108 美少女が嘘をつく


 もしかするとあの時も、廉さんはこんな気持ちだったのでしょうか。


 一ノ瀬さんという方からの告白を、私は断った。

 彼のことは、本当になんとも思っていなかったから。

 と言うよりも、あの頃の私の頭の中には、廉さんのことしかなかったから。


 あの時から彼のことを好きだったのかどうかは、今でもわかりません。


 ただ、彼以外のことなんて、ひょっとしたら自分自身のことですら、私には考える余裕なんてなくて。


「だから楠葉くん、私と付き合って」


 ただ、どうしたら彼が幸せになれるのか、そればかり考えていたせいで。

 一ノ瀬さんの言葉は、私にはまったく響いていなかったのだと思います。


 「友達から始めたい」と彼は言いました。

 けれど友達という関係でさえ、あの時の私には荷が重くて。


 ただ、廉さんのことばかり。


「……悪いけど、断るよ」


 いいえ、もう誤魔化すのはやめるべきでしょう。


 きっと私は、あの頃から廉さんが。


 楠葉廉さんのことが、本当に。


「……そっか。ちなみに、どうして?」


 そしてあの時よりも、今の方がずっと、ずっと。


「俺には……好きなやつがいるから」


 さっき泣き止んだばかりなのに。

 私はまた滲んでくる涙がこぼれ落ちないように、何度もハンカチで目元を拭いました。


 廉さんと出会ってから、なんだか泣いてばかりな気がします。


「それに、まあ、なんだ。もう……付き合ってるからさ」


 人にバレるの、嫌がっていたくせに。

 彼らしい、不器用な断り方。


 それでも、そう言ってくれることが、なんだか嬉しかったりもして。


「あはは。なぁんだ、もう遅かったんだね」


「……悪い」


「どうして謝るの? ただ、私がモタモタしてたのがいけないんじゃん」


「それは……そうかもしれないが」


「あーあ、ショック。すっごくショック。もう帰る」


「……」


「……引き留めてもくれないんだ。ホントに、チャンス無しって感じだね」


 廉さんがどんな顔をしているのか、目に浮かぶようでした。


 私は今のうちに出来るだけ涙をふいて、彼の前に出て行く準備をしました。

 このまま隠れているなんて、したくなかったから。


 物陰にいる私の横を、佐矢野さんが早足で通り過ぎて行きました。

 その時、彼女はこちらを見ずに、けれど間違いなく私に向けて、言いました。

 

「負けちゃった」


 佐矢野さんは目尻に涙を溜めながら、それでも毅然とした表情を崩しませんでした。

 去っていく後ろ姿が凛々しくて、私はしばらくその背中を見つめてしまいました。


「り、理華……!?」


 私が姿を見せると、廉さんは焦ったようにオロオロして、バツが悪そうにそっぽを向きました。


「み、見てたのか……」


「お互い様でしょう。いつかのお返しです」


「まあ、そうだけどさ……」


 廉さんは照れたように頬を掻いていました。

 そんな彼の顔を見ていると、私はなんだかいてもたってもいられなくなって、知らないうちに廉さんに正面から抱きついてしまっていました。


「り、理華! おいっ、こら!」


「嫌ですっ……。今は、離れたくありませんっ」


 私の馬鹿な言葉にも、廉さんはふぅっとひとつ息を吐いただけでした。

 それから、控え目に私の頭を撫でてくれました。


「……心配したのか?」


「してません。心配なんか」


「そうか」


 嘘でした。

 不安と緊張の糸が切れて、私はすっかりダメになっていました。


「……ごめんなさい、ここ数日は。ちょっと、気持ちの整理がつかなくて……」


「いや……いいよ。俺も悪かったんだと思うし……いろいろ考えてたから。でも今度からは、ちゃんと話そう。やきもちも、拗ねるのも、怒るのも。全部受け止めるから」


 言いながら、廉さんは私の背中に腕を回して、ギュッと抱きしめてくれました。

 まだ学校の中なのに、私たちは何をやっているんでしょう。


 でも私は、そんなことが気にならないほどに幸せで、夢中で、ほかのことなんてどうでも良くなっていて。


「はい。廉さんもですよっ。ちゃんと話してくださいね」


「ああ、わかってる。ちゃんと話して、ちゃんとぶつかって、ちゃんと喧嘩しよう。話せないとか、会わないとか、そういうのは、嫌いな相手とすることだから」


「……そうですね。私たちは……違いますもんね」


 その後、私たちは少しだけ乱れてしまった制服を整えて、二人並んで校門を出ました。

 空はすっかり夕焼けに染まっていて、なんだかわざとらしいくらいに綺麗でした。


「ちょっとぶりに、理華の料理が食いたい」


「いいですよ。そのかわり、手を繋いで帰りましょう」


「えぇ……学校の帰りだぞ」


「校内で抱きしめ合ったあとで、何を言ってるんですか」


「そ、そうかもしれないけどさ……」


「もう、いいんです、バレてしまえば。そうすれば、悪い虫も寄ってきません」


「ち、ちょっと怖い顔してるぞ、理華」


 二人で笑い合いながら、私たちはお互いの手を取りました。


 あの日、初めて手を繋いだ日、廉さんは言いました。


 「こうすると、お互いの歩幅がわかる」。


 たしかに、そうかもしれません。


 だってこうしていれば、きっとこの先も二人で一緒に歩いていけると、そう思えてくるのですから。

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