107 リア充が微笑する


 私たちが通う高校、その校舎の三階の一角に、生徒会室があります。

 そこはその名の通り、生徒会に所属する生徒たちが活動に使用する専用の教室です。

 普通の生徒が入る機会は、あまり無いと言っていいでしょう。


 だから千歳ちとせにここへ来るように言われた時は、少し驚いてしまいました。


 ノックしてドアを開けると、部屋の中央に置かれた幅の広いテーブルの奥で、千歳がこちらに手を振っていました。


「ごめんなさいね、呼び出して」


「いえ。それより、どうしたんですか?」


 テーブルの上にはたくさんのファイルや文房具、パソコン、書類の山が見られます。

 さながらどこかのオフィスのようでした。

 ホワイトボードや掲示板が壁に沿うように置かれているのが、それらしい雰囲気を醸し出しています。


「心配だから、ちょっと話したくて」


「し、心配……ですか」


「ええ。でもちょっと、やることが溜まってて。悪いのだけれど、仕事しながらでもいい?」


「そ、それはもちろん、構いませんが……」


 申し訳なさそうな笑顔を浮かべた千歳に促されて、私は彼女のそばのイスに腰掛けました。


 千歳は手元の書類に何かを記入しながら、それでも私のことを気にしてくれている様子でした。


「どう? 楠葉くんとは」


「……」


 思わず、黙ってしまいました。

 この話題なのだろうな、とは思っていたのですが、思っていただけで、受け入れる体勢までは整っていなかったようです……。


「……三日、会っていません」


「それは、良くないわね」


 千歳は特に驚く風でもなく、淡々とした声で言いました。


「良くない、ですよね……やっぱり」


「ええ。会わない方が事態が好転するってことは、あんまりないもの」


 キッパリとした千歳の言葉に、私はますます気分が重くなるのを感じました。


 彼女の言うことは、私にも分かっているつもりでした。

 ですが、どうしても勇気が出ずにいるのです。

 あの日、教室で暴走してしまった自分のあまりの不甲斐無さと、廉さんへの申し訳なさ。

 それらが私の足と喉を縛り付けて、なにも出来なくしてしまっているのです。


「まあ、そうだろうと思ったから、こうして話しておくことにしたんだけれどね」


「……楠葉さんの交友関係が広がるのは、良いことです。彼がほかの人から好かれたり、仲良くなることは、喜ばしいことなのに……」


「そうね」


「……情けない。楠葉さんの足かせになっています……。私は彼を……支えたいのに」


 恋人として、私が廉さんにしてあげたいこと。

 ちゃんとありのままの彼を愛して、彼の幸せを一緒に喜んであげること。


 それが出来ない私に、彼と恋人でいる資格が、果たしてあるのでしょうか……。

 もし私の存在が彼の邪魔にしかならず、かえって彼を幸せや成長から遠ざけているとしたら。


 そうだとしたら、私は……。


「あら。あなた、楠葉くんを支えたくて付き合ったの?」


「……えっ?」


 千歳はいつの間にか手元の書類から顔を上げていました。

 ニヤリと口元を引っ張り上げて、こちらを見ています。


「私はてっきり、もう楠葉くんが好きで好きで堪らなくて、独り占めしたくて、それで付き合ったのかと思ってたけれど」


「そ、そんな……」


「だって、楠葉くんを支えたいなら、別に彼女にならなくていいじゃない。それこそ、あの佐矢野さやのさんとの仲を応援して、二人がうまくいくように見守ってあげれば?」


「……そ、それは」


 千歳の言葉で、私の頭に嫌な光景が浮かんできました。

 廉さんが佐矢野さんと一緒にいて、楽しそうにお話しをして、お互いに微笑み合って。

 廉さんは幸せそうで、でも、そこに私の姿はなくて。


 そんな……そんなのは……。


「嫌なの?」


「……絶対に嫌です」


「あらそう。それなら、答えは決まりよね」


 千歳の意地悪な笑顔が、気づけば柔らかい、優しい笑顔に変わっていました。

 彼女のこんな顔を、私は初めて見たかもしれません。


「『無償の愛』のような言葉もあるけれど、あなたたちはまだ『恋愛』なんだから。楠葉くんに『恋』をしてる自分を、もっと許してあげたら?」


「……自分を、許す……」


「そう。恋してるなら、独り占めしたくなっても当然よ。でも、理華に独占されるのを楠葉くんが嫌がるかどうかなんて、彼に聞かないと分からないでしょう。あなたたちなりの妥協点だって、探せばきっと見つかるはずなんだから」


「……」


「ちゃんと向き合って、受け入れていくしかないわよ。でも、向き合うのは自分とだけじゃなくて、楠葉くんともね。言わなきゃ伝わらないのよ。あなたたちは今までそんなことなかったのかもしれないけれど、ちゃんと言葉にしないと、心が通わないことだってあるの」


 千歳はそこまで言うと、ゆっくりと自分の席から立ち上がりました。

 座っていた私に合わせて膝を曲げて、私の顔を真っ直ぐに見つめて。


「あなたが幸せになることが、一番大切なんだから」


 包み込むように私を抱きしめて、私の頬に自分のそれをくっつけて、千歳は言いました。


「楠葉くんにとっては、彼自身が幸せになることが大切で。それと同じように、あなたにとってはあなた自身の幸せが、何よりも大切なのよ。そして、あなたたちは自分の幸せのために、恋人同士になったんだから。それを見失わないで。二人が一緒に幸せでいられるように、まっすぐ向き合って、歩いて行って」


 千歳の声は、なぜだか少しだけ、震えているようでした。

 でもひょっとすると、私が泣いてしまったから、そんな風に聞こえていたのかもしれません。


「あなたたちにはきっと、それが出来るから。私だって冴月だって、いつだって助けるから。だからお願いね、理華」


「……千歳」


 それから、彼女は黙って私を抱きしめたまま、しばらくジッとしていました。

 振り解くこともできず、そうしたいとも思いませんでした。

 私は彼女と同じように何も言わず、彼女の背中に腕を回して、自分の涙がおさまるのを待っていました。


 私の目からしずくあふれて来なくなったころ。

 千歳はスッと立ち上がって、すっきりした顔で言いました。


「それじゃあ、頑張ってね。また明日」


「……はい」


 くるりと向きを変えて、私は生徒会室を出ました。


 ドアを閉める直前、私は何かを言わなければいけない気がして、立ち止まりました。


「千歳」


「……あら、なに?」


「千歳も、頑張ってくださいね」


 彼女は驚いたように目を見開いて、私を見ました。

 それからフッと、今にも消えてしまいそうなほど弱く笑って、言いました。


「私は、ダメかもね」



    ◆ ◆ ◆



 帰り道。

 なんとなく誰にも会いたくなかった私は、いつもはあまり使わない南門から学校を出ることにしました。


 ここには、いろいろな思い出があります。

 思えば最初に廉さんと出会ったのも、この南門の前でした。


 すべては、あの時に始まったのでしょう。


 帰ったら、廉さんに会いに行かないと。

 まだうまく言葉で伝えられるかどうかは分からないけれど、それでも、会いに行かないと。


 ……いえ。


 要するに私は、廉さんに早く、会いたかったのでした。


「楠葉くん」


 突然の声に、私は思わず、近くの物陰に隠れてしまいました。


 この声は……もしかして。

 それに今、あの人の名前を呼んでいたような……。


「な、なんだよ……」


 そう答えたのは、やはり彼の声でした。


 誰かが廉さんと向かい合って、何かを話している。


 聞いてはいけない。


 そう思ったのに、私の身体はその場から、どうしても動けずにいるのでした。


「もっとじっくり行こうかなって思ってたんだけど、いろいろわかっちゃったし、もういくしかないかなって」


「……だから、なんだよ」


 廉さんと一緒にいる方の声に、私は聞き覚えがありました。

 それはここ最近、ずっと私の心で繰り返されていた映像に、登場していた声だったからです。


 あの、佐矢野さやのさんでした。


「うん。私ね、楠葉くんが好き」


「……は?」


 ……えっ。


 今……なんて……?


「だからね、好きなの。楠葉くんが。男の子として、ちゃんと」

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