「好きじゃなくなれば……。いっそ嫌いにでもなれたら、悲しくないかもしれないのに」


「……」


「フラれてもまだ好きで、諦めきれなくて、振り向いて欲しくてもさ。振り向かせるために頑張ったら、横取りだとか、卑怯だとか言われちゃうんだよ? だからこうして、バレないところでこっそり、ちょっとだけ頑張ることしかできないんだよ? その人が、完全に誰かのものになったわけでもないのに。ただ今の間だけ、偶然誰かと両想いになってるって、それだけなのに」


 佐矢野の声は震えていた。

 俺はそれに気付かないようにして、効率もなにもないような手際でホッチキスを留めていった。

 佐矢野も、手は止めなかった。


 俺は、前に理華が言っていたことを思い出していた。


 俺と理華の関係は、誰かの失恋の上に成り立っている。


 その言葉の本当の意味が、今初めてわかったような気がした。


「……」


「……あーあ。もう、最悪。私らしくないね、ウジウジしちゃって」


 佐矢野はここへ来た時と同じように、腕をぐっと上方に伸ばしながら言った。

 声音は明るかったけれど、少しだけ投げやりな響きがあった。


「……ごめんね楠葉くん。結局私、こうして楠葉くんに構ってもらおうとしてるだけだからさ。……ホント、卑怯だし、ダサいし、嫌な女だ」


「……佐矢野」


「でも、もう終わりにする。もちろん楠葉くんのこと、嫌いになれるわけじゃないけど……もう変なことも、ウザいことも言わない」


 佐矢野は、ふぅっと深く息を吐いた。

 そのまま両手で自分の頬をペチペチと叩き、「はい、切り替え!」と言って首を振る。


 佐矢野はそれから、出来上がった冊子をトントンと揃えて、俺に渡した。


「これ、先生に渡しといて。今までの貸しがあるんだから、それくらいいいでしょ?」


「あ、ああ……。それはもちろん」


「ありがと。じゃあ、お先にー」


 言って、佐矢野はカバンを肩に掛けてから、教室のドアを開けた。

 

「佐矢野」


 今にも出て行こうとするその背中に、俺はなぜだか声を掛けてしまっていた。


「……なに?」


「……佐矢野は、すごいと思う」


 俺は、頭の中を必死に整理していった。


 思っていることを、不足なく伝えたくて。

 出来るだけ正確に、俺の考えが伝わって欲しくて。


「俺は理華が好きだから、告白されても、予約されても、きっと佐矢野の気持ちには答えられない。でも佐矢野のこと、いいやつだと思うし、本当にすごいやつだとも思う。もし佐矢野の好きな相手が俺じゃなくて、今こうして、失恋したお前が目の前にいたとしたら。もしそうだったら……俺は佐矢野に言ってやりたい」


 佐矢野はこちらを向かない。

 ただドアに手をかけたまま、相槌も打たず、黙って立っている。


「きっと、佐矢野を選ばなかったそいつはすごく後悔する。それからいつか、きっとお前の良さをわかってくれる、見る目のあるやつが現れる。……それは俺じゃないけど、でも、お前は絶対に、いい恋をすると思う」


 そこまで言って、俺は見られてもいないのに、佐矢野の背中から顔を背けた。

 頭の中が熱くて、まるでのぼせているみたいだった。


 佐矢野をフッた俺には、こんなことを言う資格はないのかもしれない。

 失礼で不誠実だと、思わせぶりだと言われるのかもしれない。


 だけど、それでもなんとかして伝えたかった。


 佐矢野みたいに強くて、そしてまっすぐなやつなら、きっとこれからなんとでもなる。

 俺なんかよりもっとまともで、もっとめんどくさくないやつと一緒に、幸せになれるはずだ。


「……あーあ」


「えっ……」


 佐矢野が、くるりとこちらを向いた。


「なにそれ? せっかくこのまま、ちょっとはマシな顔で帰れると思ったのにさ」


「……」


「台無しじゃん、ホント。そんなこと言う楠葉くんも、それで喜んでる私も、馬鹿みたい。嫌いになりたいって言ってるのに、たぶんますます引きずるよ、私」


 そう言った佐矢野の顔は、言葉とは裏腹に、どこかすっきりしているように見えた。

 少しだけ潤んだ瞳が細まって、初めて俺に話しかけてきた時と同じ、リア充っぽい笑顔を作っていた。


「しかも、ちょっと惚気のろけ入ってたしさー。そんなの、もう諦めるしかないじゃん。あーあ」


「いや、まあ……それは、なんというか」


「いいよいいよ。もう、諦めるから。正直ますます楠葉くんが惜しくなっちゃったけど、でも、ちゃんと諦める」


 佐矢野はサイドポニーの髪を揺らして、またこちらに背を向けた。

 それから肩をガクンと落とすように、ひとつ息を吐く。


「諦めるけど、好きじゃなくなったわけじゃないんだから、あんまり優しくしないでよね。いい? でも、保健委員の仕事はちゃんとすること」


「……ああ、わかってるよ」


「……ふんっ。じゃあ、バイバイ。またね」


「おう。また、明日な」


「……うん」


 そうして、佐矢野は帰っていった。


 俺は約束通り、冊子の束を担任に届けた。

 どうやら、コピーを担当した新任教師がソート機能のことを知らなかったらしい。

 次からはこんなことがないよう、くれぐれも気をつけてほしいもんだ。


 ところで。


「あ」


「あれ、廉さん」


 帰り道、用を終えたらしい理華と一緒になった。

 家までのまっすぐな道を、二人で並んで歩く。


「遅かったですね。何かしていたんですか?」


「え……いや、まあべつに」


「……なんだか様子が変ですね」


「そ、そんなことないって……」


 理華に話してもいいことはなさそうなので、今回の件は伏せておくことにする。

 もちろん申し訳なさはあるが、なんでも話せばいいというものでもないだろう。


 だからまあ、せめてその償いと、今の気持ちの表れとして。


「……理華」


「はい、なんですか?」


「好きだよ」


「ほあっ」


 ちゃんと言葉にしておこうと、俺は柄にもなく思ったのだった


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