X04 彼と彼女のなんでもない日


 その日、私は廉さんの部屋にお邪魔して、二人で夕飯を食べていました。


「うーん……やっぱりうまい」


「よかった。ありがとうございます」


 今日のメニューは新作、『キャベツたっぷり親子丼』でした。

 廉さんは放っておくと偏ったものしか食べないので、いかに野菜を摂らせるかというのが重要になってきます。

 親子丼は廉さんの好きな料理なので、そこにキャベツを忍ばせることにしたのですが、どうやら好評だったようです。


「キャベツが無かったらもっとうまいんじゃないか?」


「こら。それじゃあ意味がないでしょう」


 まったく……。


 食事が終わり、いつものように廉さんが片付けを担当してくれます。

 廉さんは私が料理をすることにずいぶん負い目があるようで、料理以外のことはほとんど受け持ってくれています。

 片付け以外にも、飲み物を用意したり、お箸や調味料などを準備したり、たまに食後のデザートを買っておいてくれたりもします。


 そんなに気を使わなくてもいいのですが、廉さんの思いやりが嬉しいのも本当のことなので、今のままでもいいような気もするのでした。


 キッチンの方から、廉さんが食器を洗っている音がします。

 その音をしばらく聞いていると、廉さんはあくびをしながらリビングに戻ってきました。


「ありがとうございます」


「いいよ、料理してもらってるから」


 言いながら、廉さんは私の隣に腰を下ろしました。

 ふたりで並んで、ぼんやりとテレビを見ます。

 めぼしい番組は特にやっていないので、本当に眺めるだけという感じでした。


「んっ」


 突然、廉さんが私の頭を撫でました。

 照れ臭そうな表情で、でもうっすら笑って、ゆっくりと。


 最近の廉さんは、本当に少しずつ、こういったスキンシップが増えてきていました。

 なんだか、意外です。


 普段の冷めた印象とは違って、こういうときの廉さんは本当に優しい顔をします。

 その顔を見ていると、なんだか私まで幸せな気持ちになっていくようでした。


 少しして、廉さんは満足したのか、撫でるのをやめてまたテレビに視線を移しました。

 スマートフォンを触ったり、天井を見たり。

 なにをするでもなく、動物のようにゆったりしています。


「……なんだ?」


「えっ……あ、いえ、なにも」


「……そうか」


 気づけば、私はそんな廉さんの横顔から目を離せずに、じっと見つめてしまっていました。


 もちろん、べつに悪いことをしているわけではありません。

 ただ、廉さんの顔を見ているとだんだん胸がドキドキしてきたり、キュッと締め付けられるような感覚に襲われたり、顔が熱くなったりするのです。

 自分がそんなふうになっていると、なんだか後ろめたいような気持ちになるのも事実で、私はついつい慌ててしまうのでした。


「……」


 いったい、いつになったら慣れるんでしょうか。

 お付き合いを始めてから、もうけっこうな回数、廉さんとは顔を合わせています。

 なのに、会った時のときめきも、一緒にいる時のドキドキも、いっこうに無くなっていく気配がありません。

 それどころか、どうにも好きな気持ちが、どんどん強くなってきているような気さえするのです。


 このままでは私は、いつか廉さんのことが好きで好きでたまらなくなってしまうのではないかと、半分本気で心配していたりします。


 廉さんは、どうなのでしょうか。

 彼の方も、私と同じように思ってくれているのでしょうか。


 もしそうなら、嬉しいのですが。


「ん、もう9時か」


「え? あ、ホントですね」


「そろそろ戻りな」


 知らない間に時間が経って、いつものお別れの時間になってしまっていました。

 私の家はすぐそこなのに、廉さんは私を早めに帰らせようとします。

 もちろん、私もそれに不満があるわけではなく、高校生同士のカップルがあまり遅くまで一緒にいるべきではない、という考えは一致していました。


「じゃあ、今日もありがとな」


「いえ。それでは、また」


 玄関まで送ってくれた廉さんと言葉を交わして、私は靴を履きました。

 別れ際は、やっぱり少し寂しくなります。

 また、すぐ明日会えるのに。

 どうしてこんなに、切なくなってしまうのでしょう。


「……理華」


「ん、なんですか?」


 私が尋ねると、廉さんは少し顔をそらしながら、小さく両腕を広げました。

 それを見た私の心臓が、一度トクンと大きく跳ねました。


 私は廉さんに身体を寄せて、そのまま彼の背中に腕を回します。

 緩い力で抱きしめられて、私は廉さんの胸に頬をくっつけました。


 廉さんの鼓動が、早くなっているのがわかります。

 私は自分の鼓動もそうなっていることを知られたくなくて、少しだけ身体をよじりました。


 少しの間、ふたりで黙ってそうしていました。

 ハグをしていると、まるでさっきまでの切なさが消えていくようでした。


 でも、私は知っています。

 身体が離れたら、その時にはさっきよりももっと切なくなって、廉さんが愛おしくなって、ずっと一緒にいたくなってしまうのです。


 だったら、ハグなんてしなければいいのに。

 そう考えるのが当然のはずなのに、それでも私は廉さんのハグを拒めずに、彼の胸にあっさり吸い寄せられてしまうのです。


「ごめんな……長くて」


 照れたように頭を掻く廉さんに向けて、私はふるふると首を振りました。

 廉さんが離れてくれなければ、きっと私はいつまでも、くっついてしまっていたでしょうから。


「では、今度こそ」


「ああ。またな」


 顔の横で小さく手を振り合って、私はドアを閉めました。


 なんでもない夜の、なんでもない出来事。

 だけどものすごく幸せで、ものすごく大切な出来事。


 「また」。

 彼も私も、そう言いました。

 私たちにはきっと、「また」がある。


 そしてその「また」が、この先もずっと訪れてくれるように。

 私は今日も祈り、彼のことを思いながら、一人で眠るのでした。



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