106 美少女が立ち上がる


「すごーい! なんか賢くなった気分!」


「いや、佐矢野さやのも自分で言ってたほど出来なくないぞ。飲み込み早いし」


 ニコニコと嬉しそうな佐矢野さんと、いつも通りぶっきらぼうな廉さん。

 勉強を教わる彼女と、教えている彼。

 ただそれだけの会話なのに、私はそちらの様子が気になって仕方なくなってしまいました。


「ううん、絶対楠葉くんの教え方が上手いんだって! さすが学年9位!」


「よ、よく知ってるな、そんなこと」


「上位20人は毎回貼り出されてるじゃん! ちゃんと見てるもん」


「あれ、そうか。まあ、そうだったかも」


「あはは、興味無さすぎ。でもそういうところ、いいと思う。なんか、ちょっとカッコいいよ」


「……なんだそりゃ」


 モヤモヤが。

 頭と胸の中に、どんどんとモヤモヤが広がります。

 息がしづらくなって、自然と顔が下を向くのが分かりました。


 廉さんにお友達ができるのはいいことです、間違いなく。

 彼は決して、自分で思っているほど嫌な人間ではありません。

 それどころか、とっても優しくて、誰よりも人の痛みがわかる人です。


 だから彼には、もっとみんなに好かれて欲しい。

 たくさんのいいお友達に恵まれて欲しい。


 そして、廉さんが人と関わることに以前よりも前向きになれたこと。

 それだって、絶対に良いことなのです。


 ……なのに。


「なんか、地に足ついてるって言うの? 私とか浮き沈み激しいからさぁ。だから、ちょっと憧れるかも」


「憧れる相手間違えてるぞ、絶対」


「あはは、そんなことないって」


 ムカムカします。

 そわそわして、意識がそちらから離せません。


 なにも、そんなに急にお友達を作らなくたっていいんじゃないでしょうか。

 それに、女の子なんて。


 趣味や好みが合うわけでもないのに、ちょっと委員会が一緒だからって。

 私とは、仲良くなるまでにあんなに時間がかかったくせに。


 ……いや、なにを言っているんでしょうか、私は……。


 こんなのはよくないです。

 私の時と比べて、廉さんが良い方向に変わっている。

 そういうことです。

 とっても良いことです。


 でも……。


「あとは委員会の仕事もちゃんとやってくれればなー」


「それは……まあ、すまん」


「ふふ。次からはちゃんと手伝ってもらうから、いいもーん」


 ……というか、そもそもあの方はなんなんでしょう?

 本当に勉強を教わりたいんでしょうか。

 女の子の友達に一人くらい、勉強のできる人がいるでしょうに。


 もし廉さんと友達になりたいと思っていたのなら、これまでもずっとチャンスはあったじゃないですか。

 彼が少し変わったらふらふら寄ってくるなんて、そんなの……。


 そうです。

 同じクラスだったくせに。

 ずっと、興味なかったくせに。


 そんなの、今さらです。

 ずるいです。

 私はずっと……最初からずっと……。


「理華?」


「……ふぇっ?」


 突然の呼びかけに、反射的に顔を上げてしまいました。

 いけません、いつの間にかボーッとしてしまっていました。


「あ、ああ……すみません。ちょっと、考え事を……って、なんで笑ってるんですか」


 名前を呼んだ冴月だけでなく、夏目さんと千歳もみんな、同じようにニヤニヤと私を見ていました。

 なんとなく、ムッとしてしまうような表情です。


「いやぁ、青春だなぁ、と思って」


「うんうん」


「ふふ。理華、可愛いわよ」


「な、なんですかそれは! べつに青春ではありません! 可愛くもないです!」


 私の反論も意に介さず、三人は私をニヤニヤと見つめます。

 なんだか、大変分が悪いような気がします。


 ですがそれもこれも、私の心が未熟だからです。

 もっと大人になって、冷静に、気持ちに余裕を持たなければ。


 ……しかし。


「楠葉くん、今週の土日どっちか空いてる? また勉強教えてよ!」


「えぇ……。土日くらい休めよ……」


「だって期末テスト近いじゃん! 追い込みしないと!」


「来週から部活休みなんだし、その時追い込めばいいだろ」


「もちろんその時もやるって! でも今からやらないと、私ホントにやばいんだってばー」


「……ヤだよ、休みの日に出かけたくなし」


「あっ! じゃあ楠葉くんの家ならいい?」


 その時突然、ガタン、と音がしました。


「楠葉さん、こっちへ来てください」


 気がつくと、私はいつの間にか廉さんと佐矢野さんのすぐ横に立って、二人を見下ろしていました。

 さっきの音はどうやら、私が椅子から立ち上がった時のもののようでした。


「り……橘? ど、どうした……?」


「みんなで夏休みの予定について話しています。ちゃんとあなたも参加してください」


「お、おう……そうだったのか」


「ね、楠葉くん! じゃあ週末のことだけ決めちゃお!」


「えぇ……」


「ダメです」


「……なんで? 橘さん、関係なくない?」


 自分がなぜこんなことをして、こんなことを言っているのか。

 私にはもう、何がなんだか分からなくなってしまっていました。

 ただ、胸の中になにか嫌な熱さが渦を作って、私の心も身体も、まとめてそれに支配されているような気分でした。


「ダメなものはダメです。楠葉さん、早く行きますよ」


「ちょっと。そんな無理やりっておかしくない?」


「おかしくありません」


「だから、なんでよ」


「そ、それは……だって!」


「はいはーい。理華、ちょっとこっちに来ましょうか」


 後ろから肩を掴まれて、私は強い力で引っ張られました。

 抵抗することも出来ず、引きずられるように連れ去られます。


 千歳でした。


 彼女の笑顔を見た私は、やっと少しだけ落ち着きを取り戻せたような気がしていました。

 大きな声を出さずに済んだのは、間違いなく彼女のおかげでした。


「ごめんなさいね、佐矢野さん。悪いんだけど、今日は楠葉くん、返してもらうわね」


 私たちは当然ながら、すっかり教室中の注目を集めてしまっていました。

 いや、これはきっと私のせいでした。


 困惑した様子の廉さんを連れて、私たち5人は中庭を目指しました。


 謝らないと。

 廉さんにも、佐矢野さんにも。

 そう思ったのに、出来ませんでした。


 おかしいです。

 こんなのは、私ではありません。


 けれどもちろん、そんなことはなくて。


「まあ、いい勉強ね。理華にも、楠葉くんにも」


 千歳にはそれだけ言われた後、私はずっと、冴月に頭を撫でられていることしかできず。


「楠葉は私がちゃんとシメとくからね」


 冗談でもなさそうな冴月の言葉も、今の私の耳には入ってこないのでした。

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