X05 少年は口説かれる


 退屈だった六限が終わり、終業のチャイムが鳴る。

 俺はあくびをしながら立ち上がって、カバンに荷物を詰めていった。


 帰って本の続きでも読もう。

 理華は須佐美と用があるらしいので、今日は一人で下校だ。


「あ、ちょっと頼みたいことがあるから、保健委員だけ残ってくれるかー!」


 そんな担任教師の声に、俺は思わず顔を上げた。

 ガッツリ担任と目が合う。

 渋々教卓へ行くと、別方向から同じ保健委員の佐矢野さやのもやって来た。


 佐矢野といえば……いや、やめとこう。

 なんとなく、思い出すの気が引けるし。


 それにしても、なんなんだ仕事って……。


「もうすぐ夏休みだからな。配布予定の冊子を作って欲しいんだよ。もうページはクラス全員分刷ってあるから、まとめてホッチキスしておいてくれ」


 担任のそんな話を聴きながら、俺たちは視聴覚室まで連れて行かれた。

 並べられた机の上に、紙の束が大量に並んでいる。


 おいおい、思ってたより面倒なんじゃないか、これ……。


「40人分、20枚ずつあるからな。順番に重ねて、表紙をつけてホッチキスしてくれればいい」


 担任はそれだけ言うと、「じゃあよろしく」と残して去っていった。

 簡単に言ってくれるが、それなりに時間がかかりそうな作業だ。


 くそっ、ついてないな……。


「んーっ。なんでよりによって保健委員なんだろうね」


 佐矢野は身体を伸ばしながら、置いてある紙の束の一つを覗き込んだ。


「うーんと、『夏休み中の生活習慣について』……ああ、そういうことね」


 なるほど、どうやら資料の内容が、健康に関することのようだ。

 それで保健委員にうまく押し付けられた、という感じらしい。


 ただ、俺には一つ、気になっていることがあった。


「普通、こういうのって順番通りにコピーされて出てくるんじゃないのか? コピー機側にそういう機能があったろ」


 たしかソート機能といったか。

 あれを使えば、こんな面倒な作業はしなくて済むはずなんだが。


「へぇ、そうなの? 私コピー機なんて、ちゃんと使ったことないや」


「まあ、古い機種だとか、コピーした人間がその機能を知らなかったとか、そういう可能性もあるけどな」


「えぇー。じゃあ私たち働き損じゃん」


「あくまで可能性の話だ。こうなった以上は、言われた通りやるしかない」


 俺はページ順に並んだ紙を一束掴み、仕分け作業に入った。

 佐矢野も俺と同じように、紙を並べていく。

 ソート機能については、完成したものを担任に渡すときに指摘しておけばいいだろう。


 それからは二人とも大量の紙に集中し、黙々とした作業が始まる……と、思っていたのだが。


「でもよかった、今回は楠葉くんも手伝ってくれて。こんなの一人じゃぜったい無理」


 佐矢野は気軽そうに、そんな話題を出した。

 イメージ通りと言えばそうだが、どうやらできるだけ早く終わらせる、というタイプではないらしい。


「……いや、悪かったよ、その節は」


 そういえば、以前は委員の仕事を、全部佐矢野が一人でやってくれていたという話だった。

 口ぶりから察するに、こういう仕事は初めてのようだが、やはり申し訳ない気持ちになる。


「友達になっといて正解だよね、いろんな意味で」


「なんだよ、いろんな意味って」


「えぇー、それは秘密」


 意味はよくわからないが、まああまり気にしないようにしよう。

 そもそもとある一件のせいで、やっぱり佐矢野と二人きりになるのは気まずいのである。


「……」


「……」


「楠葉くんさぁ」


「……なんだよ」


 手を動かしながら声を掛けてくる佐矢野。

 嫌な予感がして、思わず身構えてしまう。


「彼女さんとはどうなの?」


「……」


 まさかの質問に俺が固まっていると、佐矢野は顔をこちらに向けてニンマリと笑った。


 嬉しくない展開になってしまったもんだ……。


「なに? べつにいいじゃん聞いたって。もうわかってるんだし」


「い、いや……まあ、そうかもしれないけど」


「あーあ、いいなぁ橘さん。楠葉くんと付き合えて」


「……」


 額に変な汗が滲む。

 佐矢野の口調はあくまで明るいが、話している内容が怖過ぎた。


 返答に困るってレベルじゃないぞ……。


「まあでも、可愛いもんねー橘さん。私もけっこうイケてると思うけど、さすがにあの子には負けるもん」


「……」


「ねぇ」


「なっ……なんでしょう」


「もし橘さんとうまくいかなくなったら、すぐに私に言ってね? 次、予約しとくから」


「えぇ……」


 なんなんだ、予約って……。

 俺が知らないだけで、リア充の世界にはそんな制度があるのだろうか……。


「私はべつに橘さんと付き合ったまま、二番目の女にしてくれてもいいんだけどね。たぶん、それは橘さんが怒るだろうし」


「ば、馬鹿なこと言うなよ……」


「馬鹿じゃないもん。恋愛にちゃんとしたルールなんてないんだし、まだ好きなんだからしょうがないじゃん」


 佐矢野は、今度は俺の方を見ないで言った。

 俺は気まずさと、そもそもの恋愛経験値が低すぎるせいで、なにも言えなかった。


 というか、なんて答えるのが正解なんだよ、これ……。

 恭弥や須佐美なら、こんな場面もあっさり乗り越えてしまうのだろうか……。


 それから、俺たちはしばらく黙って作業を進めた。

 慣れてくると手際もよくなり、完了の目処めどが立ってくる。


 早く終わらせて逃げよう……。

 なんとなく、身の危険を感じるような気がするし……。


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