第8話 ツンガールとアクトレスボーイ

 おじさんの部屋の前。日はすっかり落ちて、世の覇権は月明りと街灯が握っていた。そんな中、俺は切れかかった蛍光灯の下、白衣を着た茶髪のお姉さんの隣に佇んでいた。冷めた目つきのお姉さんに顎で指図された俺は、渋々チャイムを押した。少し間を開けて、ドアが開く。


「お、麻里まりちゃん……と、少年じゃないか。隠し子かと思ったぜ」


 水色の似合わない寝巻きをまとったおじさんが登場。咄嗟の出来事にもしっかりとセクハラで応じる。流石は現役おじさんだ。


「私まだ27なんですけど。てかどっちかというとアンタの隠し子でしょ」

「間を取って俺達の隠し子にしよう」

「死ね」


 麻里さんがドアに手をかけて、おじさんの顔に拳を振りかざす。しかし、おじさんは余裕の表情で避けてみせた。


「ま、冗談はほどほどにして、何の用だ?」

班目まだらめ君を返しに来たのよ」

「ほう、状況説明が欲しい。中に入るか? 紅茶くらい出すぞ」

「アンタの部屋には死んでも入らないわ」

「3日前にウキウキで入ったの、もう忘れたのか?」

「あれはっ! アンタが面白い被検体が見つかったって……」


 被検体とは、もしかしなくても俺のことだろう。この女性――麻里まりさんは、おじさんの口から何度か出てきた「知り合いの医療班」の人らしい。


「とにかく! 中には絶対に入りません!」

「つれないねぇ」

「……この子、電柱から落ちて失神したらしいわよ。家が近いからって理由で非番の私に押し付けられたんだけど」


 麻里さんが半ば強引に話を戻す。そう、俺は公園に頭から落ちた。そこで俺の意識は途切れて、気がつくと保健室みたいなところで目を覚ました。


 すぐ後にお粥を持った麻里さんが現れて、そこが麻里さん宅の一室だということを知らされた。


 俺は電柱から落ちた後、討伐隊員によって保護されたらしい。しかも、少女を見捨てたと思っていた少年が呼んできたとのこと。キレて悪かったね。


 そして、そのまま麻里さん宅へと気絶したままの俺が配送。外傷がないことが逆に不審がられ、医療班に回されたらしい。怪人の残骸については聞かされていない。


「ほう、そういうことか」

「じゃ、私は役目果たしたんで!」

「は? ……っておい!」


 麻里さんが敬礼をして走り出す。白衣をはためかせて、その後ろ姿が段々と小さくなっていく。低いヒールと階段がぶつかって、カンカンと軽い音が鳴った。それも次第に小さくなって、夜の静けさが帰ってきた。


 残ったのは2人の男。ここまでは、麻里さんが事前に立てていたプラン通りに事が進んでいた。


「少年」

「なんすか」

「コツは掴んだか?」


 麻里さんが逃げた方を見つめながらおじさんが問う。何のコツかは、聞かなくても何となく分かった。


「いや、まだ無理っすね」

「完璧に制御できるまで、野放しにすることは出来ん」

「はぁ……」


 一般的なモノクラスの怪人(怪人自体が異質だけど)は、肉体が強化プラスチックに侵食されることで発生する。体内で肉体とプラスチックの主従関係が逆転し、体全てがプラスチックになるため、再び人間に戻ることは不可能とされている。


 しかし、俺はどうやら人間と怪人を行ったり来たり出来るらしい。麻里さんは、最初に俺を調べた時、採取した俺の細胞がプラスチック化する現象を確認した。


 麻里さんは怪人化する恐れがある俺を、一応討伐部隊隊長であるおじさんの下に置いておきたいと話していた。もうちょっと遠回し的な言い方だったけど。


「ま、今日はとりあえず寝るか。具体的な話は明日からだ」

「ういっす」


 そこからの1週間、俺は地獄を体験した。


 場所は討伐部隊の訓練施設。おじさんの計らいで、誰かに見られる心配はないとのこと。最初の3日間は怪人化の発動条件をひたすら探り、残りの4日間は怪人化の状態でおじさんと延々模擬戦を続けた。


 怪人化の発動条件は、理性をぶっ壊すこと。日常生活で暴発する恐れはないものの、一旦発動してしまうと見境なく物を壊し続ける――らしい。怪人化の状態で意識を何とか保てるようになったのは昨日の夜なので、それまでのことはよく覚えていない。


 なにより辛いのは怪人化が解けた後だ。無茶な動きの反動と、おじさんの容赦ない攻撃によるダメージで体中が悲鳴を上げる。


 オリジナルのカルナを助けたいという想いと、この地獄の日々から逃げ出したいという願いが強く結びつく。そんな8日目の夜明け。


 俺はおじさん宅で薄い掛け布団に包まれたまま、応答のある独り言を呟いていた。おじさんはバネが機能しなくなった無反発ソファで熟睡中だ。


「はぁ」

「ふぁあ」

「北陸新幹線ってさ、2万くらい出せば行けるよなぁ」

「そうだね。でも、駅弁のことも考えたらもう1万くらいあってもいいよね」

「それなぁ」

「そだよぉ」

「でもさぁ」

「うん」

「そんなお金持ってないんだよなぁ」

「そうだね」

「お金さえあればなぁ」

「そうだね」


 口を大きく開ける。すると、中から半透明の石英のようなものが飛び出して来た。それはそのまま小さな人型になって、どこかへ飛び立ってしまう。


 数十秒後、それは3枚の紙を抱えて戻ってきた。そして、それらを真上に放り投げた。


「「あ」」


 俺となーちゃんの間に、3万円がひらひらと舞う。俺は床に落ちた紙幣を拾い上げる。


「お金が落ちてる」

「ほんとだ」

「交番に届けなきゃな」

「そうだね」


 俺は布団から抜け出して、窓を開けた。冷たい空気と白い日光が流れ込んでくる。下手な茶番はこれで終わり。


「おじさん、ありがとう。いつか菓子箱持って返しにくるわ」


 返事は豪快ないびき。日々の討伐に加えて、怪人化した俺の相手をし続けたのだ。肉体的疲労は俺よりもひどいだろう。


「よし、行くか」

「そうだね」


 窓に足をかける。ここは10階の角部屋。流石の俺でもここから落ちたら運が良くて重症といったところだろう。


 一瞬だけ躊躇ってしまったが、ふわふわ浮かぶなーちゃんが外から手を差し伸べてくれたおかげで、俺は飛び出すことが出来た。


 ――頬を叩く風と迫りくる地面が、理性を吹き飛ばしてくれる。


「イヤッハァアア!!」

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